5-1 わたし

文字数 3,454文字

『テーマ:ネット上での暴言』

 ホワイトボードに書くと、私は学生たちに向き直った。テーブルを囲んで着席した四人の学生が、背筋をぴんと立ててこちらを見ている。

「皆さんはあるシステム系の会社を運営しています。同僚のMさんが会社の悪口をネットで言いふらしていることがわかりました」
 ホワイトボードに、さらに書き込んだ。


『Mさんの行為をどう思うか。Mさんにどう対応すれば良いか。』


「これらの内容についてグループで討議し、結果をまとめて発表してください。討議時間は三十分、発表時間は七分です」

 開始を告げると、脇の面接官席に引っ込んだ。前園と寺田と並んで座り、学生たちがどう討議を進めるか審査する。
 学生たちは手馴れており、誰が係をやるか手早く決めた。グループディスカッションの役割については各社さまざまだが、大抵の場合、議論をまとめるリーダーと、時間管理を行うタイムキーパーについては共通している。

「リーダーになりましたので、私、林原が進行をしたいと思います。Mさんの行為をどう思うか、どう対応すればいいか。皆さん、意見はありますか?」

 林原忠志がはきはきと言って、ぐるりと一同を見回した。全員が様子を窺うように、誰からいこうか、と互いの顔を覗き込んだ。

 グループディスカッションは、その人が集団の中でどういう役割をこなすかをみるものだ。リーダーシップを発揮するタイプなのか、皆を補佐するタイプなのか。それぞれの適性を把握し、必要な人材を選ぶ指標とする。
 もちろん理想論だ。実際はわかりやすい言葉が一人歩きした結果、匙加減の難しいだけの椅子取りゲームになることがほとんどだ。印象が薄くなってはリーダーシップ不足と判断されるが、出すぎて他人を萎縮させても協調性不足とみなされる――学生たちは様子を窺い、自分の出方が最適かを常に計算する。

「えっと、みなさん意見はないでしょうか? 雪村さん、どうでしょう?」

 林原は脇の雪村里菜に振った。リーダーとしては仕方がないが、やや性急だ。微かな沈黙を議論の停滞と捉えた反応が、責任感は強いが余裕が足りない印象を与える。
 机の上には七星グループ標準のグループワーク評価シートが乗っている。私は手元の林原の性格特性チェックシートに目をやった。積極性をプラス一、落ち着きをマイナス一程度が第一印象。

「そうですね。私は、Mさんの行為は寂しさによるものだと思います」
 雪村里菜が歯切れよく言った。
「だから対応としては、Mさんが会社のどこに不満なのかを聞きだして、悩みを聞いてあげるのがいいと思います。会社の中に、自分に共感してくれる友達がいないことが問題なのではないでしょうか」
「なるほど」「そういうのはありますね」

 うんうん、と皆が頷きあう。同意から入り雰囲気を和らげるのが序盤の流れだ。ちなみに本当に同意しているかどうかは、相槌の頻度と首の傾け具合から概ね判断できる。

「他の人はどうですか」

 ここからが本番だ。全員の同意は議論の収束を意味し、終盤では好ましいが、開始三分で収束しては、議論が成り立たなかったという判断になる。学生もそれをわかっているから、好むと好まざるとに関わらず、序盤では誰かが反対意見や別の見方を提示することになるのだ。

 グループディスカッションは一幕の寸劇だ。面接官という観客の前で、彼らは見栄えの良い舞台を披露したいと願っている。
 だが定年まで演技し続けることなどできない。面接官が見たいのは、客を意識した演技ではない彼らの日常の姿だ。仮面を剥ぐために、議論という火種を放り込む。演技としての舞台を行っているうちに、彼らは段々と自分自身を出しはじめるのだ。

 さあ、死神は誰だ? 何を考えている?
 ネット上で暴言を吐く人間(じぶん)に関して、どういう意見を喋るのだ?

