もうひとつの結末 ぼく
文字数 3,392文字
チャイムが鳴った。
玄関の戸を開けると、彼が立っていた。
「やあ。もう大丈夫なのか?」
僕の挨拶に、彼は答えない。
むっつりと黙ったまま、僕を見上げる。頬はこけ、げっそりとやつれている。僕は玄関の戸口に立ったまま、彼と向かい合った。
「……僕は思い違いをしてた」
彼はようやく口を開いた。疲れきったような声をしていた。
真っ直ぐにすべてを信じていた以前の彼とは違う、大人びた声音だと思った。
「不思議だった。どうして誰も僕の言うことを信じてくれないのか」
「うん」
「だって僕は本当のことしか喋っていない。僕は殺人予告を書いてない。書いたのはきみだ」
「そうだな」
「でも警察は僕を捕まえた。僕はなにかの間違いだと思った。警察がきちんと調べれば、書いたのはきみだとわかると信じてた。でもいつまで経っても、警察の答えは変わらなかった」
「結論は」
「真犯人が捕まるわけがなかったんだ。だって警察は犯人を捕まえるために、当の犯人から証拠を貰っていたんだから」
天峰は僕の目をみつめた。僕は笑った。
「面接評価裏クチコミサイトのサーバ管理者は君だったんだな、久遠坂。殺人予告の犯人を特定するために、警察は犯人である君自身に捜査協力を求めたんだ」
大事なのは何故か じゃない。誰か でも、何か でも、いつか でも、どうやってか でもない。
何処で起こったか なのだ。
殺人予告が書きこまれた〝現場〟を、誰も突き詰めて考えなかった。
それは『ネット』なんかじゃない。『裏クチコミサイト』でもない。
『僕の部屋のWEBサーバの中』だ。
何故かなんてことにこだわらずに、何処で起こったことなのかさえ知ろうとすれば、横上は答えに辿りつけたはずだ。
要点は二つある。
第一に、この犯罪において僕は捕まることがないということ。不可能だ。
あの日、裏クチコミサイトの情報開示請求にやってきた警察に、僕は素直にWEBサーバを引き渡した。
僕の部屋にはWEBサーバが設置してある。中には『面接評価裏クチコミサイト』のデータが入っていて、日本全国の就活生がひっきりなしにアクセスし、読み書きしては去っていく。
僕の部屋のWEBサーバが、犯人を特定する唯一の物証なのだ。
証拠を握っている犯人自身に捜査協力を求めるしかない時点で、警察は僕を逮捕などできない。
そして第二に、僕は偽の犯人を創りだすことができる。
警察はログという指紋をもとに犯人を追跡する。地道に現場から犯人の家までの道を追い、書き込んだパソコンを特定する。
犯行現場のログこそが、捜査の発端、取っ掛かりなのだ。
現場に残された犯人の指紋がそもそもダミーだったら、回答を間違わざるをえない。
やり方は以下のとおりだ。
まず天峰の〝指紋〟を特定する必要があった。IPアドレスと呼ばれるログは、付けられた日時のわかる指紋だ。天峰が裏クチコミサイトにアクセスした正確な時刻がわかれば、サーバ管理者である僕には、部屋に残された沢山のログの中から、天峰の指紋を識別することができる。
秒単位で正確な時刻がわかれば一発だ。でなくとも、天峰は何度か、裏クチコミサイトにアクセスした直後に、憤って僕に電話をかけてきていた。数回も事例があれば、通話前短期間ぶんの指紋の中から、重複を掬うことによって、天峰の指紋は僕に知れることになる。
指紋を知ったら、捏造は容易だ。それはコピー&ペーストが可能なデジタルデータに過ぎない。部屋 で行われた犯罪――その周囲に付けられた僕の指紋を、天峰の指紋にすべて置換する。WEBサーバのアクセスファイル、サイトのデータファイル。すべてのログにべったりと天峰の指紋を擦りつけ、予告書き込みの時間もそれに合わせる。仕組みを知ってさえいれば、簡単な作業だ。
