20 屋台
文字数 3,613文字
路地裏から出ると、道幅の広いメインストリートに出た。
周りには花火に向かう人の流れがあったので、僕らは同じように会場の方向を目指すことにした。
さっきまで暗くて狭い場所にいたせいか、辺りが明るいと急に現実感が戻ってきた。
すると今度は先輩は本当に幽霊なのか、と疑わしくなってきた。
「なんだかさっきから視線を感じるんだよね」
こっそり見ているつもりがあっさりバレていた。
「そんなにわたしの浴衣姿が気になるのかな? ワタシ、キレイ?」
「それは幽霊じゃなくて口裂け女の台詞じゃないですか」
「どっちもオカルト繋がりってことで」
「いや、改めて考えてみたら幽霊らしいところを見てないなって思いまして」
ああ、と那由多先輩は納得したように言った。
「言われてみれば確かにそうだね。でも、自分で言うのもなんだけど、実はあんまりないんだよね。幽霊としての自覚、みたいなの」
「宙に浮いたり、壁をすり抜けたりはできないんですか?」
「どうだろうね。ちょっと実践してみようか」
那由多先輩はそう言うなり、歩道の縁石に上がってジャンプした。
「ちょ、ちょっとなにしてるんですか?」
「浮かんだ? いや、駄目か。むしろ普段よりも全然飛べないね。きっと浴衣のせいだよ。動きづらい。もう一回試して……」
「いや、飛べないのはわかりましたからやめてください。周りの人たちから見られてますって!」
「うん?」
周りの通行人がチラチラと僕らを伺ってきていた。特に小学生くらいの男の子の凝視が凄かった。
「違うね。わたしは見られていないよ?」
「いや、現に視線を集中砲火されているじゃないですか」
「ちゃんと視線を手繰り寄せてみいとさ、後輩くん」
「え?」
振り返ると大人たちは素早く視線を反らした。
男の子だけは遠慮がなく、依然として凝視を続けていた。その迷いのない視線をたどると、先輩ではなく隣の僕に来ていることがわかった。
「今のは一人で喋っているキミを見ていたんだよ」
「………………」
理解するのに時間がかかっていると、母親らしき人が慌てたように男の子の手を引いて離れていった。まるで危ない人から遠ざけるように。
「……あ、あー」
理解が追いつくのと一緒に羞恥心もやってきた。
「まあ、そんなに気にしないでいいよ。独り言を言ってるヤバい人って思われたかもしれないけど、どうせ知らない人たちなわけだしさ。結果的にわたしが他の人には見えてないことがわかってよかったじゃないか」
それにしても困ったのはここからだった。
先輩と喋れなくなったからだ。
先輩が他の人に見えていないということは、僕が先輩と会話をすると、今のように一人で喋っているように周りから見られてしまう。
花火会場に向かうにつれて人の数はどんどん増えていくだろう。
せっかく先輩と花火を見に行くのに会話が一切できないのは辛い。かといって痛い人だと思われるのも懲り懲りだ。
悩んでいたら那由多先輩が僕の思考を読んだようだった。
「スマホで通話しているフリをすればいいんだよ」
八方塞がりの状況かと思いきや、あっさりと那由多先輩が解決策を挙げた。
僕は早速スマホを取り出して耳に当てた。
「も、もしもし?」
「はい。どう?」
周りを伺ったけれど、誰もこちらを見てくる人はいなかった。
「最適解すぎてぐうのねも出ません」
「キミって敏いのか鈍いのかよくわからないよね」
「僕もそう思います」
ひとまず気を取り直して進んでいくと、通りが二手に分かれていた。
右手側は屋台が立ち並ぶ大通りで、左手側は幅の狭い生活道路だった。
「どっちの道を通りますか? 歩きやすそうなのは左手側のようですけど」
「ねえ、後輩くん。花火大会って花火を見るだけのものかな?」
