夢見石 ※

文字数 3,777文字

大つぶの雨がはげしく地面をうつ。
通り雨だ。きっとすぐ降りやむだろう。
雨やどりに軒先をかりたのは、学校からの帰り道沿いにポツンとたっている骨董品屋だ。骨董品を売るのにふさわしいレトロな建物で、ちょっと近よりがたい雰囲気をかもしだしているけど、このあたりで雨やどりできそうなのはここだけだった。
はげしい雨の音の中、ふとやさしい鈴の音色がきこえた。
「すごい雨だね。そこじゃ濡れちゃうだろ。中に入るといいよ」
ドアのすき間から声をかけられる。
その瞬間、ぼくは息をのんだ。
こんなにきれいな男の人、うまれてはじめて見た。
その人はすらりと背が高くて、目が大きくて鼻すじのとおった、はっきりした顔だちをしていた。肌は白くて、髪は明るい茶色でさらさらしていて、外国の血がまざっているような感じだ。
ぼくはドギマギしながら答えた。
「あの……ここで大丈夫です。すみません、かってに雨やどりなんかして」
「遠慮しなくていいから。さあ入って」
その人はぼくの制服の腕をつかみ、思いのほか強い力で店に引きずりこんだ。
「やっぱりかなり濡れちゃってるね。ちょっとまってて。タオル持ってくるから」
彼はそう言うと、ぼくの返事を待たずにおくの部屋へと姿を消した。
こまったな。こんなつもりじゃなかったのに。
そわそわと落ちつかない気分で店の中を見まわす。
壁ぎわに、装飾をほどこした木製のキャビネットが並んでいる。そのガラスの扉をとおして、高価そうな花瓶や絵皿やコーヒーカップのセットなどが見える。中央の台の上にはアクセサリーや雑貨類が、ところせましとにぎやかに飾られている。その中の、白くてまるい宝石のついた指輪がぼくの目を引いた。
これはなんていう宝石なんだろう。ミルクのように白くてなめらかで、表面に虹色の光沢がうかんでいる。虹色は、見る角度によって微妙に色合いをかえるようだった。とてもうつくしく、神秘的な石だ。どんな手ざわりなのかたしかめてみたくなって、その宝石に指をのばした。
「きれいだろ? オパールっていうんだよ」
とつぜん後ろから声をかけられ、おどろいて体がすくんだ。心臓が早鐘をうつ。
彼はぼくに近づいてすぐうしろに立つと、タオルで制服の肩のあたりをふきはじめた。緊張して硬直したように体をうごかせなくなり、されるがままに突っ立っていた。
「その指輪、気に入った?」
彼は話しながらタオルを徐々に下へ移動させ、ぼくの腕をふいていく。
「あ、はい。すごくきれいだなって……。でもあの、ちょっと気になっただけで、買いたいとかじゃないんですけど。金ないし」
「それでもうれしいよ。君みたいな若い子が、うちの商品に興味もってくれるだけで」
こんどはぼくの背中にタオルをぽんぽんとやさしく押し当てながら、腰のあたりまで丁寧にふいてくれた。
「じつはその指輪、ふしぎな力があるといわれててね……」
彼はおもむろに腕を前にまわして、ぼくの腹のあたりにタオルをあてがった。
うしろからかるく抱きしめられるような態勢になってしまい、たまらず体を離した。すると、あまりいきおいよく動いたせいで、目の前の台に腰をぶつけてしまった。
「いたっ」
「あっ! 大丈夫?」
「あ、はい、すみません」
「ぼくの方こそごめんね。びっくりさせちゃったみたいで」
「いえ、ほんとに大丈夫です。すみませんでした、色々と。ぼく、もう帰ります」
「そう? 雨はやんでるみたいだけど、もうちょっとゆっくり見ていけばいいのに」
「いえ、帰ります。用事あるんで。ありがとうございました」
なかばパニックを起こしたようになって、かろうじて頭を下げてあいさつすると、にげるようにドアを押し開けた。
「またおいで」
背中で声がしたが、ふり向きもせずに店を後にした。
店を出てからも、しばらく胸がドキドキしていた。
ずんずんと歩きながら、きれいでやさしい彼の笑顔を思い出す。
あんなにとりみだしたりして、きっと変なやつだと思われただろうな。ちょっとはずかしいけど、まあいいや。べつに知り合いじゃないんだし、きっともう会うこともないんだ。もう忘れてしまおう。

