16 夏休みN日前
文字数 4,535文字
夏休み前の期末考査が終わった。
テストの出来については概ね予想通りだった。校内の試験は出題範囲が限られているし、問題の傾向も把握しているので、準備さえ怠らなければ相応の点数が取れるようになっているのだ。
割り当てられていた教室の掃除を終えると、僕は図書室へ向かった。
去年と同じように今日は夏休み前は貸出業務と蔵書整理が重なっているのだった。
図書室には司書の先生と、夏鈴さんが待機していた。
「お疲れ様です。何か手伝うことはありますか?」
司書の先生に訊ねると、僕と夏鈴さんで貸出業務をするように指示された。去年と同じように、蔵書点検は先生が一人でするとのことだった。
僕は夏鈴さんとカウンターに並んで座った。
「今日は初めての期末考査で疲れてるはずなのに、手伝いに来てくれてありがとう。いつも助かってるよ」
「疲れてないので大丈夫ッスよ」
「流石は体育会系。体力あるね」
「だって全然勉強してなかったから、ただテストを解いただけッスもの」
「え? あ、そう」
あまり深く考えないことにして、僕は夏鈴さんと一緒に仕事をこなした。
普段よりも忙しかったけれど、去年の同じ日と比べたらかなり余裕を持って対処できた。
一時間ほどで人はほぼ来なくなった。
「今日は二人ともありがとう。せっかくだからゆっくりしていってちょうだい」
司書の先生がテーブルにお茶とお菓子を出して労をねぎらってくれた。
夏鈴さんがそれを見て目を丸くさせた。
「図書室って飲食可だったんスか?」
「本当は不可だよ」
「ってことはこれって犯罪なんじゃないッスか?」
「犯罪ってのは法を犯したことへの罰則だけど、図書室のルールは法律ではないよ」
「じゃあ校則に違反してるってことッスか? 校長先生に処罰されるんスか?」
司書の先生は僕らのやりとりを聞いてクスクスと笑い出した。
「湊くんもずいぶんと面白い後輩を発掘してきたのね」
「いえ、彼女は友人の妹で、もとから面識があったので委員会に入ってくれたんです」
「きっかけは様々だけど、しっかりついてきてくれるってことは湊くん本人の人望じゃないかしら?」
「でも他には誰も来てくれませんでしたけど?」
本来、今日の仕事も図書委員同士で適切に分担するべきものだった。要するに図書委員長の求心力が低すぎるのだ。
「おっと。別の仕事が残ってるのを思い出したわ。職員室に行かないと」
返答に窮したのか、司書の先生は慌てて席を立った。
「あ、でも二人は残りのお菓子を食べるまでいていいから。あとは鍵をお願いね」
僕はそろそろ帰ろうかと思っていたけれど、出された菓子を食べきらないと悪いみたいになってしまった。仕方がなく残りのものを口に運んでいると、夏鈴さんなぜか張り合うように食を進めてきた。
「センパイはッ!(もぐもぐ)」
「夏休みはッ!(もぐもぐ)」
「どんな予定ッ!(もぐもぐ)」
「ッスか!?(ごくん)」
「勉強」
僕は簡潔に答えた。それ以外に確かな答えが何ひとつなかったからだ。
「そんな一言で終わっちゃう夏でいいんスか? 今年は【新元号】初めての夏なんスよ!」
僕は思わず笑いそうになった。とことん発言や思考回路が似ている兄妹だ。
もっともそれを言うと嫌がるのは目に見えていたので黙っていた。
「【新元号】最初の夏、ねえ。去年は『平成最後の夏』なんて持て囃されてたけど、いったい何が違うっていうんだろう」
もちろんそこに具体的な違いなんてない。気持ちの問題なのだ。
しかし夏鈴さんは自信満々に断言した。
「そこは全然違うッスよ。始まりと終わりじゃスタートとゴールくらい違うッス」
流石は元陸上部。なんだかそれっぽいことを言ってきた。いや、でもよく考えるとわからない。
「抽象的なことじゃなく、具体的には?」
「え? 抽象? 具体? え、ええと、たぶん新鮮味があるってことじゃないッスかね」
「それは抽象」
「あ、じゃあ、花火。花火ッスよ。夏といったらやっぱり花火ッスよね!」
「別に花火は毎年打ち上げられてると思うけど?」
「……え? で、でもッスね。そうだ、思い出した。センパイ、大灯の花火って知ってるッスか?」
返事を躊躇わなかった、と言ったら嘘になる。だけど夏鈴さんは何も知らないだろうから、僕は素知らぬ振りを通すことにした。