「誰か意見ある?」
「確かに話を聞くのはいいと思うんですが」
 と口火を切ったのは天峰章吾だ。
「Mさんの行為が寂しさによるものというのは、一概に言えないかなと思う」
「同感ですね」と林原忠志。「単純にそれがMさんの性格なのでは? 陰口を叩く人間って何処にでもいますし。その吐き場所が飲み屋でなくネット上だというだけで」
「問題は、ネットという場所なのかな」と久遠坂和之。「Mさんの言動が、仮に飲み屋でなされていたら、どう思いますか?」
「良いことではないけど、ある程度は仕方ないかな」と林原忠志。
「生活する上で愚痴を吐かない人間なんていませんしね」と雪村里菜。
「ネットだと問題で飲み屋だと構わないというのは、公の場と私的な場の違いにあるのかもしれない。Mさんは、ネットが公の場で誰もが見られるということへの、認識が足りないんだと思う」
 久遠坂和之が言った。

 雪村は『感情』に着目し、久遠坂は『認識』に言及している。まとまるだろうか。

「ネットって公の場?」
「誰でも見れるからね。その気になれば何億って人がアクセスできる。公の場だろう」
「公の場だったら、取り締まれないのかな」
「殺人予告とかなら逮捕例もあるけど」
「聞いたことあるな」
「結構逮捕者出てるね」
「ちょっと話が反れてるけど」
 雪村里菜が打ち切った。
「まとめると、どういうことなのかな。久遠坂さんの言うように、Mさんがネットを公の場と意識できてないとして、どう対応すればいいと考えますか?」
「会社の情報リテラシー教育を充実させるのがいいと思う」と久遠坂。「若い頃からルールとマナーを学べば、自然と身につくと思います」
「僕は最終的には話すしかないと思います」天峰が言った。「悪いことなんだときちんと伝える。腹を割って話せば相手もわかると思うんです」
 雪村は、「注意して聞くような相手だったら、初めからこんなことしないような気がするんだけど」
「それもわかります」
「まず共感から入ってあげないと、素直に納得できないんじゃないかな」
「そうだなあ」「確かにね」

〝共感派〟雪村が主導権を握る。だが彼女はメンバーが首肯しつつも納得はしていないことに不満げだ。そろそろ彼らの意識は観客の視線から離れ、目の前で展開するイベントに捕らえられはじめている。

 首を傾げていた林原忠志が、ぽつりと漏らした。「でも本当にそれでいいのかな。もう大人なんだし、馴れ合い的なのはちょっと違うんじゃない?」
 雪村里菜の表情が固まった。久遠坂と天峰が気付いて、口を閉ざした。
「学生と違って社会人の話なんだから。もう友達っていうんでもないでしょう」と林原。
「……いや、大人だからこそ人脈が大事になるんじゃ?」と雪村。
「確認なんだけど、Mさんの行為の是否については、皆さん、悪いことであるという認識でいいんですよね?」

 林原の問いに、皆が迷いなく頷いた。死神は問いかけたのか、頷いたのか。

「悪いことには、まず注意では? コミュニケーションが大事なのはわかるけど、大人として、毅然と注意することも必要だと思う」
「でもMさんにも言い分があると思う」と雪村。「それを無理やり押し込めると、余計酷くなるかもしれない」
「注意されてへそを曲げる人間を甘やかすのって正しいこと?」
「相手のモチベーションを保つのは重要なことじゃない?」「子供相手にはそうかもしれないけど、大人だよ?」「大人相手であっても上手い叱り方と下手な叱り方があるでしょう」「叱り方によってヘソを曲げるような人なら余計にびしっと言ってやらなくちゃいけないと思う」「それは逆効果だと思う」
「両方わかります」天峰がとりなした。「自分が注意されたときに受け入れることも、他人のモチベーションを保つ注意の仕方をすることも、どちらも必要だと思うんです」
「同感です」と久遠坂が続く。「その両方の違いを考えていくと、話が整理されるのではないでしょうか」

 その後の議論は、林原と雪村の意見の相違を軸に、多少の押し引きをする形で決着した。
 林原忠志がまとめた。
「まとめとしては、相手に率直に注意する。でも相手に配慮して、話も聞いてあげるってことだね」
 雪村里菜が続いた。
「そうですね。不満を聞いてあげることは重要。でも相手に知らせてあげることも必要だとわかりました」


 学生たちが出て行った後、寺田の評価シートを盗み見てみた。
 ドラえもんの横にドラミちゃんまでいた。
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