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文字数 3,425文字

 ブログの更新はその日の夕方にあった。

【七星システムズ三次面接終了。午後は株式会社テ○ルネッ○。ここの人事も殺す。】

 フロアの人間が出払ったタイミングを見計らって、早紀は調べておいた株式会社ティルネットの連絡先をダイヤルした。相手はまだ帰社していなかった。

〈そんな子には見えなかったのですが〉

 ティルネットの新卒担当人事は杉崎と名乗った。早紀より一回り年齢が上の、落ち着いた声の女性だった。
 簡単に事情説明を終えると、彼女は困惑した調子で答えた。

〈久遠坂和之さんですよね。今日面接をしたばかりなので記憶しています。前に出るタイプではなさそうでしたが、芯のしっかりした学生という印象でした。信じられないです〉

 面接選考の限界を感じた。やはり面接のやりとりで相手の人間性を汲み取ることなど、できやしないのだ。
 早紀はブログのアドレスを教えた。ちょっと待ってください、としばらくパソコンを操作するだけの間があった。

「残念ですね……」
 と吐息をつく声が聞こえた。
 それから、嫌な時代ですね、とぽつりと呟いた。
 それは適切な表現かもしれないと、ふと思った。嫌な学生でも嫌な会社でもなく、嫌な時代。

〈こんなタイプの学生が増えてきていると、漠然と思ってはいたんです。でも実際に裏側を見せられると、嫌なものですね……〉
「ごめんなさい」
〈いえ、ありがとうございます。私も自分の身は大事ですから。対処については検討したいと思います。それから、他に予告されている二社について心当たりがあるので、私の方から連絡してみます。去年弊社で参加した合同説明会の参加企業の中に、そんな名前の会社がありましたので〉

 複数の企業が協賛して就活生獲得のために催す合同説明会は、就職活動の入り口だ。おそらく和之はそのときの合同説明会に足を運び、参加企業の中から、エントリーする企業を選んだのだろう。

〈悪ノリが過ぎているだけのような感はありますが、万が一ということもありますし、十分注意するよう促しておきます〉
「ありがとうございます」
〈……私、ときどき思うんですよ。最初に見捨てたのはどっちなんだろうって〉
 早紀は問い返す。「見捨てた?」
〈私の若い頃は――〉

 言いかけ、こういう言い回しを使うようになると歳を感じるわね、と杉崎は笑った。

〈私の若い頃は、世の中は自分を必要としているんだって、疑ったことなんてありませんでした。人生の主役は自分だって確信があった。もちろん日々の生活の中で現実を思い知ることはあります。でもその確信が最初にあったから、立ち止まらずにいられたと思うんです。けれど近頃の若い子は、世の中が自分を欲しているわけではないことを、最初からわかっているんですよね〉

 杉崎が深い吐息をつくのが聞こえた。早紀には面接室で杉崎の前に座る、折り目の正しいスーツに身を包み、物分り良く振舞う顔のないシルエットたちの姿が見える気がした。

〈面接をしていて、若者たちはもう世の中を見捨ててしまったんだなあ、と思うことがあります。社会に、大人に、何も期待をしていない。社会が若者を見捨てたのか、若者が社会を見捨てたのか。どちらが先なのかはわかりません。でもいつの間にかすっかり距離が空いてしまった。そんな感じがします〉

 早紀は口を挟まなかった。杉崎もまた、早紀に返事を期待しているわけではないとわかったからだ。人は日常の端に淀んだ自分の言葉を、声を発しない誰かにただ聞いてほしいときがある。それはネットの書き込みに似ていた。
 杉崎がふっと小さく吐息をつくのが聞こえた。それで彼女の下に現実が戻るのがわかった。

〈久遠坂さんの対処については、できるだけ穏便に行いたいと思います。ただ万一、通報ということもあり得ます。その際、七星さん側のご都合などありましたら伺いたいのですが、いかがでしょうか〉

 通報をすれば、七星グループがネット検閲をしていることが露見する可能性があるが問題はないか、ということだ。

「そうですね。この件についてはあくまで私個人がお知らせしていることを、了解して頂ければ幸いです。私が、個人的にネットを利用していて発見し、お知らせしている。会社は関知していない。――そうとって頂ければ」