「知ってる。有名だよね」
「見たことはあるッスか?」
「直接は見たことないね」
「奇遇ッスね。それならご一緒にいかがッスか? あたし、中学の頃からずっと高校生になったら行きたいって思っていたんスよ」
「すごく混むらしいよね。下手すると花火よりも人ばかり見て終わりかねないとか」
「確かにそうッスね。去年、うちの愚兄はそれでやらかしたんスよ。SNSで知り合った女を連れて出かけたのに、ノープランすぎて鑑賞場所を確保できず、泣きべそかきながら帰ってきたんス」
「あ、ああ。そうなんだ」
上手くいかなかった、というのは察していたけれど、そこまで悲惨なことになっていたとは知らなかった。まあ、話が盛られている可能性はあるけれど。
「やっぱり行くのは難しいんじゃないかな」
「ご安心を! それは去年の愚兄の話ッス。実は今年は観覧場所を既に押さえているんスよ。そこなら打ち上げ会場から近く、周囲の混雑もなく、出前迅速落書無用なこと間違いなしッス!」
「有料席ってこと?」
「違います。無料ッス。あくまで今年だけの特等席ッス。チャンスは【新元号】最初の今年だけなんスよ!」
行き当たりの嘘をついているようには見えなかった。でもそんなに良い場所が簡単に確保できるとも思えなかった。
「それって夏鈴さんが自分で用意したわけ?」
ぐっ、と夏鈴さんは喉にさつまいもでも詰まらせたような声を出した。
「……え、えっと、それは、その、兄貴ッスけど」
「夏彦?」
この前、帰りのバスの中で夏休みの予定は何もないと言っていた。
嘘をつかれた、とは思わなかった。
その時にはまだ予定に入ってなかったのかもしれないし、もしかしたら気を遣って敢えて言わなかった、という可能性もあるのだ。
僕は少し考えた後、夏鈴さんの誘いを断った。
「僕は遠慮しておくよ」
「マジッスか。つれないッスねー、センパイ」
「だってもしかしたら夏彦は夏鈴さんのためにがんばってその場所を確保したのかもしれないんだよ。本人から直に誘われてもいないのに軽々しく加わったりはできないって」
とは言いつつも、夏彦が僕を誘ってくることはたぶんないだろう。その気があるなら彼は予定が決まっていないうちから言ってきているはずだ。
「いやいや。愚兄のことを高く見積もりすぎッスよ。あいつは使ってなんぼなんスよ。道具だと思ってください。例えば十徳ナイフとか」
十徳ナイフってすごく便利なのでは、と思ったけれど、そんなことを言っていたら切りがない。。
「悪いけどどっちみち夏休みは受験勉強に集中しないといけないんだ。けっこう時間がないものなんだよ、受験を控えた三年生ってのは」
「センパイはいつも勉強してるから大学受験なんてきっと楽勝ッスよ」
「いやいや。そんな経験者は語る、みたいに言われても」
「ある意味、経験者ッスよ。この前、高校受験を終えたばかりッスからね。ちなみに勉強ってメリハリが大事ッス。適度に遊びを挟まないと効率は上がらないッスよ」
夏鈴さんの諦めの悪さは僕の予想以上だった。
このままでは埒が開かないので、僕は残っていたお菓子をそそくさと食べきった。そして「もう図書室を閉めないといけない時間だから」と言って場を切り上げた。
夏鈴さんは不満そうだったが、曲がりなりにも図書委員長がそう言ったら従わないわけにはいかない。
ちょっと強引だとは思ったけれど仕方がない。僕が大灯の花火に行くことは絶対にないのだから。
ところがこの直後、僕の意思は根本から覆される。
「あッ、そうッス!」
図書室を閉めるために閉架や窓の戸締まりをチェックしていたら、新刊棚を手持ち無沙汰に眺めていた夏鈴さんが急に声を上げた。
「ど、どうしたの?」
「オカルト。センパイ。オカルトッスよ!」
「だから何が?」
新刊棚の中には都市伝説についての本が混ざっていた。たぶんこれを見たのだろうけど、急に反応する理由がよくわからなかった。
「あれ、なんか意外と反応が淡白ッスね。センパイってオカルト好きじゃないんスか?」
「うん。別にこれといっては」
「兄貴がオカ研ってのは知ってるッスよね?」
「それは知ってる。遊びに行った時もその手の本が部屋に山積みだったし」
「だったらセンパイも多少は嗜みがあるわけッスよね? 兄貴曰く、グラビアと格闘技とオカルトが嫌いな男はいないって話ッスから」