「え、だけ? って言われるとそうでもないような気がしますが」
「花火大会は花火のみにて見るにあらず。屋台も合わせて楽しむものだよ」
「でも、ちょっと人が多すぎませんか? 先輩の姿が見えてないなら、周りからぶつかられたりしませんかね?」
「それはきっと大丈夫なんじゃないかな。試してみよう」
那由多先輩はおもむろに僕に手を差し出してきた。
それは僕に一年前の改札での出来事のことを思い出させた。
「なにボーッとしてるの? 握ってよ」
言われるがままに僕は手を伸ばして先輩の手を握ろうとした。
が、僕の手は3D映像をかすめるように抜けていった。
「やっぱりだね。これで人混みの心配はなくなったね。幽霊の役得だ」
先輩はまるで利点を挙げるみたいに言った。
確かにそれは人混みの中を歩くには都合がいいかもしれない。邪魔にならないし、邪魔にされない。でも僕は素直に喜ぶことはできなかった。
「さ、行こう。屋台を回るのなんて久しぶりだからワクワクするね」
先輩は率先して屋台の通りへと進み出した。
「ちょ、ちょっと待ってください」
先輩の軽快な足取りで人混みをすり抜けていく。
幽霊の能力を活かしているかと思いきや、先輩は華麗に人をよけながら進んでいた。
僕は必死に先輩についていかならなければならなかった。
「焼きそば、たこ焼き、お好み焼き。やっぱり粉物勢は強いね」
先輩は目についた屋台の名前を歌うように読み上げていく。
「それを言ったらあれもけっこう強いですよ」
僕はフライドポテトとじゃがバターとトルネードポテトの屋台を指さした。
「じゃがいも勢か。確かにあなどれないね。流石は悪魔の植物って呼ばれただけのことはあるよ。でも、屋台で外せないのはあれかな」
那由多先輩が指さしたのは焼き鳥の屋台だった。前を通りかかると煙と一緒にいい匂いが鼻をかすめた。
「やっぱり肉は体の資本だよ。あ、でもカワやレバーもある。わたし副生物も好きなんだよね」
「ふく……生物?」
「枝肉を取って残った部位。要するにホルモンのことだよ」
「そんな呼び方、初めて聞きましたよ」
「知識が増えてよかったじゃないか。というわけで買って」
「え、あ、はい。というか、注文する前にひとつ確認していいですか?」
「一つでも二つでもなんなりと」
「今の先輩って何か食べれるんですか?」
「そんなの当たりま……」
那由多先輩はそう言いかけたものの、途中で我に返ったような表情になった。
「……えでもないね。食事は物理だから。はは」
なんだか水を注してしまったようになってしまった。もっとも買ってから気づくよりはましな気がした。
ところが先輩は諦めなかった。
「でも、買って」
「え? だって今、無理って言ったじゃないですか」
「わたしは無理でも、キミは食べられるだろう?」
「それはそうですけど、なんだか悪いですよ。僕だけ食べるのって」
「大丈夫だよ。キミが気づかないうちにおすそわけガムを食べさせておいたから」
「え、それドラえもんの道具のことですか?」
「そうそう。食べさせた相手と味覚を共有するひみつ道具」
「でも、そんなのいつの間に?」
「幽霊だからね。すり抜けて口の中に入れるくらいわけないさ」
「……わかりました」
ひみつ道具は現実にはない、なんて野暮なことを言っても仕方がない。
僕は屋台の列に並んだ。列には五、六人ほど客が並んでいたけれど、ちょうどよくまとめて焼き上がったようで、一気に列が進んだ。
「何を頼めばいいですか?」
「悔いを残したくないから全種類」
「僕が全部食べなきゃいけないんですよね?」
「もちろん。食い残さないようにね」
僕は先輩に言われた通り、屋台のメニューをすべて注文した。
ねぎま、レバー、砂肝、ホルモン、ハツ。ハツってなんだ?