そうして警察はWEBサーバのログを辿っていって、書き込みをしたのは天峰だと特定した。はじまりが偽物の痕跡を追っているのだから、いくら正しい捜査をしようと、正しい解には辿りつけない。そしてはじまりの痕跡を疑うことなどできない。犯人と被害者の間の関係性には意識がいっても、犯人とサーバ管理者の間に関係があるなどとは思い至れない。サーバ管理者なんて所詮黒子だからだ。そこに至れなければ、証拠の改竄の可能性になど行き着かない。
もとより警察なんて問題じゃなかった。たいした技術力なんて持ってない。確たる証拠 に目が向いてしまう警察では、僕の嘘を見抜くことなど不可能だ。
見抜けるとすれば、証拠 ではなく、人間性を見ようとする者だと思っていた。
彼女にはチャンスがあった。
横上は警察に、天峰を犯人とする証拠が、何処から出てきたものなのかを訊くべきだったのだ。それが他ならぬ僕の部屋から出たものだということさえ知れば、その改竄の可能性について疑うこともできた。彼女には僕と天峰の間の関係性を、あらかじめ知らせておいたのだから。
天峰の言葉を信じられれば、そこに行き着くことはできたはずだ。
人間を見てさえいれば。
でも結局、彼女が最後に信じたのは、言葉をかわしあった天峰じゃない。
僕がコピペした無味乾燥な、デジタルデータ。
はじまりの動機は、単純な好奇心だった。
裏クチコミサイトを運営し、警察に情報を提供するうちに、ふとその捜査の限界 に気付いてしまったのだ。自分が神 である世界 で犯罪を起こしたときに、僕を疑える者が出てくるか否か。
パッチの当たっていないセキュリティホール。思いついたら、好奇心が勝った。サーバへ殺人予告を投下し、読んだ人が通報するのを待った。各社の情報交換スレッドへも呼びこみに行った。物事の動作ロジックを確かめずにいられないのは、パソコン狂いの僕の悪いクセだ。
はじめから天峰を嵌めるつもりだったわけではない。天峰との勝負なんて、どうせ僕が勝つのだと最初からわかっていた。
でも――それでは不十分だと思った。
僕はもっと完璧に、天峰に勝たねばならなかった。自分の中に残された青臭いものを、すべて叩きのめさなければならなかった。
僕らはみんな商品だ。想いを持たない歯車になる。
社会に出なければいけなかったから。
「天峰。これが勝負の結果だ」
立ち尽くす彼を見下ろし、僕はそう告げる。
結局、誰も僕の嘘を見抜けなかった。彼の言葉を信じなかった。
犯人と決めつけられてショックを受ける彼の動揺を、嘘を看破された動揺と思い込んだ。誰にも信じてもらえない絶望の涙を、悔恨の涙と思い込んだ。
彼はひたすら正直に、自分の気持ちを、想いを、考えを、喋っていただけだったのに。
「僕の負けだよ。久遠坂」
天峰は弱々しくそう告げる。
最後にはわかりあえる。そういう仲だ。
嘘つきの僕と正直な天峰。
「正直に生きたところで、何もいいことなんてないみたいだ」
勝負はついたのだ。
「もう、世の中を信じるのなんて、やめるよ」
僕の中にいつまでも残り続けていた最後の青臭さは、もうそこに居続けることをやめるだろう。
その泣き笑いを寂しいと感じていられる時間は、きっともうそう長くはないのだろう。
僕らはこれから社会へ出て行く。
この糞みたいな社会に生きるすべての人たちへ。
何を想って生きていますか。
そこはこの暗く湿った墓場よりもいいところでしょうか。
骸骨の僕らでも生きていけますか。
なあ、一緒に踊ろうか天峰。
