14 榎本夏鈴

文字数 2,877文字

「終了。ペンを置いて」
 担任の合図で教室中の動きが止まった。
 答案用紙が後ろの席から送られてきた。僕は自分の分を重ねると前の席の生徒に手渡した。
 担任は答案用紙がすべて集まったのを確認すると「結果は約二週間後な」と言って教室を出ていった。今日はこれで授業終了だった。
「あー、ダルい」
「最近テスト続きじゃね?」
「つーか全然見たことない問題ばっかりだったんだけど」
 周りでは口々に不平不満がこぼされている。
 僕は鞄に荷物をまとめると席を立って一番最初に教室を出た。これから掃除が始まるし、何より騒々しいので勉強に向いていないのだ。
 僕は廊下を真っ直ぐに進んで図書室に向かった。
 二年生までは図書室に行くには階段を経なければならなかったが、三年生となった今では同一フロアなのでアクセスが楽になった。
 図書室のドアは閉じられていた。
 授業終了から直行したのでまだ誰もいないだろう。そう思ったのにドアを開けるなり中から快活なあいさつが飛んできた。
「センパイ、おつかれさまッス! 今日もモリモリ貸して、ビシバシ返してもらいましょう!」
 受付カウンターに座っていたのは今年の春から図書委員になった一年生の榎本夏鈴(えのもとかりん)さんだった。
 僕は窓際の自習用机につくと、参考書を広げながら彼女に言った。
「夏鈴さん。ここは図書室だから、そんなに大きな声で喋らなくてもいいんだ」
「あッ! し、失礼しました!」
「今のももう少しボリューム抑えめでいいかな」
「あああッ、た、度々失礼しました。な、なんか体育会系が身に染みちゃってるですよね、自分。中学が陸上部だったせいか、屋外で会話するのに慣れてしまってるっていうか……」
「今は他に誰もいないし、別に注意ってわけじゃないんだ。元気はないよりはあった方がいいし。ただ、ここは基本的に静かに本を読む場所だから、過度にある必要はないと思うんだ」
「かど? とがってるってことッスか? 確かに自分は周りからよく尖ってるっては言われますけど」
「いや、過度っていうのは……」
 僕はしばらく夏鈴さんに通じそうな言葉を頭の中で検索した。
「度が過ぎるってことかな」
「えッ? なんか酷くないッスか、それ」
「あ、ごめん。別に悪口のつもりじゃなかったんだ。修飾語の類だから。とても、とか、非常に、みたいな意味で」
「強調、ってことッスか?」
「まあ、そんなところかな」
「あ、そッスか。それならポジティブってことですね!」
 夏鈴さんの声は徐々に大きさが戻りつつあったが、あまり細かく注意しないことにした。こう言ってはなんだけれど、真面目に図書委員の仕事をしてくれる彼女は貴重な存在だったからだ。もしも今日彼女が来ていなければ、僕が窓口カウンターに座っているつもりでいたのだ。
「それじゃあ僕は勉強するから、カウンター業務をよろしく。もしもわからないことがあったらいつでも訊いてくれていいから」
「了解ッス!」
 夏鈴さんは敬礼して言った。やっぱり体育会系のノリだった。
「人が来たらあまり声は出さないようにね」
「かしこまりッス!」
 一応、念を押しただけあって図書室はしばらく静かだった。
 おかげで勉強をするのには快適な場所だった。
 しかし何事も永遠に続くということはない。例えば忍耐とか。
 夏鈴さんは始めの方こそカウンターに近い新着コーナーから持ってきた本のページをめくっていたが、十分くらい経つ頃には本を戻し、無為に時間を持て余すようになった。
 そろそろ話しかけてきそうだ、と思ったら案の定だった。
「センパイって本当に勤勉ッスよね」
 僕は今やっている設問を解き終えてから返事をした。
「そうでもないよ。もっと勉強している人はいくらでもいるよ」
「それはそうかもしれないですけど、センパイだって相当ッスよ。だっていつ会ってもだいたい教科書を読んでいるか、参考書を開いているか、ノートをまとめてるかじゃないですか。うちの兄貴にも爪の垢を煎じて飲ませたいくらいッスよ」
「確かにあいつはあまり勤勉とは言えないよね。でも部活に所属していてやることが多いわけだし、一概に悪くは言えないね。僕は何の部活にも入っていないわけだしさ」
「でもセンパイは図書委員じゃないッスか。しかも図書委員長ッスよ? 対して兄貴は平部員。比較するのもおこがましいッスよ」
「図書委員長と言っても置物のようなものだけどさ」
 他にやってくれる人がいなかったから押し付けられたというのが本当だけれど。
「センパイは全然置物なんかじゃないッス。れっきとした図書委員長ッスよ。あ、でも……」
 フォローしてくれかと思いきや、夏鈴さんは急に言葉を濁した。
「でも?」
「連絡先を未だに共有してくれないのは、この高度情報化社会においてどうかと思うッスね」
「あー」
「あーじゃないッスよ、あーじゃ。合唱部の発声練習じゃないんスから」
「そうだね。確かに僕は合唱部じゃない。それは認める」
「もう何回も訊いてると思いますけど、なんで連絡先を共有してくれないんスか?」
「まあ、いろいろあってね」
「なんですか、いろいろって?」
「カラフル、みたいな」
「センパイ、もしかしてふざけてるッスか? あたしは生真面目に訊いているんスけど」
「いや、ふざけてはいないよ」
 自分に生真面目という言葉を使うのは珍しいな、と思ったけれどそれは黙っていた。
「ふざけてないならいい加減、教えてくださいよ」
「いや、僕、スマホって苦手なんだよ。なんだか自分の手に余るテクノロジーのような気がするんだ」
「え、もしかしてスマホ自体を持っていないってことッスか?」
「持ってないわけじゃない。ただ、ちょっと挙動がおかしくなってしまってさ」
「壊れてるんスか? だったら修理しましょう。そして連絡先を交換しましょう」
「壊れてるってほどではないと思うんだけど、最近はほとんど使ってないんだ。下手に触って余計に壊れたら面倒だしさ」
「センパイって本当に高校生ッスか? そんなお年寄りみたいなこと言ってて、これから先の未来を生きていけるンすか?」
「たぶん大丈夫だよ。だって使って今の時点で別に困ってないからさ」
「そういう考えではあっという間に時代に取り残されてしまうんスよ!」
「ロートルってやつだ。ハハハ」
「笑い事じゃないッスよ。なんなら今度、スマホを持ってきてください。壊れているかどうかあたしが見てあげるッスよ」
「ありがとう。ゆくゆくお願いするよ」
「ゆくゆくって具体的にいつッスか? 何月? 何日? 何時? 何分?」
 夏鈴さんはカウンターから身を乗り出して追求してこようとしたが、そこで図書室に利用者がやってきた。
 夏鈴さんはピタッと私語は謹んだ。そろそろ話を切り上げようかと思っていたところだったのでちょうどいいタイミングだった。
 幸い利用者は閉校時間になるまで図書室に滞在していった。おかげで僕も勉強に集中することができた。
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登場人物紹介

湊 奏汰(みなと そうた)


主人公。高校2年生。図書委員。

那由多 宇宙(なゆた そら)


高校3年生。図書委員の先輩。

榎本 夏彦(えのもと なつひこ)


高校2年生。湊奏汰のクラスメイト。オカルト研究会。

榎本 夏鈴(えのもと かりん)


高校1年生。湊奏汰の後輩。図書委員。

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