「勝手なことを!」
兄のことを毛嫌いしているのに、どうしてこういうことは真に受けているのだろうか。偏ったことを吹き込んでいる夏彦もどうかしてるが、夏鈴さんも大概だ。
それでも大灯の花火から話題が逸れてくれて気が楽になった。
もしかしたら夏休み中に肝試しをやろう、とか言われるかもしれないが、それくらいなら応じないこともない。
が、夏鈴さんが次に言っ言葉は僕の精神を予期せず揺さぶった。
「大灯駅前の交差点に出るらしいッスよ、女子高生のユーレイが」
「――え?」
「去年、大灯花火大会の日に交通事故があったらしいんスよ。県外から来た車が信号待ちしていた女子高生を巻き込んだんだそうです。せっかく楽しみにしていた花火が見れなくなって、女子高生はずっとその交差点に現れるらしいんスね」
「………………」
夏鈴さんはそのことを僕が全然知らないと思って、流暢に説明を続けていった。
「こういう噂って事故の後にはまことしやかに語られたりするんですが、興味深いのは未だに目撃証言がポツポツと出てくることなんスよ。事故からもう一年くらい経つらしいのに」
「………………」
「あたしはユーレイって見たことないんスけど、もしかしたら花火の日、花火だけじゃなくてこのユーレイも見れるかもしれないッスよ。どうッスか? 花火とユーレイの豪華二本立てッス。これこそ【新元号】初めての夏を飾るのにうってつけなイベントじゃないッスか?」
「………………………」
足元に何かが落ちる音がした。
僕が持っていた図書室の鍵だった。
「……センパイ?」
僕が鍵を一向に拾わないので夏鈴さんが代わりに拾ってくれた。その直後、僕の顔を見て表情を曇らせた。
「ど、どうかしたッスか? あたし、何かまずいこと言ったスか?」
大丈夫、と言おうとしたのに言葉が喉に引っかかって出てこなかった。
耳の奥で雑音がする。
人混みの声。雑踏。そして救急車が走り去っていくサイレンの音。
僕は夏鈴さんに背を向けて言った。
「……ごめん。鍵、お願い。僕は先に一人で帰るから」
返事を待たずに図書室を出た。
僕は一年近く、記憶に蓋をしていた人の名前を心の中で呼んだ。
先輩。
那由多先輩。
テストの出来については概ね予想通りだった。校内の試験は出題範囲が限られているし、問題の傾向も把握しているので、準備さえ怠らなければ相応の点数が取れるようになっているのだ。
割り当てられていた教室の掃除を終えると、僕は図書室へ向かった。
去年と同じように今日は夏休み前は貸出業務と蔵書整理が重なっているのだった。
図書室には司書の先生と、夏鈴さんが待機していた。
「お疲れ様です。何か手伝うことはありますか?」
司書の先生に訊ねると、僕と夏鈴さんで貸出業務をするように指示された。去年と同じように、蔵書点検は先生が一人でするとのことだった。
僕は夏鈴さんとカウンターに並んで座った。
「今日は初めての期末考査で疲れてるはずなのに、手伝いに来てくれてありがとう。いつも助かってるよ」
「疲れてないので大丈夫ッスよ」
「流石は体育会系。体力あるね」
「だって全然勉強してなかったから、ただテストを解いただけッスもの」
「え? あ、そう」
あまり深く考えないことにして、僕は夏鈴さんと一緒に仕事をこなした。
普段よりも忙しかったけれど、去年の同じ日と比べたらかなり余裕を持って対処できた。
一時間ほどで人はほぼ来なくなった。
「今日は二人ともありがとう。せっかくだからゆっくりしていってちょうだい」
司書の先生がテーブルにお茶とお菓子を出して労をねぎらってくれた。
夏鈴さんがそれを見て目を丸くさせた。
「図書室って飲食可だったんスか?」
「本当は不可だよ」
「ってことはこれって犯罪なんじゃないッスか?」
「犯罪ってのは法を犯したことへの罰則だけど、図書室のルールは法律ではないよ」
「じゃあ校則に違反してるってことッスか? 校長先生に処罰されるんスか?」
司書の先生は僕らのやりとりを聞いてクスクスと笑い出した。
「湊くんもずいぶんと面白い後輩を発掘してきたのね」
「いえ、彼女は友人の妹で、もとから面識があったので委員会に入ってくれたんです」
「きっかけは様々だけど、しっかりついてきてくれるってことは湊くん本人の人望じゃないかしら?」
