5-2 わたし
文字数 3,926文字
「学生もだけど、面接する側の方も足並み揃えるべきだね、これは」
議事録と評価シートを見せると、雄大はそう言って苦笑した。業務を終えたあと社食で落ち合い、グループワークの様子を語って聞かせた。
「寺田部長と前園さん、評価バラバラだ」
評価シートを見やりながら、雄大が言った。
寺田は林原忠志の考えを支持し、雪村里菜については社会人になる者としての自覚が薄いと評した。前園は逆に、林原は持論に固執するあまり皆を萎縮させたと評し、雪村の他者への配慮を気にした意見を評価した。
人物特性については大抵意見が一致するが、結局、その評価についてはバラバラになることが多い。必然的に、面接結果は評議での各面接官の発言力や場の流れ、評価指標マニュアルとの合致度合いで決まることになる。
「で、誰が死神だと思います?」
雄大のわくわくとした声に、私は苦笑した。グループワークのテーマは、私と雄大で考えたものだ。ネットでモラルに反した書き込みをする架空の人物――このトピックで議論をするとなれば、殺人予告を書いた当人としては、自分を省みざるを得ないはず。そう踏んだのだ。
「僕はこの雪村という子が気になりますね」
雄大が言った。
「Mさんを庇うような発言ばかりしてる。死神としては、ネットで悪口を吹聴するMさんに対して、同情的な意見になると思うんです」
ここでも選評と同じく、意見が食い違う。
私の考えは逆だった。しゃあしゃあとネットとは真逆の意見を主張してくるのではないだろうかと思っていた。
「というと、Mさんに厳しい意見を言ってる林原ですか? 人ってそんな裏表使い分けられるもんです?」
「タカちゃん、嘘苦手そうだもんね」
「僕が嘘つくとしたら黙っちゃうかな。自分の考えを正直に喋れないから口数が減る。そういう意味ではあまり自分の意見を述べてない天峰も微妙かもしれない。場をまとめようとはしてるけど目立つ意見言ってないよね」
「天峰は素直に喋ってた印象だけどなあ。個人的な印象では、一番気になったのは久遠坂。隙がない感じで」
「全然絞り込めないじゃないですか」
雄大はお手上げと両手を上げた。
疑いはじめると誰もが怪しく見えてきてしまうものだ。
「死神の反応もまだありませんね」
ノートパソコンを操作し、雄大が死神のプロフィールページを呼び出す。討議を通して何か思うところがあれば、死神の書き込みにも現れるんじゃないかというのが二人の読みだった。殺人予告が単なる悪ノリで書かれたものならば、今頃消そうとしているかもしれない。
「そういえばタカちゃん、調べられないの? 死神の正体」
エンジニアの雄大は、私より遥かにパソコンの技術に詳しい。私が言うと、雄大は目を瞬いた。
「調べるって、どうやって」
「だって、警察は殺人予告を書き込んだ人間を特定できるんでしょ? ニュースとかでよくやってるじゃん。警察ができるなら、タカちゃんだってできるんじゃない? ハッキング? するとかさ」
「早紀さん、毎日利用してるくせにネットのこと知りませんね。警察がハッキングで捜査するわけないでしょ」
「じゃあ、どうやって捜査するの?」
「逆に質問ですけど、たとえば早紀さんがネットで読み書きしているデータって、何処から来ていると思ってますか」
「何処から来ている……?」
雄大はノートパソコンを手で示した。
「たとえば僕が誰かのブログを表示させる瞬間、このパソコンはそのブログのデータを、回線を通じて取りに行ってます。取りに行く先は、ブログのデータを持っている、一台のとあるコンピュータ。何処にあるかはわかりません。北海道か沖縄か世界の裏側か。僕がアクセスした瞬間、何処かに設置されたそのコンピュータが、かたかたっとディスクを動かして、応答してくれているわけですね。このコンピュータをWEBサーバと言ったりします。大切なのは、それが魔法でできているんじゃなくて、物理媒体だということです」
『ネットに書き込んでいる』と考えるから、漠然としすぎてわからなくなるんです、と雄大は言った。
「みんな『ネット』なんて壮大で曖昧なものを触ってるわけじゃない。『WEBサーバ』という一台のコンピュータに対して書き込んでいる。それを理解してないから、空に向かって叫ぶような感覚で殺人予告しちゃう。物理的な実体に書き込みしてるんだから、それが証拠として残るに決まってるでしょ」
なるほど、と思った。
警察は、ネットというよくわからないものを、魔法のようなハッキングなるもので捜査するわけではない。WEBサーバという物体を調べるわけなのだ。