「ハツってのは心臓のことだね。要はハートだね。スーパーではよく見かけるけど、屋台では初めて見たよ」
商品を受け取って焼き鳥屋を離れると、先輩は今度は向かいにある塩唐揚げの屋台を指さした。
「あっちも買おうよ。塩ってのが気になる」
「いきなり鶏肉がかぶってるじゃないですか」
「固いこと言わないでよ。きっと柔らかくてジューシーだよ」
「あんまり上手いこと言えてないじゃないですか。それに食べるのは僕ですよね? あんまり暴飲暴食させないでください」
「キミ、食べ盛りの高校生のくせに何を言ってるんだよ」
そんな押し問答をしていたら、唐突に上空で何かが弾けた。
見上げると色のついた煙が帯状に広がっている。
周りの人たちも不思議そうに眺めていたが、誰かが「昼花火だ」と言ったのが聞こえた。
「ああ。これがあの昼花火なのね」
「先輩、知ってるんですか?」
「チラッと聞いたことがあるくらいだね。見るのは初めてだよ」
花火というよりも狼煙に近い気もしたけれど、煙には様々な色がついていて、これはこれで面白いと僕は思った。
周りには花火に向かう人の流れがあったので、僕らは同じように会場の方向を目指すことにした。
さっきまで暗くて狭い場所にいたせいか、辺りが明るいと急に現実感が戻ってきた。
すると今度は先輩は本当に幽霊なのか、と疑わしくなってきた。
「なんだかさっきから視線を感じるんだよね」
こっそり見ているつもりがあっさりバレていた。
「そんなにわたしの浴衣姿が気になるのかな? ワタシ、キレイ?」
「それは幽霊じゃなくて口裂け女の台詞じゃないですか」
「どっちもオカルト繋がりってことで」
「いや、改めて考えてみたら幽霊らしいところを見てないなって思いまして」
ああ、と那由多先輩は納得したように言った。
「言われてみれば確かにそうだね。でも、自分で言うのもなんだけど、実はあんまりないんだよね。幽霊としての自覚、みたいなの」
「宙に浮いたり、壁をすり抜けたりはできないんですか?」
「どうだろうね。ちょっと実践してみようか」
那由多先輩はそう言うなり、歩道の縁石に上がってジャンプした。
「ちょ、ちょっとなにしてるんですか?」
「浮かんだ? いや、駄目か。むしろ普段よりも全然飛べないね。きっと浴衣のせいだよ。動きづらい。もう一回試して……」
「いや、飛べないのはわかりましたからやめてください。周りの人たちから見られてますって!」
「うん?」
周りの通行人がチラチラと僕らを伺ってきていた。特に小学生くらいの男の子の凝視が凄かった。
「違うね。わたしは見られていないよ?」
「いや、現に視線を集中砲火されているじゃないですか」
「ちゃんと視線を手繰り寄せてみいとさ、後輩くん」
「え?」
振り返ると大人たちは素早く視線を反らした。
男の子だけは遠慮がなく、依然として凝視を続けていた。その迷いのない視線をたどると、先輩ではなく隣の僕に来ていることがわかった。
「今のは一人で喋っているキミを見ていたんだよ」
「………………」
理解するのに時間がかかっていると、母親らしき人が慌てたように男の子の手を引いて離れていった。まるで危ない人から遠ざけるように。
「……あ、あー」
理解が追いつくのと一緒に羞恥心もやってきた。
「まあ、そんなに気にしないでいいよ。独り言を言ってるヤバい人って思われたかもしれないけど、どうせ知らない人たちなわけだしさ。結果的にわたしが他の人には見えてないことがわかってよかったじゃないか」
それにしても困ったのはここからだった。
先輩と喋れなくなったからだ。
先輩が他の人に見えていないということは、僕が先輩と会話をすると、今のように一人で喋っているように周りから見られてしまう。
花火会場に向かうにつれて人の数はどんどん増えていくだろう。
せっかく先輩と花火を見に行くのに会話が一切できないのは辛い。かといって痛い人だと思われるのも懲り懲りだ。
悩んでいたら那由多先輩が僕の思考を読んだようだった。
「スマホで通話しているフリをすればいいんだよ」
八方塞がりの状況かと思いきや、あっさりと那由多先輩が解決策を挙げた。
僕は早速スマホを取り出して耳に当てた。
「も、もしもし?」
「はい。どう?」
周りを伺ったけれど、誰もこちらを見てくる人はいなかった。
「最適解すぎてぐうのねも出ません」
「キミって敏いのか鈍いのかよくわからないよね」
「僕もそう思います」
ひとまず気を取り直して進んでいくと、通りが二手に分かれていた。
右手側は屋台が立ち並ぶ大通りで、左手側は幅の狭い生活道路だった。
「どっちの道を通りますか? 歩きやすそうなのは左手側のようですけど」
「ねえ、後輩くん。花火大会って花火を見るだけのものかな?」
「え、だけ? って言われるとそうでもないような気がしますが」