「でも他には誰も来てくれませんでしたけど?」
本来、今日の仕事も図書委員同士で適切に分担するべきものだった。要するに図書委員長の求心力が低すぎるのだ。
「おっと。別の仕事が残ってるのを思い出したわ。職員室に行かないと」
返答に窮したのか、司書の先生は慌てて席を立った。
「あ、でも二人は残りのお菓子を食べるまでいていいから。あとは鍵をお願いね」
僕はそろそろ帰ろうかと思っていたけれど、出された菓子を食べきらないと悪いみたいになってしまった。仕方がなく残りのものを口に運んでいると、夏鈴さんなぜか張り合うように食を進めてきた。
「センパイはッ!(もぐもぐ)」
「夏休みはッ!(もぐもぐ)」
「どんな予定ッ!(もぐもぐ)」
「ッスか!?(ごくん)」
「勉強」
僕は簡潔に答えた。それ以外に確かな答えが何ひとつなかったからだ。
「そんな一言で終わっちゃう夏でいいんスか? 今年は【新元号】初めての夏なんスよ!」
僕は思わず笑いそうになった。とことん発言や思考回路が似ている兄妹だ。
もっともそれを言うと嫌がるのは目に見えていたので黙っていた。
「【新元号】最初の夏、ねえ。去年は『平成最後の夏』なんて持て囃されてたけど、いったい何が違うっていうんだろう」
もちろんそこに具体的な違いなんてない。気持ちの問題なのだ。
しかし夏鈴さんは自信満々に断言した。
「そこは全然違うッスよ。始まりと終わりじゃスタートとゴールくらい違うッス」
流石は元陸上部。なんだかそれっぽいことを言ってきた。いや、でもよく考えるとわからない。
「抽象的なことじゃなく、具体的には?」
「え? 抽象? 具体? え、ええと、たぶん新鮮味があるってことじゃないッスかね」
「それは抽象」
「あ、じゃあ、花火。花火ッスよ。夏といったらやっぱり花火ッスよね!」
「別に花火は毎年打ち上げられてると思うけど?」
「……え? で、でもッスね。そうだ、思い出した。センパイ、大灯の花火って知ってるッスか?」
返事を躊躇わなかった、と言ったら嘘になる。だけど夏鈴さんは何も知らないだろうから、僕は素知らぬ振りを通すことにした。
「知ってる。有名だよね」
「見たことはあるッスか?」
「直接は見たことないね」
「奇遇ッスね。それならご一緒にいかがッスか? あたし、中学の頃からずっと高校生になったら行きたいって思っていたんスよ」
「すごく混むらしいよね。下手すると花火よりも人ばかり見て終わりかねないとか」
「確かにそうッスね。去年、うちの愚兄はそれでやらかしたんスよ。SNSで知り合った女を連れて出かけたのに、ノープランすぎて鑑賞場所を確保できず、泣きべそかきながら帰ってきたんス」
「あ、ああ。そうなんだ」
上手くいかなかった、というのは察していたけれど、そこまで悲惨なことになっていたとは知らなかった。まあ、話が盛られている可能性はあるけれど。
「やっぱり行くのは難しいんじゃないかな」
「ご安心を! それは去年の愚兄の話ッス。実は今年は観覧場所を既に押さえているんスよ。そこなら打ち上げ会場から近く、周囲の混雑もなく、出前迅速落書無用なこと間違いなしッス!」
「有料席ってこと?」
「違います。無料ッス。あくまで今年だけの特等席ッス。チャンスは【新元号】最初の今年だけなんスよ!」
行き当たりの嘘をついているようには見えなかった。でもそんなに良い場所が簡単に確保できるとも思えなかった。
「それって夏鈴さんが自分で用意したわけ?」
ぐっ、と夏鈴さんは喉にさつまいもでも詰まらせたような声を出した。
「……え、えっと、それは、その、兄貴ッスけど」
「夏彦?」
この前、帰りのバスの中で夏休みの予定は何もないと言っていた。
嘘をつかれた、とは思わなかった。
その時にはまだ予定に入ってなかったのかもしれないし、もしかしたら気を遣って敢えて言わなかった、という可能性もあるのだ。
僕は少し考えた後、夏鈴さんの誘いを断った。
「僕は遠慮しておくよ」
「マジッスか。つれないッスねー、センパイ」
「だってもしかしたら夏彦は夏鈴さんのためにがんばってその場所を確保したのかもしれないんだよ。本人から直に誘われてもいないのに軽々しく加わったりはできないって」
とは言いつつも、夏彦が僕を誘ってくることはたぶんないだろう。その気があるなら彼は予定が決まっていないうちから言ってきているはずだ。
