9 わたし
文字数 2,986文字
久遠坂と〝奏でる死神〟をつなぐ線は、ヴァイオリンコンクールのページにあった。
久遠坂がコンクールで弾いた曲は、サン・サーンスの『死の舞踏』。同名の詩をもとに作曲されたもので、詩の内容は、夜中に墓場で死神がヴァイオリンを弾き、それに合わせて骸骨たちが踊りを踊るというグロテスクなものだった。殺人予告のジグジグジグという妙なフレーズは、この詩から拝借されたものだ。
彼は、はじめから挑戦してきていたのではないか――そう思った。
思えば私が殺人予告を発見したのも、書き込みへのリンクが七星の情報交換スレッドへ貼りつけてあったからだ。人事が見つけやすいように、わざわざそんなことをしたのではないか。
世の中に対する、暗い敵対心。
フロアの人間が出払ったタイミングを見計らって、私は調べておいた陸瀬商事の連絡先をコールした。
〈その書き込みのことは既に存じています〉
電話の相手は豊橋敦子と名乗った。
〈私も、就活サイトの自社関連のスレッドは目を通してますから。リンクが貼りつけられていて、見てみたらあんな書き込みがありますでしょう。びっくりして、すぐに通報してしまいましたよ〉
警察は早期の捜査を約束してくれたという。
私は胸を撫で下ろした。既に警察が動いてくれているのだ。
〈私にはよくわからないのですが、ウェブサイトのサーバを管理しているところに、情報開示の依頼をするとのことでした〉
裏クチコミサイトでは過去にも逮捕者が出ている。管理人が警察の捜査に協力したということだ。今度も開示を拒みはしないだろう。
〈正直な話、久遠坂という学生がそんなタイプだとは思いませんでしたが。評価が高くて、面接も合格を出しているんです〉
殺人予告をするほどの何が気に触ったのか、と豊橋は鼻息を漏らした。
〈面接は毎日のことですし学生の人数も多いです。ちっとも下調べしてない学生も多いし、流れ作業になりがちな面があることは確かです。でもこちらにも色々と事情があります〉
「わかります」
〈相手の事情も考えずに人を好き勝手に言っているのを見ていると、腹立たしくなりますよ。おまえらは何様だって。自分たちが何か偉いとでも思っているのかって〉
「わかります」
〈嫌な時代ですね〉
それは適切な表現かもしれないと、ふと思った。嫌な学生でも嫌な会社でもない。嫌な時代。
〈私、ときどき思うんですよ。最初に見捨てたのはどちらなんだろうって〉
豊橋が吐息をつくのが聞こえた。
〈私の若い頃は、世の中は自分を受け入れてくれるんだって、疑ったことなんてありませんでした。正直に自分の気持ちのまま生きていれば、誰かがわかってくれるって安心感があった。けれど近頃の若い子は、社会が自分自身を欲しているわけではないことを、最初からわかっているんですよね〉
私には面接室で豊橋の前に座る、折り目の正しいスーツに身を包み、物分り良く振舞う顔のない彼らの姿が見える気がした。彼らは皆、骸骨だった。生者のふりをしなければならないと思っている骸骨。
〈面接をしていて、彼らはもう世の中を見捨ててしまったんだなあ、と思うことがあります。社会に対して、何も期待をしていない。社会が若者を見捨てたのか、若者が社会を見捨てたのか。どちらが先なのかはわかりません。でもいつの間にかすっかり距離が空いてしまった。そんな感じがしますよ〉
私たちは人を見ている。ひとりひとり。データではない。そこにいる人間をみようとしている。
死神は、一体豊橋の何を見て、あんな書き込みをする気になったのだろう。相手の本質を見通さずに、表面だけを見て判断しているのは、人事ではない。死神の方だ。
豊橋がふっと吐息をついた。それで彼女の下に現実が戻るのがわかった。
〈警察が動いている以上、じきに捕まると思います。それまではお互い、用心することにしましょう。特にあなたは注意なさってね〉
はい、と思わず言ってから、首を傾げた。
お互い、とはどういうことだ?