「花火大会は花火のみにて見るにあらず。屋台も合わせて楽しむものだよ」
「でも、ちょっと人が多すぎませんか? 先輩の姿が見えてないなら、周りからぶつかられたりしませんかね?」
「それはきっと大丈夫なんじゃないかな。試してみよう」
那由多先輩はおもむろに僕に手を差し出してきた。
それは僕に一年前の改札での出来事のことを思い出させた。
「なにボーッとしてるの? 握ってよ」
言われるがままに僕は手を伸ばして先輩の手を握ろうとした。
が、僕の手は3D映像をかすめるように抜けていった。
「やっぱりだね。これで人混みの心配はなくなったね。幽霊の役得だ」
先輩はまるで利点を挙げるみたいに言った。
確かにそれは人混みの中を歩くには都合がいいかもしれない。邪魔にならないし、邪魔にされない。でも僕は素直に喜ぶことはできなかった。
「さ、行こう。屋台を回るのなんて久しぶりだからワクワクするね」
先輩は率先して屋台の通りへと進み出した。
「ちょ、ちょっと待ってください」
先輩の軽快な足取りで人混みをすり抜けていく。
幽霊の能力を活かしているかと思いきや、先輩は華麗に人をよけながら進んでいた。
僕は必死に先輩についていかならなければならなかった。
「焼きそば、たこ焼き、お好み焼き。やっぱり粉物勢は強いね」
先輩は目についた屋台の名前を歌うように読み上げていく。
「それを言ったらあれもけっこう強いですよ」
僕はフライドポテトとじゃがバターとトルネードポテトの屋台を指さした。
「じゃがいも勢か。確かにあなどれないね。流石は悪魔の植物って呼ばれただけのことはあるよ。でも、屋台で外せないのはあれかな」
那由多先輩が指さしたのは焼き鳥の屋台だった。前を通りかかると煙と一緒にいい匂いが鼻をかすめた。
「やっぱり肉は体の資本だよ。あ、でもカワやレバーもある。わたし副生物も好きなんだよね」
「ふく……生物?」
「枝肉を取って残った部位。要するにホルモンのことだよ」
「そんな呼び方、初めて聞きましたよ」
「知識が増えてよかったじゃないか。というわけで買って」
「え、あ、はい。というか、注文する前にひとつ確認していいですか?」
「一つでも二つでもなんなりと」
「今の先輩って何か食べれるんですか?」
「そんなの当たりま……」
那由多先輩はそう言いかけたものの、途中で我に返ったような表情になった。
「……えでもないね。食事は物理だから。はは」
なんだか水を注してしまったようになってしまった。もっとも買ってから気づくよりはましな気がした。
ところが先輩は諦めなかった。
「でも、買って」
「え? だって今、無理って言ったじゃないですか」
「わたしは無理でも、キミは食べられるだろう?」
「それはそうですけど、なんだか悪いですよ。僕だけ食べるのって」
「大丈夫だよ。キミが気づかないうちにおすそわけガムを食べさせておいたから」
「え、それドラえもんの道具のことですか?」
「そうそう。食べさせた相手と味覚を共有するひみつ道具」
「でも、そんなのいつの間に?」
「幽霊だからね。すり抜けて口の中に入れるくらいわけないさ」
「……わかりました」
ひみつ道具は現実にはない、なんて野暮なことを言っても仕方がない。
僕は屋台の列に並んだ。列には五、六人ほど客が並んでいたけれど、ちょうどよくまとめて焼き上がったようで、一気に列が進んだ。
「何を頼めばいいですか?」
「悔いを残したくないから全種類」
「僕が全部食べなきゃいけないんですよね?」
「もちろん。食い残さないようにね」
僕は先輩に言われた通り、屋台のメニューをすべて注文した。
ねぎま、レバー、砂肝、ホルモン、ハツ。ハツってなんだ?
「ハツってのは心臓のことだね。要はハートだね。スーパーではよく見かけるけど、屋台では初めて見たよ」
商品を受け取って焼き鳥屋を離れると、先輩は今度は向かいにある塩唐揚げの屋台を指さした。
「あっちも買おうよ。塩ってのが気になる」
「いきなり鶏肉がかぶってるじゃないですか」
「固いこと言わないでよ。きっと柔らかくてジューシーだよ」
「あんまり上手いこと言えてないじゃないですか。それに食べるのは僕ですよね? あんまり暴飲暴食させないでください」
「キミ、食べ盛りの高校生のくせに何を言ってるんだよ」
そんな押し問答をしていたら、唐突に上空で何かが弾けた。
見上げると色のついた煙が帯状に広がっている。
周りの人たちも不思議そうに眺めていたが、誰かが「昼花火だ」と言ったのが聞こえた。
「ああ。これがあの昼花火なのね」
「先輩、知ってるんですか?」
「チラッと聞いたことがあるくらいだね。見るのは初めてだよ」
花火というよりも狼煙に近い気もしたけれど、煙には様々な色がついていて、これはこれで面白いと僕は思った。