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文字数 1,745文字
「ほんとにこいつのブログなの?」
雄大が履歴書の写真に目を落としたまま言った。
「うん。今日の記事に、明日面接予定の会社の話題が出てるんだけど、うちのことだよ」
履歴書に記された名前は、久遠坂和之。東征大学材料科学科の四回生だ。スーツを着てネクタイを締めた線の細い顔が、履歴書の写真の中からこちらを見返している。
『就活日記』というタイトルのブログだった。プロフィール欄の名前は『クオンザカ』。大学名や学科名も記述されており、履歴書と一致する。まだ新しいブログで、内容は就職活動における備忘録かつ愚痴日記といったものだった。
並んだ記事の一つ、一昨日の記事が問題だった。
【東京都大田区の株式会社××テ×ト人事の○岡彰を殺害する。罪名はくだらない面接と偏見で不当に他人を評価した罪。ナイフで刺殺する。】
最新の記事には、明日受ける会社として、七星システムズの名前があった。
早紀は明日の受験者全員の履歴書のコピーを持っている。久遠坂和之の履歴は、ブログのプロフィールに記されたものとぴったり一致した。
「誰かに相談した?」
「前園部長に話してはみたんだけどね。流し見して、眉しかめて、これだからネットは、って」
「それだけ?」
「あまりこういうの、見たくないみたい」
「そういう問題かなあ。一応、殺人予告だよ、これ」
ある程度以上の世代には、前園のような反応が多い。日常の中で蓄積された愚痴が吐き出される場所に、特別扱いを与えている酒好きの世代だ。
雄大は世代が違う。うーんと首を捻った。
「この頃では、ネットの書き込みに警察も目を光らせるようになってきてるんだけどね。実際、逮捕者も多く出てる」
「通報した方がいいのかな。親会社の指示を仰がないといけないけど」
「どうなりそう?」
「十中八九、通報するなって言われる」
七星本社人事部は、ネットプロファイル制度を公にしたくない。七星グループは、人に優しい企業グループ、をイメージ戦略の中心に据えている。リクルートについても、人間性を重視した選考を前面に打ち出すことにより、新卒の若者の心を捉えているのだ。そのイメージを損なうようなことは、本社からチェックが入る。
ネットでこそこそ嗅ぎ回っている――そんなイメージを避けたい本社は、通報して事を大きくしたがらない。ネットに目をつけている企業だからこそ、風評被害の危険性を軽視しない。子会社からあがった報告は、綺麗なカーブを描いて、毒気を抜かれた一番当たり障りのない返答として返ってくる。
「通報せず、該当学生は落とせ。それで終わりか」
雄大が唸った。
「まあ、それが一番無難な対応なんだろうな。ネットでの殺人予告なんて、実際のところ悪ふざけがほどんどだし」
「でも、この予告されている人はどうなるの」
早紀は納得がいかない。言うなれば、自分は第一発見者なのだ。自分が通報をしなかったことによって、万が一この予告相手が実際に殺されてしまったら、やりきれない。
雄大の言うように、ネットでの殺人予告は、大抵の場合、単なる悪ノリの極端な発露にすぎない。警察が動くのは、酒の席の悪ノリと違って、書き込みがデータとして残るからだろう。万一実際に問題となった際に、突き上げが具体的になり加速しがちだからだ。
早紀が怖いのも、その万一の可能性だった。問題は久遠坂が本気なのか否か、その一点だ。ただの悪ノリの類なのか、本当に殺意があるのか。後者ならば、本社がなんと言おうと、通報を行う義務があるはずだ。
ブログの簡素な書き込みからでは、その判断をつけることができない。
「本人に確認でもできればいいんだけどね」
雄大が苦笑した。
「メールアドレスもコメント欄もないし、まともな返答が得られるわけないだろうけど――」
「いや、それっていいアイデアかも」
早紀が指をさすと、雄大は目を瞬いた。
ブログの記述から真意は見えない。無味乾燥な情報から人間性を推し量ることなどできない。
それを見通すのが、早紀の本来の仕事だったはずだ。
「確認してみればいいんだよ。面接で」