彼女は殺害すると書かれたから用心せねばならない。
でも私は――
〈ひょっとして、まだ見ていませんか? つい三十分ほど前の投稿です〉
私は携帯を握り締めたまま、机の上に広げたノートパソコンを見やった。
おそるおそる面接評価裏クチコミサイトを開いた。〈七星システムズ〉のページを開いた。
画面が切り替わった。
【投稿者:奏でる死神 〈七星システムズ〉
見てるかな? 七星システムズの人事。】
弾かれるようにモニタから身を離した。
書き込みの文章が意思を持ってモニタの向こうから手を伸ばしてくるのではないかという、馬鹿らしい錯覚が頭を過ぎった。
【ずっと前から気付いてたんだよ。あんなグループディスカッションやらされたら当たり前だよね。人を見定めてばかりいる人は、自分が見定められることに無頓着になるね。
人事が気付いていることはわかってたけど、今日の面接であなただと確信した。あの質問はユニークだったね。俺の正体を知りたかったの? 教えたよ。通じた? 通報していいよ。無駄だけど。警察なんかに俺を捕まえられない。あなたの手でなければ】
一瞬の間に色々な感覚が、胸の中に散らばった。それはかくれんぼで見つかったときに似ていた。隠れて鬼を見張っていたのに、壁から少しでも姿を出した途端、一直線にこちらへ駆けてくる――。
【死の舞踏。骸骨たちは踊る。フランスの詩人アンリ・カザリスによって書かれたこの詩は、ある種の社会主義的理想郷を描いた曲なんだ。
死はすべての人間に平等に降り注ぐ。死者には貧乏人も金持ちもない。貴族も奴隷も区別がつかない。すべての人間が骨となった等しい姿になって、分け隔てなくただ踊り狂う。
通底しているのは個を喪失した先にある平等性だ。この詩が本当に謳っているのは死じゃない、その先にある平等についてなんだよ。持たざる者たちの仮りそめのユートピア。みんな骨なのに楽しそうだよ。
でもひとたび生者が混じったら、骸骨たちはこんな感じになっちゃう。
――てめえらがこんな社会にしたんだろうが。好き勝手言ってくれやがってよ。
――何か勘違いしてんじゃねえか。自分たちが何か偉いとでも思ってんのかよ。
――おまえらのくだらない茶番に振り回される身になってみろ!
ってね。ただのコピペだけど。怖いよね】
自分たちが何か偉いとでも思っているのか――死神は豊橋とまったく同じことを言っている。どちらも同じことを思っていたのだ。
会社の陰に隠れていた私たち。
だから彼らは、自分が隠れられる番になると、仕返しするのか。
【ジグ、ジグ、ジグ 墓場で向かい合った二人の骸骨
骸骨たちが鳴らす骨は切実の調べ ジグ、ジグ、ジグ
暁を告げる鶏の鳴き声 不意に彼らは踊りをやめる
骸骨たちは想いを胸に 最後の審判のもとへと向かう
ジグ、ジグ、ジグ 一人は正直な人間の骸骨
ジグ、ジグ、ジグ 一人は嘘つきな死神の骸骨
死神はヴァイオリンを鎌へ持ち替え
横上早紀を殺害する
ああ、この哀れな世にしてなんてすばらしき夜
死と平等に祝福あれ!】
久遠坂がコンクールで弾いた曲は、サン・サーンスの『死の舞踏』。同名の詩をもとに作曲されたもので、詩の内容は、夜中に墓場で死神がヴァイオリンを弾き、それに合わせて骸骨たちが踊りを踊るというグロテスクなものだった。殺人予告のジグジグジグという妙なフレーズは、この詩から拝借されたものだ。
彼は、はじめから挑戦してきていたのではないか――そう思った。
思えば私が殺人予告を発見したのも、書き込みへのリンクが七星の情報交換スレッドへ貼りつけてあったからだ。人事が見つけやすいように、わざわざそんなことをしたのではないか。
世の中に対する、暗い敵対心。
フロアの人間が出払ったタイミングを見計らって、私は調べておいた陸瀬商事の連絡先をコールした。
〈その書き込みのことは既に存じています〉
電話の相手は豊橋敦子と名乗った。
〈私も、就活サイトの自社関連のスレッドは目を通してますから。リンクが貼りつけられていて、見てみたらあんな書き込みがありますでしょう。びっくりして、すぐに通報してしまいましたよ〉
警察は早期の捜査を約束してくれたという。
私は胸を撫で下ろした。既に警察が動いてくれているのだ。
〈私にはよくわからないのですが、ウェブサイトのサーバを管理しているところに、情報開示の依頼をするとのことでした〉
裏クチコミサイトでは過去にも逮捕者が出ている。管理人が警察の捜査に協力したということだ。今度も開示を拒みはしないだろう。
〈正直な話、久遠坂という学生がそんなタイプだとは思いませんでしたが。評価が高くて、面接も合格を出しているんです〉
殺人予告をするほどの何が気に触ったのか、と豊橋は鼻息を漏らした。
〈面接は毎日のことですし学生の人数も多いです。ちっとも下調べしてない学生も多いし、流れ作業になりがちな面があることは確かです。でもこちらにも色々と事情があります〉
「わかります」
