19 あの日の続き

文字数 3,881文字

 人気のいない路地裏に高らかな笑い声が響いていた。
 周りを建物に囲まれているせいか、声が余計に跳ね返っているように聞こえた。
「ははははは。ふふふふ。ふふ……ふう。いやあ、流石、流石だよ、後輩くん。光にも遅れを取らない速度のツッコミね。いやあ、相変わらずいい仕事するね。おかげで笑い死ぬかと思ったよ」
 僕はどこから突っ込めばいいかわからなかった。
 さっきのは考えるよりも先に言葉が出てしまったのだけど、頭を働かせようとすると全然言葉が追いついてこなかった。
 もっとも黙っているのも癪だったので、まず遺憾の意だけでも伝えることにした。
「不謹慎すぎますよ、今回ばっかりは!」
「ごめんごめん。するよ、猛省。あ、でもさ不謹慎ってのはちょっと違くないかな? 生きてる人が死んでる人をネタにするのは、それは確かに不謹慎かもしれないけど、死んでる人が死んでることをネタにするのは問題ないと思うんだよ。自分のことならなおさら。自己責任ってやつ?」
「余計にタチが悪いですよ。だって……今の先輩は幽霊なんでしょ?」
 僕はその言葉を口にするのに一瞬だけ躊躇いがあった。
 だけど先輩はあっけらかんとしていたし、逆に意識しすぎる方がよくないと思った。
「そのようだね。幸いにもと言うべきか、災いにもと言うべきか」
 先輩はそう言った後、ふと気づいたように自分の体をまじまじと見始めた。
「というか今、わたしって浴衣姿なんだね。なんでだろう? これってやっぱりアレかな? 幽霊を見る人の意識が投影されてるんじゃない? だとしたら後輩くんは浴衣姿が好きってことなるね。浴衣に対する後輩くんの異常な愛情ってやつ?」
「いや、好きとか嫌いとかじゃなく、最後に会った時の先輩が浴衣姿だったからですよ、きっと」
「素直に浴衣が好きって言ってもいいんだよ、後輩くん」
「いや、そういうことでなくてですね……」
 約一年ぶりに先輩に翻弄されるのは懐かしくて、快かった。
 だけどその一方で、先輩と普通に話すほど僕の混乱は深まっていった。
 まずこのありえない状況を整理する必要がある。
「……すいません。先輩といつものような会話ができることはとても嬉しいんですが、その前にいろいろ確認しておきたいことがあるんです」
「いいよ。あいかわらず後輩くんは融通が利かないなっては思ったけど」
「すいません。で、とりあえずなんですけど、先輩は幽霊なんですよね?」
「どうやらそのようだね。というかさっき後輩くんもそう言ってたじゃないか」
「あれはとっさの発言というか。でも少なくともゾンビではない」
「そうだね。わたしの体はもうないはずだからね。現実問題として」
「先輩は今、ここがどこだかわかっているんですか?」
「大灯の町でしょ? さっき適当に移動したから正確な場所は知らないけどさ」
「去年の花火大会から一年が経っていることはわかってます?」
 すると先輩は虚を突かれたように目を丸くした。
「へえ、ってことは一年ぶりなんだ。それはわからなかったよ」
「もしかして時間感覚がないんですか?」
 那由多先輩は腕組みをして考え込んだ。頭の回転が早い先輩にしてはかなり時間がかかった。
「……それがよくわからないんだよね。事故直前までの記憶はわりと明晰なんだけど、後のことはすごく漠然としてるんだ。長かったような、短かかったような、眠っているような、起きているような、そんな重ね合わせみたいな状態でさ」
「ずっと幽霊になってこの町を彷徨っていたわけじゃないんですか?」
「ちょっと違うかな。漠然とした意識みたいなのはあったけど、こうやって動いたり話したりしているのは今日が始めてだよ。たぶん後輩くんがこの町に来たことによって、わたしという存在がはっきりとした形になったんじゃないかな」
「どうしてそんなことが……」
「たぶん後輩くんの認識がわたしを作ったんだよ」
 それはいつぞや那由多先輩が図書室で口にした言葉だった。
「……僕が?」
「うん。後輩くんがわたしの姿を探してくれたことで、わたしの残留思念みたいなのが像を結んだんじゃないかな。まあ、幽霊でありながら幽霊に全然詳しくないわたしが言うのもなんだけどね」
「それは観測者が観測対象に影響を与える、ってやつですか?」
「そうそう。観測者効果。サイエンス系の本でよく紹介されてるやつ」
 果たして那由多先輩の言うことが正しいのかどうか僕にはよくわからなかった。
 せめて夏彦がいれば何か意見を言ってくれたかもしれない。
 そう思った瞬間、僕はすっかり彼を放置していたことを思い出した。いや、夏彦だけではない。夏鈴さんも含めてだ。
 慌ててスマホを確認したら夏彦からの着信が残っていた。既に十分ほど経過している。
「す、すいません。ちょっとだけ通話してきていいですか?」
 那由多先輩が頷いたので、僕は少しだけ距離を明けて夏彦に折り返した。
「夏彦。ごめ――」
「奏汰! お前、今どこにいるんだ? 大丈夫なのか?」