気がつくと、ぼくは見おぼえのあるアンティークな調度品にかこまれていた。あの店の中にいるんだ。まわりにうっすらと白いもやがたちこめている。
なぜかわからないけど、ぼくは服を身につけていなくて、まったくの裸で立っていた。はやく服を着ないと、あの人に裸を見られてしまう。だけどどこに服を置いてきたのかどうしても思いだせない。
「またこんなに濡れちゃって。雨もふってないのに、いったいどうしたの?」
誰かが耳もとでささやいた。
いつのまにかあの人がすぐ後ろにいて、ぼくを抱きかかえるように腕を前にまわして、おなかのあたりを弄んでいる。長い指がすべるように動いて、すごくくすぐったい。
こんなことやめてもらわなきゃいけないのに、言葉がうまく出てこなかった。
そう思っているあいだにも、彼は少しずつ下の方へと指を動かしていく。
「あ……」
快感の波がおしよせて、吐息とともに甘い声がもれたあと、大つぶの雨がバラバラと床をたたくような音が響いた。
足もとに目をやると、たくさんの白い宝石の粒が、床を跳ねてころがっていった。

なにかの音がきこえる。
宝石の散らばる音じゃなくて、アラームのメロディのようだ。見なれた天井が見えて、頬にはなじんだ枕の感触があった。
ぼくの部屋のベッドの上だ。
またあの夢を見てしまった。羞恥心の底で、夢で感じた快楽を思い出そうとしている自分に気づいて、罪悪感のようなものをおぼえる。
あの店をおとずれた日の晩から、三日もつづけてあの淫らな夢を見ている。どうなっているんだろう。あの日の出来事はたしかに印象的だったけど、こんなにつづけて同じ夢を見るなんてどう考えてもおかしい。それに現実には体をふいてもらっただけだし、もちろん服だって脱いでない。当たり前だけど。
ベッドから起き上がる。おかしな夢のせいか、体がだるくて重かった。
きょうは月曜日。また一週間がはじまる。夢のことはひとまず忘れて気もちを切りかえないと。
一階におりて、顔を洗って朝食をすませると、部屋にもどって制服に着替えた。
ズボンのポケットにハンカチを入れようとしたとき、くしゃくしゃのハンカチが入っていることに気づいた。たまにやってしまうんだけど、また使ったハンカチを洗濯に出し忘れてしまったみたいだ。金曜日――あの店に行った日から入れっぱなしにしていたのだ。
ハンカチをひっぱりだしたとき、床の上でなにか固い音がした。
あの指輪だ。
フローリングの上に、あの店で見たオパールの指輪が落ちていたのだ。
どうしてポケットの中なんかに入っていたんだろう。もしかしたら台にぶつかったとき、はずみで転がって入ってしまったのかな。
はやく返しに行かないと。あの人は、きっと指輪がなくなったことに気づいているだろう。ぼくが盗ったと思われてたらいやだな。きょう学校の帰りに返しにいって、きちんと説明して謝ろう。
『その指輪、ふしぎな力があると言われててね……』
あの人がいいかけた言葉がふいに脳裏にうかんだ。
ふしぎな力……。
もしかしてあの夢は、この指輪のせいなんじゃないだろうか。この指輪は、持っている人に淫らな夢を見させる力をもっているとか?
まさかな。そんなばかなこと……。

学校からの帰り道、ぼくはあの骨董品店の前に立っていた。左手には例の指輪をしっかりとにぎりしめている。
心臓がドキドキする。
勇気をふりしぼって、ドアを引いた。ドアベルが澄んだ音をたてる。
「いらっしゃい。また来てくれたんだね」
カウンターの向こうにあの人が座っていて、ぼくを見てほほえんだ。
やっぱりすごくきれいで、思わず目をふせてしまう。
「あの……この前はありがとうございました。じつは、これがポケットに入ってて……」
ぼくはおずおずと左手をひらいて彼に指輪を見せた。
「ああ、君が持ってたのか。ないと思ってあちこち探したんだ」
「ごめんなさい。わざとじゃないんです。今朝、ポケットに入ってるのに気づいて」
「気にしないで。わざとだなんて思ってないよ。こうやって返しに来てくれたんだし。ありがとね」
彼はぼくの手の平から指輪をつまみあげると、台のところへ持っていって元通りに置いた。
「ところで、なにか変わったことはなかったかい?」
彼はぼくをふりかえってそう尋ねてきた。
すぐにあの夢のことを思い出したけど、彼に話せるわけがなかった。
「いえ、べつになにも……」
「そうか。じつはあの指輪はいわくつきの代物でね。持ってる人の願望を夢に見させる力があるといわれているんだ。でもやっぱり迷信なのかな。すこし残念だよ」
「願望を?」
淫らな夢を見させるわけじゃなくて、願望を夢に見させるのか?
だとしたら、あの夢はぼくの?
まさか! ちがう!
あんないやらしいこと、ぼくは考えたこともないのに!
「どうかしたの? もしかして夢のことなにか思い出した?」
彼は首をかしげてぼくの顔をのぞきこんでいた。
「ちがう……ぼくはあんな夢……」
「やっぱり見たんだね。どんな夢を見たの?」
彼はほれぼれするような美しいほほえみをうかべながら、ゆっくりと詰めよってきた。
「どうしたの? 顔が赤いよ」
長い指がぼくの頬をやさしくなでる。
「かわいいね」
妖しくきらめく彼の瞳に魅入られて、ぼくは身じろぎもできなかった。


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