〈相手の事情も考えずに人を好き勝手に言っているのを見ていると、腹立たしくなりますよ。おまえらは何様だって。自分たちが何か偉いとでも思っているのかって〉
「わかります」
〈嫌な時代ですね〉
それは適切な表現かもしれないと、ふと思った。嫌な学生でも嫌な会社でもない。嫌な時代。
〈私、ときどき思うんですよ。最初に見捨てたのはどちらなんだろうって〉
豊橋が吐息をつくのが聞こえた。
〈私の若い頃は、世の中は自分を受け入れてくれるんだって、疑ったことなんてありませんでした。正直に自分の気持ちのまま生きていれば、誰かがわかってくれるって安心感があった。けれど近頃の若い子は、社会が自分自身を欲しているわけではないことを、最初からわかっているんですよね〉
私には面接室で豊橋の前に座る、折り目の正しいスーツに身を包み、物分り良く振舞う顔のない彼らの姿が見える気がした。彼らは皆、骸骨だった。生者のふりをしなければならないと思っている骸骨。
〈面接をしていて、彼らはもう世の中を見捨ててしまったんだなあ、と思うことがあります。社会に対して、何も期待をしていない。社会が若者を見捨てたのか、若者が社会を見捨てたのか。どちらが先なのかはわかりません。でもいつの間にかすっかり距離が空いてしまった。そんな感じがしますよ〉
私たちは人を見ている。ひとりひとり。データではない。そこにいる人間をみようとしている。
死神は、一体豊橋の何を見て、あんな書き込みをする気になったのだろう。相手の本質を見通さずに、表面だけを見て判断しているのは、人事ではない。死神の方だ。
豊橋がふっと吐息をついた。それで彼女の下に現実が戻るのがわかった。
〈警察が動いている以上、じきに捕まると思います。それまではお互い、用心することにしましょう。特にあなたは注意なさってね〉
はい、と思わず言ってから、首を傾げた。
お互い、とはどういうことだ?
彼女は殺害すると書かれたから用心せねばならない。
でも私は――
〈ひょっとして、まだ見ていませんか? つい三十分ほど前の投稿です〉
私は携帯を握り締めたまま、机の上に広げたノートパソコンを見やった。
おそるおそる面接評価裏クチコミサイトを開いた。〈七星システムズ〉のページを開いた。
画面が切り替わった。
【投稿者:奏でる死神 〈七星システムズ〉
見てるかな? 七星システムズの人事。】
弾かれるようにモニタから身を離した。
書き込みの文章が意思を持ってモニタの向こうから手を伸ばしてくるのではないかという、馬鹿らしい錯覚が頭を過ぎった。
【ずっと前から気付いてたんだよ。あんなグループディスカッションやらされたら当たり前だよね。人を見定めてばかりいる人は、自分が見定められることに無頓着になるね。
人事が気付いていることはわかってたけど、今日の面接であなただと確信した。あの質問はユニークだったね。俺の正体を知りたかったの? 教えたよ。通じた? 通報していいよ。無駄だけど。警察なんかに俺を捕まえられない。あなたの手でなければ】
一瞬の間に色々な感覚が、胸の中に散らばった。それはかくれんぼで見つかったときに似ていた。隠れて鬼を見張っていたのに、壁から少しでも姿を出した途端、一直線にこちらへ駆けてくる――。
【死の舞踏。骸骨たちは踊る。フランスの詩人アンリ・カザリスによって書かれたこの詩は、ある種の社会主義的理想郷を描いた曲なんだ。
死はすべての人間に平等に降り注ぐ。死者には貧乏人も金持ちもない。貴族も奴隷も区別がつかない。すべての人間が骨となった等しい姿になって、分け隔てなくただ踊り狂う。
通底しているのは個を喪失した先にある平等性だ。この詩が本当に謳っているのは死じゃない、その先にある平等についてなんだよ。持たざる者たちの仮りそめのユートピア。みんな骨なのに楽しそうだよ。
でもひとたび生者が混じったら、骸骨たちはこんな感じになっちゃう。
――てめえらがこんな社会にしたんだろうが。好き勝手言ってくれやがってよ。
――何か勘違いしてんじゃねえか。自分たちが何か偉いとでも思ってんのかよ。
――おまえらのくだらない茶番に振り回される身になってみろ!
ってね。ただのコピペだけど。怖いよね】
自分たちが何か偉いとでも思っているのか――死神は豊橋とまったく同じことを言っている。どちらも同じことを思っていたのだ。
会社の陰に隠れていた私たち。
だから彼らは、自分が隠れられる番になると、仕返しするのか。
【ジグ、ジグ、ジグ 墓場で向かい合った二人の骸骨
骸骨たちが鳴らす骨は切実の調べ ジグ、ジグ、ジグ
暁を告げる鶏の鳴き声 不意に彼らは踊りをやめる
骸骨たちは想いを胸に 最後の審判のもとへと向かう
ジグ、ジグ、ジグ 一人は正直な人間の骸骨
ジグ、ジグ、ジグ 一人は嘘つきな死神の骸骨
死神はヴァイオリンを鎌へ持ち替え
横上早紀を殺害する
ああ、この哀れな世にしてなんてすばらしき夜
死と平等に祝福あれ!】