僕らはみんな、骸骨だ。
生者の世界に疲れたら、いつでも墓場へ来たらいい。
死神はいつまでも演奏を続けていてやるよ。
郵便配達員が書留を届けた。封書には七星システムズの社名が書かれている。
書類を広げると、脇から覗き込んだ天峰が、おめでとう、と祝福してくれた。
めでたくはないな、と僕は笑った。
内定通知書。
嘘つきは、内定のはじまり。
玄関の戸を開けると、彼が立っていた。
「やあ。もう大丈夫なのか?」
僕の挨拶に、彼は答えない。
むっつりと黙ったまま、僕を見上げる。頬はこけ、げっそりとやつれている。僕は玄関の戸口に立ったまま、彼と向かい合った。
「……僕は思い違いをしてた」
彼はようやく口を開いた。疲れきったような声をしていた。
真っ直ぐにすべてを信じていた以前の彼とは違う、大人びた声音だと思った。
「不思議だった。どうして誰も僕の言うことを信じてくれないのか」
「うん」
「だって僕は本当のことしか喋っていない。僕は殺人予告を書いてない。書いたのはきみだ」
「そうだな」
「でも警察は僕を捕まえた。僕はなにかの間違いだと思った。警察がきちんと調べれば、書いたのはきみだとわかると信じてた。でもいつまで経っても、警察の答えは変わらなかった」
「結論は」
「真犯人が捕まるわけがなかったんだ。だって警察は犯人を捕まえるために、当の犯人から証拠を貰っていたんだから」
天峰は僕の目をみつめた。僕は笑った。
「面接評価裏クチコミサイトのサーバ管理者は君だったんだな、久遠坂。殺人予告の犯人を特定するために、警察は犯人である君自身に捜査協力を求めたんだ」
大事なのは
殺人予告が書きこまれた〝現場〟を、誰も突き詰めて考えなかった。
それは『ネット』なんかじゃない。『裏クチコミサイト』でもない。
『僕の部屋のWEBサーバの中』だ。
何故かなんてことにこだわらずに、何処で起こったことなのかさえ知ろうとすれば、横上は答えに辿りつけたはずだ。
要点は二つある。
第一に、この犯罪において僕は捕まることがないということ。不可能だ。
あの日、裏クチコミサイトの情報開示請求にやってきた警察に、僕は素直にWEBサーバを引き渡した。
僕の部屋にはWEBサーバが設置してある。中には『面接評価裏クチコミサイト』のデータが入っていて、日本全国の就活生がひっきりなしにアクセスし、読み書きしては去っていく。
僕の部屋のWEBサーバが、犯人を特定する唯一の物証なのだ。
証拠を握っている犯人自身に捜査協力を求めるしかない時点で、警察は僕を逮捕などできない。
そして第二に、僕は偽の犯人を創りだすことができる。
警察はログという指紋をもとに犯人を追跡する。地道に現場から犯人の家までの道を追い、書き込んだパソコンを特定する。
犯行現場のログこそが、捜査の発端、取っ掛かりなのだ。
現場に残された犯人の指紋がそもそもダミーだったら、回答を間違わざるをえない。
やり方は以下のとおりだ。
まず天峰の〝指紋〟を特定する必要があった。IPアドレスと呼ばれるログは、付けられた日時のわかる指紋だ。天峰が裏クチコミサイトにアクセスした正確な時刻がわかれば、サーバ管理者である僕には、部屋に残された沢山のログの中から、天峰の指紋を識別することができる。
秒単位で正確な時刻がわかれば一発だ。でなくとも、天峰は何度か、裏クチコミサイトにアクセスした直後に、憤って僕に電話をかけてきていた。数回も事例があれば、通話前短期間ぶんの指紋の中から、重複を掬うことによって、天峰の指紋は僕に知れることになる。
指紋を知ったら、捏造は容易だ。それはコピー&ペーストが可能なデジタルデータに過ぎない。