「WEBサーバは管理会社のデータセンタに設置してあったり、個人が所有して運営している場合もあります」
「個人で?」
「ええ。ある程度技術に明るければ難しくないですよ。無料のレンタルサービスが沢山あるので、やる人は多くありませんけど」
なんとも難しい世界だ。
「警察がネット犯罪の捜査をする場合、まず該当するWEBサーバの管理者に連絡をとって、調べさせてくれと請求するわけです」
「うん」
「WEBサーバの何を見るかというと、WEBサーバは、アクセスされたとき、いま誰それに読み取られたぞという記録 を保存しているんですね。そのログを見ます。犯行現場に残された、痕跡というわけです」
「指紋みたいなもの?」
「そうです。付けられた正確な日時のわかる指紋。IPアドレスとも言います」
WEBサーバを一つの部屋だとすると、その部屋の中に犯人が残した指紋が、必ずログとして残る。
「警察はこれを採取します。あとはひたすら地道な作業です。現場から犯人の家までの道すがらには、同じ指紋がべたべたと付いているので、それを辿っていって書き込んだパソコンを特定します。隠す技術もないではないですが、完全に消し去るのは難しいですね」
なるほど、確かに警察は魔法で特定するのではない。ネットの犯罪捜査も、現実の犯罪捜査と同じように、地道な作業の積み重ねなのだ。
「まとめると、警察はWEBサーバから採取した指紋を使って捜査をする。逆に指紋にあたるログがなければ、警察も犯人を特定できないってことです」
「ログが手に入れば、タカちゃんでも犯人を特定できる?」
「サーバ管理者は警察以外にログを開示なんてしませんけどね。警察と同じ権限が貰えれば、僕でも特定できますよ」
「相手が凄いハッカーでも?」
「殺人予告なんて低俗なことする奴に、ハッカーなんていませんよ」
まるでハッカーを擁護するような口ぶりだ。
私がそう言うと、雄大は首を振った。
「擁護も何も、そもそもハッカーは一流のコンピュータ技術を持つ人間を指す尊称です。技術を悪用するのはクラッカーと呼びます。マイクロソフトのビル・ゲイツも、アップルのスティーブ・ジョブズも、グーグルのラリー・ペイジも、ハッカーと言えます。子供の頃から知的好奇心に溢れ、何か新しいことをやりたがった。ソフトウェアの世界を牽引するのは、常にそうしたハッカーたちです。凡人が百人集まるより、天才的なハッカー一人の思想が革新をもたらすのがソフトの世界です。まあ、得てして他人に理解されずに苦労する人が多いですけどね。新しいものの創造は既存の破壊と同義だったりしますから」
熱っぽい口調だった。技術者の雄大にとって、そうしたハッカーは憧れの存在なのかもしれない。
「彼らは技術の高みを登るのに純粋です。それを悪用して利益を得ようとか、俗っぽい価値観は彼らにはない。セキュリティホールを突破するようなハッカーもたまにいますが、高い山があるから登ってみようというような感覚ですね。彼らを動かすのは知的好奇心。どういう仕組みで動くのか、ということへの興味。純粋なんですよ」
熱っぽく語っていた雄大が、ふと、我を取り戻したように恥ずかしそうな顔をした。誤魔化すようにマウスに手をかけた。
「さて、更新されてるかな」
どれだけ想いを語っても、雄大も私もそんな天才ではない。組織の中で集まって、天才の一呼吸に及ばないとわかっていながら、それでも少しでも良い方向へ進むようにと、毎日をもがいているだけのただの凡人だ。天才は憧れの中だけの存在でいい。
雄大がサイトを更新した。マウスをクリックしたその一瞬で、どこか遠くに置かれた機械がカタカタ動いて応答しているなんて、私には実感が湧かない。
「どう? 更新されてる?」
「…………」
雄大は返事をしなかった。
しばらく画面を見やっていたが、やがてノートパソコンをテーブルの上でくるりと反転させると、こちらへ押しやった。
【投稿者:奏でる死神 〈○星シ○テ○ズ〉
ジグ、ジグ、ジグ 面接官の前 互いに互いを窺いながら
骸骨たちが鳴らす骨は茶番の調べ ジグ、ジグ、ジグ
生者のふりをする骸骨たちには 鼓動を打つ心臓は無い 髑髏に輝く眼球も無い
薄暗く湿った墓場に戻って 踊る踊りを楽しみにしている】
【投稿者:奏でる死神 〈陸○商○〉
ジグ、ジグ、ジグ 分厚い人体解剖図を広げた生者の前で
骸骨たちが鳴らす骨は不服の調べ ジグ、ジグ、ジグ
体を捩らせ 踊る骸骨ども 骨がかちゃかちゃと擦れ合う音
誰もが手をつなぎ 輪になって踊りながら 人事の○橋○子を殺害する