 僕が謝るよりも早く、夏彦が質問責めにしてきた。
「ごめん。勝手に場所を離れてしまって。心配かけて悪かったよ」
「本当に大丈夫なのか? 早まったことをしようとしてないよな?」
「早まったことってなんだよ」
 思わず笑いそうになったけれど、よく考えてみれば親しい人を事故現場を訪れ、何も言わずに急にいなくなったのだ。心配するなという方が無茶な話だ。
「と、とにかく大丈夫だから」
「で、どこにいるんだよ? こっちから行ってやるからスマホに位置情報を送ってくれ」
「あ、いや、それは……」
 僕は那由多先輩を一瞥した。
 今起きていることを夏彦に正直に言うべきだろうか?
 でも、何て?
 那由多先輩の幽霊と出会ったから、と?
 言ったら余計に心配されるだけだ。
「おい、奏汰。どうかしたのか?」
「……………………ない」
「え、なに? 聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
「……悪いけど、気が変わったんだ。僕は一緒に花火に行けそうにない」
「やっぱり何かあったんじゃないのか? なあ?」
 夏彦が怪しむのも当然だ。ついさっき僕はもう大丈夫と言ったばかりだったのだ。
 たぶん夏彦からしたら僕は今、かなり支離滅裂な言動をしているように聞こえているだろう。事実、そうなのだ。
 でも、と僕は自分に言い聞かせた。
 先輩と出会えた以上、僕はこうするより他にないのだ。
「……わかった。いや、本当はわかってないけど、とりあえずお前がそうしたいってのはわかったよ」
 僕が返答せずにいたら、夏彦は半ば諦めるように言った。
「でも、これだけは言わせてくれ。もし何かあったらいつでもいいから連絡してこい。いつでもってのは、本当にいつでもだからな。わかったか?」
「わかったよ。ありがとう」
 僕は夏彦との通話を切った。
 たぶん納得はしていないだろうけれど、最大限、僕のことを気遣ってくれているのは伝わってきた。
「クラスの友人?」
 スマホをポケットにしまうと那由多先輩が訊ねてきた。
「そうです。夏彦っていう――」
「はいはい。彼だね。覚えているよ。後輩くんの数少ないクラスメイトの友人だったよね」
「そうですね。ただ正確には元・クラスメイトですけど」
「え、なんで? まさか退学?」
「いえ、三年生に上がった時のクラス替えで別れたんですよ」
「ん? あ、そうか。そうだったね。今年はもう平成じゃなかったんだ」
 やはり那由多先輩は時間感覚にズレがあるようだった。
「それよりも本当によかったのかな、後輩くん」
「何がですか?」
「さっきの通話で友達と花火に行くのを断っていたじゃないか」
「いいんです。もう話はついたので」
「でも今年はキミたちにとって高校生最後の花火なんだろ? それならなおさら反故にするというのは勿体ないと思うんだ。それに夏彦くんだっけ? 急に一人にされた友人の身にもなってあげた方がよくないかな」
「いえ、夏彦は一応、妹と一緒に来ているので」
「妹?」
「うちの高校に今年入った妹がいるんです」
「ということはキミと夏彦くんとその妹の三人で花火を見るつもりだったんだ?」
「まあ、当初は」
「で、その妹ってのは可愛いの?」
「藪から棒になんですか?」
「いやさ、そうなってくるとみんなと花火を見に行った方が有益だったりするんじゃないの? 後々のこととか含めてさ」
 那由多先輩はなぜか僕がみんなと花火を見にいくように勧めてきた。
 最初は気を遣っているのかと思っていたが、先輩は意外としつこかった。
 話を聞いてくれない先輩に対して、僕は徐々に不満を募らせていった。
「だからいいんですって!」
「なんで? きっとみんなと一緒の方が楽しいよ」
「だって、僕は先輩と二人で花火を見たいんです!」
 絶えきれずに僕は言い放った。
 直後、那由多先輩は口元を吊り上げていた。
 言わされた、と気づいたのは耳まで熱くなってからのことだった。
「うん。キミがそうしたいのなら仕方がないね、後輩くん」
 僕はしどろもどろになりながら言った。
「だ、だって、夏彦たちと約束したのは今年でしたけど、先輩との約束は去年だったじゃないですか!」
「だから?」
「せ、先着順ってやつです」
「正直、無用な言い訳だったね」
 那由多先輩は呆れたように言ったが、すぐに表通りの方向を指さして僕に言った。
「ともあれ行こうか、大灯花火大会」
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登場人物紹介

湊 奏汰(みなと そうた)


主人公。高校2年生。図書委員。

那由多 宇宙(なゆた そら)


高校3年生。図書委員の先輩。

榎本 夏彦(えのもと なつひこ)


高校2年生。湊奏汰のクラスメイト。オカルト研究会。

榎本 夏鈴(えのもと かりん)


高校1年生。湊奏汰の後輩。図書委員。

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