「いやいや。愚兄のことを高く見積もりすぎッスよ。あいつは使ってなんぼなんスよ。道具だと思ってください。例えば十徳ナイフとか」
十徳ナイフってすごく便利なのでは、と思ったけれど、そんなことを言っていたら切りがない。。
「悪いけどどっちみち夏休みは受験勉強に集中しないといけないんだ。けっこう時間がないものなんだよ、受験を控えた三年生ってのは」
「センパイはいつも勉強してるから大学受験なんてきっと楽勝ッスよ」
「いやいや。そんな経験者は語る、みたいに言われても」
「ある意味、経験者ッスよ。この前、高校受験を終えたばかりッスからね。ちなみに勉強ってメリハリが大事ッス。適度に遊びを挟まないと効率は上がらないッスよ」
夏鈴さんの諦めの悪さは僕の予想以上だった。
このままでは埒が開かないので、僕は残っていたお菓子をそそくさと食べきった。そして「もう図書室を閉めないといけない時間だから」と言って場を切り上げた。
夏鈴さんは不満そうだったが、曲がりなりにも図書委員長がそう言ったら従わないわけにはいかない。
ちょっと強引だとは思ったけれど仕方がない。僕が大灯の花火に行くことは絶対にないのだから。
ところがこの直後、僕の意思は根本から覆される。
「あッ、そうッス!」
図書室を閉めるために閉架や窓の戸締まりをチェックしていたら、新刊棚を手持ち無沙汰に眺めていた夏鈴さんが急に声を上げた。
「ど、どうしたの?」
「オカルト。センパイ。オカルトッスよ!」
「だから何が?」
新刊棚の中には都市伝説についての本が混ざっていた。たぶんこれを見たのだろうけど、急に反応する理由がよくわからなかった。
「あれ、なんか意外と反応が淡白ッスね。センパイってオカルト好きじゃないんスか?」
「うん。別にこれといっては」
「兄貴がオカ研ってのは知ってるッスよね?」
「それは知ってる。遊びに行った時もその手の本が部屋に山積みだったし」
「だったらセンパイも多少は嗜みがあるわけッスよね? 兄貴曰く、グラビアと格闘技とオカルトが嫌いな男はいないって話ッスから」
「勝手なことを!」
兄のことを毛嫌いしているのに、どうしてこういうことは真に受けているのだろうか。偏ったことを吹き込んでいる夏彦もどうかしてるが、夏鈴さんも大概だ。
それでも大灯の花火から話題が逸れてくれて気が楽になった。
もしかしたら夏休み中に肝試しをやろう、とか言われるかもしれないが、それくらいなら応じないこともない。
が、夏鈴さんが次に言っ言葉は僕の精神を予期せず揺さぶった。
「大灯駅前の交差点に出るらしいッスよ、女子高生のユーレイが」
「――え?」
「去年、大灯花火大会の日に交通事故があったらしいんスよ。県外から来た車が信号待ちしていた女子高生を巻き込んだんだそうです。せっかく楽しみにしていた花火が見れなくなって、女子高生はずっとその交差点に現れるらしいんスね」
「………………」
夏鈴さんはそのことを僕が全然知らないと思って、流暢に説明を続けていった。
「こういう噂って事故の後にはまことしやかに語られたりするんですが、興味深いのは未だに目撃証言がポツポツと出てくることなんスよ。事故からもう一年くらい経つらしいのに」
「………………」
「あたしはユーレイって見たことないんスけど、もしかしたら花火の日、花火だけじゃなくてこのユーレイも見れるかもしれないッスよ。どうッスか? 花火とユーレイの豪華二本立てッス。これこそ【新元号】初めての夏を飾るのにうってつけなイベントじゃないッスか?」
「………………………」
足元に何かが落ちる音がした。
僕が持っていた図書室の鍵だった。
「……センパイ?」
僕が鍵を一向に拾わないので夏鈴さんが代わりに拾ってくれた。その直後、僕の顔を見て表情を曇らせた。
「ど、どうかしたッスか? あたし、何かまずいこと言ったスか?」
大丈夫、と言おうとしたのに言葉が喉に引っかかって出てこなかった。
耳の奥で雑音がする。
人混みの声。雑踏。そして救急車が走り去っていくサイレンの音。
僕は夏鈴さんに背を向けて言った。
「……ごめん。鍵、お願い。僕は先に一人で帰るから」
返事を待たずに図書室を出た。
僕は一年近く、記憶に蓋をしていた人の名前を心の中で呼んだ。
先輩。
那由多先輩。