 しばらく、電話の向こうで黙考する気配があった。

〈当人が喋る可能性についてはどうお考えですか〉
「当人?」
〈我々が喋らなくても、通報すれば、久遠坂が、その――逆ギレ、を起こす可能性があります〉

 言っている意味が呑み込めなかった。和之自身は、早紀がネット越しに和之のブログを見ていることを知らない。通報者が喋らなければ、和之がそれを知ることはないはずだ。
 杉崎が、あ、と得心のいったような声を発した。
〈ひょっとして、更新していませんか? 七分前の投稿です〉

 早紀は携帯を握り締めたまま、机の上に広げたノートパソコンの画面を見やった。
 最新記事は、【七星システムズ三次面接終了。午後は株式会社テ○ルネッ○。ここの人事も殺す。】
 投稿時間は、二時間前だ。

 早紀はおそるおそるキーボードに手を伸ばした。F5ボタンを押すと、画面が一瞬白く切り替わる。
 更新された画面の一番上に、その文字列は見えた。


【見てるんだろ? 七星システムズの人事】


 早紀は弾かれたようにモニタから身を離した。
 ブログの記事がそれ自体に独自の意思を持ってモニタの向こうから手を伸ばしてくるのではないかという、馬鹿らしい錯覚が頭を過ぎった。


【他人の日記を平然と盗み見て選考を行うとはゲスなやり口だな。今まで受けた会社の中でも最悪の部類だね。何が学生の目線に立った選考だ。
 ずっと前から気付いてたんだよ。どういう面接をしてくれちゃうのか、楽しみにしてたんだけどな。あんた誰? 眼鏡かけた白髪のオッサン? 細かいことに五月蝿いデブ親父? それとも怖い顔してた美人のネーチャン? 多分ネーチャンだな。なんだよ、今日の質問は。】


 一瞬の間に、色々な感覚が、早紀の胸の中に好き勝手に散らばった。それはかくれんぼでみつかったときの感覚に似ていた。
 子供の頃、かくれんぼはある種の制裁の役目を果たしていた。クラスで乱暴な男の子がいると、かくれんぼのときに鬼役にする。最初こそ獲物を捕まえるといった風情で走り回る鬼だが、誰もみつけられないまましばらくすると、自分が取り残され、隠れ場所から沢山の目に、見張られていることに気付くのだ。そうして鬼は人間を“捕まえる”から、“探し求める”ようになる。

 日頃乱暴な男の子が涙をこらえて走り回り皆を求めるのを、子供たちは隠れたまま見やって日頃の溜飲を下げた。次の日から男の子は少し大人しくなっている。かくれんぼは鬼が隠れた人間を捕まえるゲームではなく、隠れた人間が人間を探し求める鬼を観察するゲームだった。隠れているということはそれだけで、人を優位にするのだから。

 早紀はパソコンのネットワーク接続を確認した。接続するときの匿名性には気を遣ってきたし、和之のブログに繋ぐ際に、社内ネットから繋いだ記憶はない。追跡できるような跡は残していないはずだった。


【あんな答えにくい質問すんじゃねえよ。どんな質問してもいいと思ってんのかよ。こっちは人生かけてんの。てめえらみたいに無能でも入社できた時代じゃねえの。新卒で就職できないと人生詰むの。やり直しが効かないから必死なんだよ! てめえらがそういう社会にしたんだろうが。上から目線で好き勝手言ってくれやがってよ。何か勘違いしてんじゃねえか。自分たちが何か偉いとでも思ってんのかよ。くだらない選考して悦に入ってるだけのくせに。おまえらの自己満足のために振り回される身になってみろよ!】


 自分が何か偉いとでも思ってんのか――それは的を射ているのかもしれなかった。それはかくれんぼなのだ。若者と社会の。履歴書を掲げて走り回る鬼を、早紀たちは会社という壁の陰にひっそりと隠れたまま見定めている。
 だから若者たちは、自分が隠れられる番になると、仕返しするのだ。


【殺人予告。】

 自分の名前をネット上で見つけることほど嫌なことはなかった。

【株式会社七星システムズの人事、横上早紀を殺害する。】
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