そうして警察はWEBサーバのログを辿っていって、書き込みをしたのは天峰だと特定した。はじまりが偽物の痕跡を追っているのだから、いくら正しい捜査をしようと、正しい解には辿りつけない。そしてはじまりの痕跡を疑うことなどできない。犯人と被害者の間の関係性には意識がいっても、犯人とサーバ管理者の間に関係があるなどとは思い至れない。サーバ管理者なんて所詮黒子だからだ。そこに至れなければ、証拠の改竄の可能性になど行き着かない。
もとより警察なんて問題じゃなかった。たいした技術力なんて持ってない。
見抜けるとすれば、
彼女にはチャンスがあった。
横上は警察に、天峰を犯人とする証拠が、何処から出てきたものなのかを訊くべきだったのだ。それが他ならぬ僕の部屋から出たものだということさえ知れば、その改竄の可能性について疑うこともできた。彼女には僕と天峰の間の関係性を、あらかじめ知らせておいたのだから。
天峰の言葉を信じられれば、そこに行き着くことはできたはずだ。
人間を見てさえいれば。
でも結局、彼女が最後に信じたのは、言葉をかわしあった天峰じゃない。
僕がコピペした無味乾燥な、デジタルデータ。
はじまりの動機は、単純な好奇心だった。
裏クチコミサイトを運営し、警察に情報を提供するうちに、ふとその
パッチの当たっていないセキュリティホール。思いついたら、好奇心が勝った。サーバへ殺人予告を投下し、読んだ人が通報するのを待った。各社の情報交換スレッドへも呼びこみに行った。物事の動作ロジックを確かめずにいられないのは、パソコン狂いの僕の悪いクセだ。
はじめから天峰を嵌めるつもりだったわけではない。天峰との勝負なんて、どうせ僕が勝つのだと最初からわかっていた。
でも――それでは不十分だと思った。
僕はもっと完璧に、天峰に勝たねばならなかった。自分の中に残された青臭いものを、すべて叩きのめさなければならなかった。
僕らはみんな商品だ。想いを持たない歯車になる。
社会に出なければいけなかったから。
「天峰。これが勝負の結果だ」
立ち尽くす彼を見下ろし、僕はそう告げる。
結局、誰も僕の嘘を見抜けなかった。彼の言葉を信じなかった。
犯人と決めつけられてショックを受ける彼の動揺を、嘘を看破された動揺と思い込んだ。誰にも信じてもらえない絶望の涙を、悔恨の涙と思い込んだ。
彼はひたすら正直に、自分の気持ちを、想いを、考えを、喋っていただけだったのに。
「僕の負けだよ。久遠坂」
天峰は弱々しくそう告げる。
最後にはわかりあえる。そういう仲だ。
嘘つきの僕と正直な天峰。
「正直に生きたところで、何もいいことなんてないみたいだ」
勝負はついたのだ。
「もう、世の中を信じるのなんて、やめるよ」
僕の中にいつまでも残り続けていた最後の青臭さは、もうそこに居続けることをやめるだろう。
その泣き笑いを寂しいと感じていられる時間は、きっともうそう長くはないのだろう。
僕らはこれから社会へ出て行く。
この糞みたいな社会に生きるすべての人たちへ。
何を想って生きていますか。
そこはこの暗く湿った墓場よりもいいところでしょうか。
骸骨の僕らでも生きていけますか。
なあ、一緒に踊ろうか天峰。
僕らはみんな、骸骨だ。
生者の世界に疲れたら、いつでも墓場へ来たらいい。
死神はいつまでも演奏を続けていてやるよ。
郵便配達員が書留を届けた。封書には七星システムズの社名が書かれている。
書類を広げると、脇から覗き込んだ天峰が、おめでとう、と祝福してくれた。
めでたくはないな、と僕は笑った。
内定通知書。
嘘つきは、内定のはじまり。