2 ぼく

文字数 2,223文字

 正直に生きるのはこれで終わりにする。

 合否結果のメールを見つめながら、僕は最後の確認をした。
 結果はわかっていたのでどうということはなかった。何度か面接を受けるうちに、振る舞いとして何を求められているかは把握したつもりだ。

 だが理解することとそれを受け入れることは別問題で、なかなか踏ん切りはつけられなかった。結局それは嘘をついて器用に生きるか、不器用にでも正直に生きるかなどという、僕の中の青臭い感情的な問題でしかなかった。

 正直に臨んだ場合にどうなるかはわかっていた。それでも最後に試しておくことにしたのだ。社会に出る前に、自分の中に残った最後の青臭さを、断ち切るきっかけが欲しかったにすぎない。

【貴殿の今後の益々のご活躍をお祈りしております。 株式会社ソルテット】

 就職面接の不合格を告げるメールの末尾には、学生の今後の活躍を祈る文が付けられるのが慣例だ。原文からのコピー&ペーストでメールに貼り付けられ、名前の部分だけにかろうじて僕の個性が当てはめられた文面が、僕に対して一心に祈りを捧げていた。

 新卒で就職できなければ人生終了。ネットで囁かれる後ろ向きな言葉が、現実とそうずれていない事実が垂れ流され続ける時代の中で、僕らは育った。この社会がミスをしたら這い上がれない蟻地獄構造であることくらい、余程抜けている奴以外みな気付いている。

 僕らはただの商品だ。想いはいらない。
 求められるのは商品価値だ。オーケー、わかっている。

【勝ち逃げ】
 いつの頃からかネットのコミュニティはそんな言葉で溢れた。
【こんな糞みたいな社会にしたのは、偉そうに面接とかしてるあいつらの方なのに】

 僕はパソコンのブラウザを立ち上げると、ブックマークを開いた。



【面接評価裏口コミサイト

 当サイトは各社の新卒採用面接について、面接を受けた学生の皆様の率直な感想・批評を収集しています。
 学生の皆様は就活の中で、評価を受けて、競争を行い、切磋琢磨していることと思います。
 同様に、日頃は評価をする立場である人事の皆様にも、評価を受けて、競争を行い、切磋琢磨して頂く機会を設けるのが、当サイトの目的です。

 収集された情報の閲覧は自由です。学生の方は、企業選びの際の参考にしてください。企業の方は、人事担当の方の評価にご活用ください。

                                管理人 Memento】



 閲覧は自由。書き込みがアカウント作成済みユーザに限られているのは、荒らしや質の悪い私怨評価を減らすためだ。ユーザ登録ページには名前と住所とメールアドレスの入力欄があるが、名前と住所をまともに書く奴は多くない。登録するとドメイン内に個人のプロフィールページが用意され、スケジュール管理などの各種機能を利用できる。ただのおまけだ。

 主眼はクチコミ。ログインすると表示される投稿用フォームには、企業名の記入欄と、評価項目が並んでいる。『メールの印象』『態度』『話し方』『聞き方』『真剣味』『合否決定の透明性』『発表の迅速さ』などの項目が各五段階評価で並んでいるほか、自由記述欄が配してある。企業名はフルネームを入力しても、伏せ字にしても良い。特定の人事名に触れる場合は、伏せ字かイニシャルで表記するのが暗黙のマナーとなって定着している。

 カウンタは開設後一ヶ月あたりから急速に増加していた。適度に混ぜ込まれたファニーな雰囲気と、ほどよく自己顕示欲を煽る評価システム、鬱屈発散に正当性を与えるランクシステム、まとめブログなどとの連携の効果だ。

 多くユーザの目的は、正確な情報の取得などではない。それを基点としたコミュニケーション。閉塞していれば尚更だ。お行儀の良い大手就活サイトがカバーしない部分にターゲットを絞った作り。
 明日面接予定の企業の評価をチェックした。


【投稿者:tak 〈七星システムズ〉
 上手くいったと思ったのに落とされた。評価基準が不明確。しょせん学歴しか見てないっぽい。面接官のやる気のなさが異常。】

【投稿者:Y 〈七星システムズ〉
 ↑と同じ投稿のあるブログを発見。過去ログ見たけど、人事の真贋は正しかったと思うよ、二本橋卓也さん。顔出してこんなブログ書けるのはある意味凄いけど。】


 モニタを見ながら思わず笑った。なかなかのカウンターだ。ブログのリンクをクリックすると、既に消された後だった。

 匿名の下ではリアルの地位も肩書きも無意味だ。誰も彼もが区別なく同じ土俵の上で、泥にまみれた取っ組み合いをしている。
 その凄惨なやり取りを観ているのが、僕は好きだった。波風ひとつ立てると致命的な現実と違って、ここでは皆好んで争い罵りあう。きっと皆、何処かに何か消化しきれないものを抱えているような気がして、商品ではない人間の存在を感じられる。

 さて、と一つ伸びをすると、マウスをクリックし、投稿用フォームを呼び出した。企業名の欄に『株式会社ソ×テ×ト』と打ち込む。文面はすでに考えてあった。

 何処で実行しようか迷っていたが、ここでいいだろう。別にどの会社でも良かったのだが、単にタイミングの問題だ。

 これは勝負だ。僕と彼との。

 僕はソルテットへの評価を記述した。
 いや、これは既に評価とは、言えないのだけれど。
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