ジグ、ジグ、ジグ とっておきの髑髏を差し出しているのに
ジグ、ジグ、ジグ 載っている顔と違うと言うばかりだったから】
議事録と評価シートを見せると、雄大はそう言って苦笑した。業務を終えたあと社食で落ち合い、グループワークの様子を語って聞かせた。
「寺田部長と前園さん、評価バラバラだ」
評価シートを見やりながら、雄大が言った。
寺田は林原忠志の考えを支持し、雪村里菜については社会人になる者としての自覚が薄いと評した。前園は逆に、林原は持論に固執するあまり皆を萎縮させたと評し、雪村の他者への配慮を気にした意見を評価した。
人物特性については大抵意見が一致するが、結局、その評価についてはバラバラになることが多い。必然的に、面接結果は評議での各面接官の発言力や場の流れ、評価指標マニュアルとの合致度合いで決まることになる。
「で、誰が死神だと思います?」
雄大のわくわくとした声に、私は苦笑した。グループワークのテーマは、私と雄大で考えたものだ。ネットでモラルに反した書き込みをする架空の人物――このトピックで議論をするとなれば、殺人予告を書いた当人としては、自分を省みざるを得ないはず。そう踏んだのだ。
「僕はこの雪村という子が気になりますね」
雄大が言った。
「Mさんを庇うような発言ばかりしてる。死神としては、ネットで悪口を吹聴するMさんに対して、同情的な意見になると思うんです」
ここでも選評と同じく、意見が食い違う。
私の考えは逆だった。しゃあしゃあとネットとは真逆の意見を主張してくるのではないだろうかと思っていた。
「というと、Mさんに厳しい意見を言ってる林原ですか? 人ってそんな裏表使い分けられるもんです?」
「タカちゃん、嘘苦手そうだもんね」
「僕が嘘つくとしたら黙っちゃうかな。自分の考えを正直に喋れないから口数が減る。そういう意味ではあまり自分の意見を述べてない天峰も微妙かもしれない。場をまとめようとはしてるけど目立つ意見言ってないよね」
「天峰は素直に喋ってた印象だけどなあ。個人的な印象では、一番気になったのは久遠坂。隙がない感じで」
「全然絞り込めないじゃないですか」
雄大はお手上げと両手を上げた。
疑いはじめると誰もが怪しく見えてきてしまうものだ。
「死神の反応もまだありませんね」
ノートパソコンを操作し、雄大が死神のプロフィールページを呼び出す。討議を通して何か思うところがあれば、死神の書き込みにも現れるんじゃないかというのが二人の読みだった。殺人予告が単なる悪ノリで書かれたものならば、今頃消そうとしているかもしれない。
「そういえばタカちゃん、調べられないの? 死神の正体」
エンジニアの雄大は、私より遥かにパソコンの技術に詳しい。私が言うと、雄大は目を瞬いた。
「調べるって、どうやって」
「だって、警察は殺人予告を書き込んだ人間を特定できるんでしょ? ニュースとかでよくやってるじゃん。警察ができるなら、タカちゃんだってできるんじゃない? ハッキング? するとかさ」
「早紀さん、毎日利用してるくせにネットのこと知りませんね。警察がハッキングで捜査するわけないでしょ」
「じゃあ、どうやって捜査するの?」
「逆に質問ですけど、たとえば早紀さんがネットで読み書きしているデータって、何処から来ていると思ってますか」
「何処から来ている……?」
雄大はノートパソコンを手で示した。
「たとえば僕が誰かのブログを表示させる瞬間、このパソコンはそのブログのデータを、回線を通じて取りに行ってます。取りに行く先は、ブログのデータを持っている、一台のとあるコンピュータ。何処にあるかはわかりません。北海道か沖縄か世界の裏側か。僕がアクセスした瞬間、何処かに設置されたそのコンピュータが、かたかたっとディスクを動かして、応答してくれているわけですね。このコンピュータをWEBサーバと言ったりします。大切なのは、それが魔法でできているんじゃなくて、物理媒体だということです」
『ネットに書き込んでいる』と考えるから、漠然としすぎてわからなくなるんです、と雄大は言った。
「みんな『ネット』なんて壮大で曖昧なものを触ってるわけじゃない。『WEBサーバ』という一台のコンピュータに対して書き込んでいる。それを理解してないから、空に向かって叫ぶような感覚で殺人予告しちゃう。物理的な実体に書き込みしてるんだから、それが証拠として残るに決まってるでしょ」
なるほど、と思った。
警察は、ネットというよくわからないものを、魔法のようなハッキングなるもので捜査するわけではない。WEBサーバという物体を調べるわけなのだ。
