11-2 わたし

文字数 4,580文字

「失礼します」

 帰り支度をしていると、声とともにドアが開いた。
 振り返ると、面接のときと同じスーツ姿が立っていた。並んだ無人のデスクを見渡す。

「お忙しいところすみません。おひとりですか?」

 私は頷いた。

「横上さんに話したいことがあったので伺いました。他の方の耳に入れたくなかったので、失礼ですがお一人になられるまで待たせて頂きました」
「話したいこと?」
「面接評価裏クチコミサイトの書き込み、見ておられますよね?」
「ええ。殺人予告の件ですね。見ています。私への予告も拝見しました」

 私は正面から彼をみつめた。

「書き込んだ人物が誰かも、わかりました」
「どうされるおつもりですか」
「既に警察に通報しました。他に予告を受けた方が何人もいましたし、悪質だということで、早急に犯人逮捕にあたってくれるそうです。今ごろ特定を終えて、犯人の自宅に向かっていることと思います」
「……そうですか」

 彼はうつむいた。

「あいつが何を考えているのか、僕にもわかりません。ただこうやって人に迷惑をかけている以上、それで仕方ないと思います……」
「そういうのはもう結構です」

 彼は目を瞬いた。

「私が通報したのは、あなたです」
「僕を? どうして?」

 ふと、彼は私のPCのモニタを見やった。
 モニタにはメールが表示されたままだ。


【件名: Re:選考結果
 久遠坂和之です。選考結果のメールを読んだのですが、追伸以下に書かれている内容を見て、誤解されていると思い連絡しました。
 裏クチコミサイトにある書き込みは、僕が書いたものではありません。】


 メールを目で追う表情を私は見ている。


【選考結果については残念ですが、仕方ないと思って納得しています。僕が自分の考えを話した結果のことなので、悔いはありません。
 でも落とされる原因が、僕自身ではなくてこの書き込みなのだったら、納得いかないです。なんのために話をしたのかわからない。僕自身の言葉を聞いてほしいんです。】


「危うく、あなたの罠に引っ掛かるところでした」

 棒立ちになって突っ立っている天峰章吾の背中に、私は声をかけた。

「確かに予告の内容は、久遠坂くんの体験に当てはまるものだった。ソルテットと陸瀬商事を受けたのも、コンクールで死の舞踏を演奏したのも久遠坂くんだった。でも書いたのはあなたです」

 すべては天峰が仕掛けた罠だったのだ。

「なぜやったのか――殺人予告の意図を考えてみれば、簡単なことでした」

 私は続けた。

「久遠坂くんには動機がないんです。彼が陸瀬商事の面接に合格していると聞いたときに気付くべきでした。不合格ならばともかく、合格を受けて殺人予告を書くなんて不自然です。殺人予告は、選考に落ちた憂さを晴らすためのものではない。そもそもあんな詩まで使ったものを、直情的な動機によって為されていると考えることが間違いだったんです」

 殺人予告は、別の意図を持って書かれたものだった。

「それを読んだ人間に、書いた者への悪印象を植えつけるために、書き込まれたものだったんです」

 次々と殺人予告をする奴がいる。その予告相手はすべて、久遠坂和之が受けた会社の人事だ。
 そんな情報を人事に与えて、得をするのは一体誰なのか。
 同じ大学で同じ職種を同じタームに受ける、ライバルの受験者だ。枠は一つしかなかったのだから。

「あなたは人事に久遠坂くんへの悪印象を植えつけるために、彼を装い、面接評価サイトへ殺人予告を書き込んだ。そして、各社の就活関係の情報交換スレッドへ書き込みへのリンクを貼り付け、人事を呼び寄せた」

 天峰と久遠坂は友人だ。就活の情報交換をしていただろう。久遠坂がどんな会社を受けたのか、その結果や内容も、天峰は把握していた。それを利用したのだ。

 天峰は久遠坂から聞き出した就活スケジュールを、死神の個人プロフィールに書き込んでおいた。スケジュールを見た人事は、自社を受ける人間だとわかれば、当然落とそうとするだろう。ネットで昔の記録を辿るかもしれない。面接で会社名を聞き出すかもしれない。人事がどんなに頑張っても、久遠坂がどんなに正直に喋っても、殺人予告は自動的に久遠坂に結びついていく仕掛け。

 本当の動機は、ライバル減らしなどではないのかもしれない。
 本当の動機は、ただ近しい友人を、近しいからこそ認められないその考えの違いを、自分にはどうしても持つことのできない信念そのものを、徹底的に潰そうという暗く強い意思なのではないか。

 死神は生者が羨ましいから骸骨を踊らせる。

「私は、正直な言葉には力があると思っています」

 本当の言葉は心に届く。幾百もの嘘の言葉より雄弁に。

「あなたも本当は、そのことをわかっていたんじゃないですか?」

 天峰は答えない。

「久遠坂くんの訴えを聞いて、私はやっと自分が利用されていたことに気付きました。私はあなたの演奏で踊ったりしません。私だけじゃない。みんな踊りません。みんな骸骨ではないのです」
「――――」

 天峰が口の中だけで何かを呟いた。

 勝負だ、と言ったようだった。

「信じてください」
 天峰は私の目を見つめた。
「僕は書いてない。書いたのは久遠坂だ」

 天峰が一歩こちらへと踏み出した。私は反射的に後ろへ下がった。天峰は立ち止まった。

「本人から直接、そう聞いたんです」
「……本人から?」
「久遠坂から裏クチコミサイトのアドレスを教えてもらったのは二週間ほど前です。ここで殺人予告をするって言ってきた」