履歴書の写真に貼られた久遠坂和之が、早紀をじいっと見上げていた。
雄大が履歴書の写真に目を落としたまま言った。
「うん。今日の記事に、明日面接予定の会社の話題が出てるんだけど、うちのことだよ」
履歴書に記された名前は、久遠坂和之。東征大学材料科学科の四回生だ。スーツを着てネクタイを締めた線の細い顔が、履歴書の写真の中からこちらを見返している。
『就活日記』というタイトルのブログだった。プロフィール欄の名前は『クオンザカ』。大学名や学科名も記述されており、履歴書と一致する。まだ新しいブログで、内容は就職活動における備忘録かつ愚痴日記といったものだった。
並んだ記事の一つ、一昨日の記事が問題だった。
【東京都大田区の株式会社××テ×ト人事の○岡彰を殺害する。罪名はくだらない面接と偏見で不当に他人を評価した罪。ナイフで刺殺する。】
最新の記事には、明日受ける会社として、七星システムズの名前があった。
早紀は明日の受験者全員の履歴書のコピーを持っている。久遠坂和之の履歴は、ブログのプロフィールに記されたものとぴったり一致した。
「誰かに相談した?」
「前園部長に話してはみたんだけどね。流し見して、眉しかめて、これだからネットは、って」
「それだけ?」
「あまりこういうの、見たくないみたい」
「そういう問題かなあ。一応、殺人予告だよ、これ」
ある程度以上の世代には、前園のような反応が多い。日常の中で蓄積された愚痴が吐き出される場所に、特別扱いを与えている酒好きの世代だ。
雄大は世代が違う。うーんと首を捻った。
「この頃では、ネットの書き込みに警察も目を光らせるようになってきてるんだけどね。実際、逮捕者も多く出てる」
「通報した方がいいのかな。親会社の指示を仰がないといけないけど」
「どうなりそう?」
「十中八九、通報するなって言われる」
七星本社人事部は、ネットプロファイル制度を公にしたくない。七星グループは、人に優しい企業グループ、をイメージ戦略の中心に据えている。リクルートについても、人間性を重視した選考を前面に打ち出すことにより、新卒の若者の心を捉えているのだ。そのイメージを損なうようなことは、本社からチェックが入る。
ネットでこそこそ嗅ぎ回っている――そんなイメージを避けたい本社は、通報して事を大きくしたがらない。ネットに目をつけている企業だからこそ、風評被害の危険性を軽視しない。子会社からあがった報告は、綺麗なカーブを描いて、毒気を抜かれた一番当たり障りのない返答として返ってくる。
「通報せず、該当学生は落とせ。それで終わりか」
雄大が唸った。
「まあ、それが一番無難な対応なんだろうな。ネットでの殺人予告なんて、実際のところ悪ふざけがほどんどだし」
「でも、この予告されている人はどうなるの」
早紀は納得がいかない。言うなれば、自分は第一発見者なのだ。自分が通報をしなかったことによって、万が一この予告相手が実際に殺されてしまったら、やりきれない。
雄大の言うように、ネットでの殺人予告は、大抵の場合、単なる悪ノリの極端な発露にすぎない。警察が動くのは、酒の席の悪ノリと違って、書き込みがデータとして残るからだろう。万一実際に問題となった際に、突き上げが具体的になり加速しがちだからだ。
早紀が怖いのも、その万一の可能性だった。問題は久遠坂が本気なのか否か、その一点だ。ただの悪ノリの類なのか、本当に殺意があるのか。後者ならば、本社がなんと言おうと、通報を行う義務があるはずだ。
ブログの簡素な書き込みからでは、その判断をつけることができない。
「本人に確認でもできればいいんだけどね」
雄大が苦笑した。
「メールアドレスもコメント欄もないし、まともな返答が得られるわけないだろうけど――」
「いや、それっていいアイデアかも」
早紀が指をさすと、雄大は目を瞬いた。
ブログの記述から真意は見えない。無味乾燥な情報から人間性を推し量ることなどできない。
それを見通すのが、早紀の本来の仕事だったはずだ。
「確認してみればいいんだよ。面接で」
履歴書の写真に貼られた久遠坂和之が、早紀をじいっと見上げていた。