「WEBサーバは管理会社のデータセンタに設置してあったり、個人が所有して運営している場合もあります」
「個人で?」
「ええ。ある程度技術に明るければ難しくないですよ。無料のレンタルサービスが沢山あるので、やる人は多くありませんけど」
なんとも難しい世界だ。
「警察がネット犯罪の捜査をする場合、まず該当するWEBサーバの管理者に連絡をとって、調べさせてくれと請求するわけです」
「うん」
「WEBサーバの何を見るかというと、WEBサーバは、アクセスされたとき、いま誰それに読み取られたぞという
「指紋みたいなもの?」
「そうです。付けられた正確な日時のわかる指紋。IPアドレスとも言います」
WEBサーバを一つの部屋だとすると、その部屋の中に犯人が残した指紋が、必ずログとして残る。
「警察はこれを採取します。あとはひたすら地道な作業です。現場から犯人の家までの道すがらには、同じ指紋がべたべたと付いているので、それを辿っていって書き込んだパソコンを特定します。隠す技術もないではないですが、完全に消し去るのは難しいですね」
なるほど、確かに警察は魔法で特定するのではない。ネットの犯罪捜査も、現実の犯罪捜査と同じように、地道な作業の積み重ねなのだ。
「まとめると、警察はWEBサーバから採取した指紋を使って捜査をする。逆に指紋にあたるログがなければ、警察も犯人を特定できないってことです」
「ログが手に入れば、タカちゃんでも犯人を特定できる?」
「サーバ管理者は警察以外にログを開示なんてしませんけどね。警察と同じ権限が貰えれば、僕でも特定できますよ」
「相手が凄いハッカーでも?」
「殺人予告なんて低俗なことする奴に、ハッカーなんていませんよ」
まるでハッカーを擁護するような口ぶりだ。
私がそう言うと、雄大は首を振った。
「擁護も何も、そもそもハッカーは一流のコンピュータ技術を持つ人間を指す尊称です。技術を悪用するのはクラッカーと呼びます。マイクロソフトのビル・ゲイツも、アップルのスティーブ・ジョブズも、グーグルのラリー・ペイジも、ハッカーと言えます。子供の頃から知的好奇心に溢れ、何か新しいことをやりたがった。ソフトウェアの世界を牽引するのは、常にそうしたハッカーたちです。凡人が百人集まるより、天才的なハッカー一人の思想が革新をもたらすのがソフトの世界です。まあ、得てして他人に理解されずに苦労する人が多いですけどね。新しいものの創造は既存の破壊と同義だったりしますから」
熱っぽい口調だった。技術者の雄大にとって、そうしたハッカーは憧れの存在なのかもしれない。
「彼らは技術の高みを登るのに純粋です。それを悪用して利益を得ようとか、俗っぽい価値観は彼らにはない。セキュリティホールを突破するようなハッカーもたまにいますが、高い山があるから登ってみようというような感覚ですね。彼らを動かすのは知的好奇心。どういう仕組みで動くのか、ということへの興味。純粋なんですよ」
熱っぽく語っていた雄大が、ふと、我を取り戻したように恥ずかしそうな顔をした。誤魔化すようにマウスに手をかけた。
「さて、更新されてるかな」
どれだけ想いを語っても、雄大も私もそんな天才ではない。組織の中で集まって、天才の一呼吸に及ばないとわかっていながら、それでも少しでも良い方向へ進むようにと、毎日をもがいているだけのただの凡人だ。天才は憧れの中だけの存在でいい。
雄大がサイトを更新した。マウスをクリックしたその一瞬で、どこか遠くに置かれた機械がカタカタ動いて応答しているなんて、私には実感が湧かない。
「どう? 更新されてる?」
「…………」
雄大は返事をしなかった。
しばらく画面を見やっていたが、やがてノートパソコンをテーブルの上でくるりと反転させると、こちらへ押しやった。
【投稿者:奏でる死神 〈○星シ○テ○ズ〉
ジグ、ジグ、ジグ 面接官の前 互いに互いを窺いながら
骸骨たちが鳴らす骨は茶番の調べ ジグ、ジグ、ジグ
生者のふりをする骸骨たちには 鼓動を打つ心臓は無い 髑髏に輝く眼球も無い
薄暗く湿った墓場に戻って 踊る踊りを楽しみにしている】
【投稿者:奏でる死神 〈陸○商○〉
ジグ、ジグ、ジグ 分厚い人体解剖図を広げた生者の前で
骸骨たちが鳴らす骨は不服の調べ ジグ、ジグ、ジグ
体を捩らせ 踊る骸骨ども 骨がかちゃかちゃと擦れ合う音
誰もが手をつなぎ 輪になって踊りながら 人事の○橋○子を殺害する
ジグ、ジグ、ジグ とっておきの髑髏を差し出しているのに
ジグ、ジグ、ジグ 載っている顔と違うと言うばかりだったから】