 私は質問する。

「おかしいと思わなかったんですか?」
「もちろん理由を訊きました。久遠坂は笑って言いました。――理由なんて訊いてどうするんだ。大事なのは何故かじゃない。誰かでも、何かでも、いつかでも、どうやってかでもないって」
「意味がわからないですね」
「人をはぐらかすのが多い奴です。頭が良すぎて、考えてることをいちいち他人に説明するのが面倒くさいんだと思う。いつものことなので、放っておきました。何か考えがあるのかと思ったから。でも書き込みはエスカレートするだけだった」

 私への殺人予告を見て、もう我慢ができなくなった――それが天峰の主張だった。

「信じてください。嘘をついているのはあいつだ。僕は嘘なんてついてない」

 天峰章吾の言葉と表情は、真に迫っていた。私は自分の中で、久遠坂に触れかけていた針が、また揺れ始めるのを感じた。

「動機を教えてください」

 志望動機を訊くように、私は天峰にそう問い掛ける。人事の基本の問い。
 結局、ここに立ち返るのだ。

「久遠坂くんが殺人予告を書いたなら、その動機を教えてください」
「それは……」
「陸瀬商事の面接に合格している久遠坂くんが、豊橋敦子に殺人予告を書く動機。自分が犯人であることを隠しもせずに、むしろ通報してくれと言わんばかりの内容で、私に殺人予告を書く動機。それを教えてください」

 天峰の目をみつめる。動揺が感じられた。

 ――理由なんて訊いてどうするんだ、大事なのは何故かじゃない。

 そんなのは詭弁だ。
 動機があるはずだ。実利的なものでも、感情的なものでも。
 そうでなければ人はわかりあうこともできない。

「わかりません……。慌てるあなたたちを見て愉しんでいた、とか」
「一つ確認させてください」

 その瞳の中の良心を、面接の席での二人の言葉を信じた。
 この質問に平然と切り返すことができるなら、私は彼の嘘を見抜くことなどできない。

「あなたは、あなたの友達が、そういう人間であると思っている。そうですか?」

 天峰がはっと息を呑んだ。
 そのとき、PHSが鳴り始めた。

〈警察です。殺人予告の件になります。裏クチコミサイトのサーバのログを解析した結果、無事書き込んだ人物の身元が割れました。あなたの言ったとおりの人物でした〉

 私は天峰に聞こえるようにPHSを掲げた。

〈天峰章吾という人物です。自宅に向かいましたがいないようなので、横上さんの身の安全を考慮してご連絡さしあげました。なるべく人の多いところへいらしてください――〉

 天峰の足から力が抜け、椅子にへたりこんだ。

「警察を舐めすぎましたね。どうせ動かないと思っていたのでしょうが、きちんと捜査をしてくれました」

 天峰は顔をあげた。
「僕は嘘なんてついてない……」

 私はもうかける言葉を持たなかった。正直であることに絶望した天峰は、嘘を吐き続けていればそれで救われるのだと思い込んだのだ。
 世の中はそれほど酷くない。どこにも骸骨などいやしない。奏で続けるうちに周りが見えなくなった哀れな死神に、私は丁寧に一礼した。

「今後の天峰様の益々のご活躍をお祈りしております」



 部屋の入り口のドアが開け放たれると、踏み込んできた二人組みの男が、へたりこんだ天峰に警察手帳を見せて身体を抑えた。天峰は目を白黒させ、何か喚いたが、男が一喝するとすぐに大人しくなった。
 気配を感じて振り返ると、フロアの隅に立っている姿に見覚えがあった。
 久遠坂和之だ。事情を知って駆けつけたらしい。目の前の状況を呑み込みきれないのか、複雑な表情をしている。

「久遠坂」

 警察に引き立てられ、脇を通るとき、天峰が久遠坂に気付いた。
 その顔が泣きそうに歪む。陥れようとした友達に、それでも縋るように声をかける彼の姿は、酷く哀れに見えた。

「久遠坂。僕は」

 久遠坂は一瞬だけ、つられて哀しそうな顔をした。
 振り払うように天峰を見据えた。

「言っただろ。次はないって」

 久遠坂に睨みつけられ、天峰は立ち竦む。

「久遠坂……」
「天峰。きみは僕の友達だ。きみは優秀だ。それに最高にいいやつだ。いいやつすぎて、世の中に絶望してしまったことも知ってた。でも僕は、きみは立ち直ると信じてた。僕だって――」

 握りしめた拳が震える。

「僕だって正直に生きてきて、いっぱい馬鹿をみたよ。嘘をついて生きればいいやと思ったことだって、沢山あったさ。でもそんな風に生きても虚しいだけだと思ったから、正直なままでどう生きていけるか考えて努力している。きみはなんだよ。いいか天峰、僕は、きみが僕を陥れようとしたことを怒ってるんじゃない。自分を信じて努力することを、そんな簡単なことを、どうしてきみほどの奴がやれなかったのか、それが悔しくて怒ってるんだ」
「…………」
「おまえだって、ほんとは嘘を見抜いてほしかったんだろ」

 久遠坂が天峰の目を見て、穏やかに笑った。
「これが結果だぜ」

「……ああ」

 つられて一瞬だけ、天峰が苦笑めいた表情を浮かべた。

「そうだな」

 世の中を信じきれなかった自分の小ささに、恥じ入るような笑みだった。

 そうだ。あなたたちはまだ若い。社会を見限るのは早い。こんなにも自分を信頼してくれている友達もいるじゃないか。

 天峰のまなじりから涙がこぼれた。
 大粒の涙が、ぽろぽろと床を濡らした。
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