文字数 2,730文字

「ねえタカちゃん。虚しいよ」
「またですかサキさん」

 乾杯を終え、ジョッキをぐっと呷ってから早紀が言うと、高橋雄大は海老のしっぽを口にくわえたままくつくつと笑った。お通しをさっさと空にして、唐揚げや焼きそばを次々と頼む。丸い体をさらに丸くしようと頑張っている。
 雄大とは同期入社のよしみで、たまに居酒屋で安酒を一緒に飲む程度の仲だ。温和な気質で物腰が柔らかい雄大は、何を愚痴ってもくつくつと笑って受け止めてくれる。いつの間にか、人事部内で零しにくい類の愚痴は雄大に零す、という習慣ができてしまっている。
 二本橋卓也のことを話して聞かせると、雄大は鞄からノートパソコンを取り出し、件のページを検索した。記事を読みながら、これは凄いなあ、と笑っている。

「こういうの、どうやってみつけるんですか」
「基本は、公共度の高いページを入り口に、徐々に私的なページを辿っていく感じだね。まずは本名で検索(クロール)。SNSならそれだけで結構個人ページが引っ掛かる。みつからない場合は、サークルとか研究室、学会なんかのページには本名が記述してあることが多いから、まずそこを引っ掛ける。サークルや研究室のサイトには、個人サイトへのリンクが貼られてることが多い。そうでなくても友人とか研究とか趣味とか、いろんな情報を収集できる。そしたら、それらをキーワードに加えて再検索(リクロール)。徐々に辿ってく。コツがいるけど、慣れると早いよ」
「へえ。なんだか格好いいな。ネットプロファイル。ほんとの探偵みたいだ」
「ネット伝って覗き見するだけじゃん」
「そう言っちゃ身も蓋もないけどさ。WEB系の開発者としては興味がそそられますね。どれくらいの割合で相手の情報が引き出せるものなの?」
「履歴書の情報量にもよる。ユニークな経歴を持ってる人は見つけやすい。ブログや個人ページまで特定できるのは少なくて、全体の二割弱かな。サイト自体持ってない人も多いし、見つけだせないのももちろんある。掲示板の書き込み程度の情報も含めると、五割くらい」
「確実性には遠いけど、無視できない情報量っすね。そういう意味では、ネット利用の情報分析としてはスタンダードかもしれない。情報の質としては玉石混合だけど、収集コストと量を考えれば拾っておいて損はないってのが、企業のネット活用の主流だから」
「やらされる身としては大変だよ。毎日毎日、人の裏を漁るようなことばかりしてると、軽く人間不信になる。熱い想いの言葉を聞きながら、垂れ流しの愚痴を読むわけ」
「知らぬが仏。男女関係と同じですね。恋愛期と倦怠期を同時に経験しているようなもんじゃないですか」
「そんな経験したくない」
「早紀さんは思いつめるからなあ。新卒面接なんて、あることないこと言ってなんぼじゃないですか。この二本橋某みたいに極端な例はともかくとしてさ。可愛い奴めって適当に流しておけばいいんですよ」

 開発区の雄大は、新卒面接に関してあっけらかんとしたものだ。
 彼らは人事の仕事を意に介しない。もちろん彼らにとっても、新しく配属されてくる新人は気になる存在のはずだが、その選抜については当たるも八卦当たらぬも八卦程度に考えている。その考えの軽さに、早紀は自分の仕事を軽視されているような不満も、気分が軽くなるような安心も感じる。酒の席では後者が強い。同じ人事部の人間相手では、こうもいかない。

 人事部長の前園は、面接でのやりとりを通して学生の人間性がわかると信じている。そんな自信を持っていられるのは、前園の役職が高く、入社直後の爽やかな仮面を決して外さない新入社員としか接しないせいだと早紀は思う。教育を終えて部署に送った後のことなど知らないし、プライベートでどうしているかなど思いもしない。

 前園は、早紀の調査詳細にも目を通そうとしない。彼が好評価を下した学生に、早紀が待ったをかけると嫌な顔をする。親会社の指示なのでしぶしぶ制度に従ってはいるものの、機械嫌いの前園にとって、ネットの情報を選考材料として使うなど、到底受け入れがたい発想であるらしい。

 早紀の考えは違っていた。たかだか三十分の面接で、相手の本当の人間性など、わかるわけがないと思っている。

「はじめはね。もっと目をキラキラさせた学生を相手にするんだと思ってたのね」

 いささか呂律が怪しくなりはじめた早紀の言葉に、雄大は律儀に相槌を返してくれる。

「前に聞きましたよ。学生が将来への夢とか希望とかを語るのを聞いて、一緒に頑張りましょう! って分かち合いたかったんですよね。青春ドラマみたいに」
「そうなの。青春なの」
「でも現実は違ったと」

 もちろん違った。目を輝かせてやってくる学生などいなかった。学生たちは面接室に入るときに、輝いたシールをぺたりと貼って、退出したら丸めてゴミ箱に捨てる。瞳の奥で彼らは、目を輝かせて何になる? と言っている。

(自分の言葉で話してほしいのです)

 昔、新卒で受けた面接で、早紀はある面接官にそう言われた。
 受ける会社受ける会社に落ちて焦り、面接教本を熟読して、忠実になぞるように話をしていたら、にっこり笑って言われたのだ。

(あなたを雇うかどうか決めたいのです。本の著者を雇うかどうか決めたいのではありませんよ)

 それで何かが吹っ切れた。やけくそ気味に語り始めた内容は支離滅裂だったが、口から言葉が零れるのと一緒に、ずっと眠って凝り固まっていた気持ちが、起き出して胸に馴染んでいく気がした。結局最終で落ちてしまったが、あのときの面接官の言葉がなければ、早紀は就職活動を最後まで続けることができなかったかもしれない。

 だからこそ早紀は、面接をするときに、なんとか相手の想いを引き出してやりたいと思う。それでも木霊のようなやりとりを繰り返すうちに、胸の内で情熱が薄れていって、いつの間にか学生を「あなたに来て欲しい」と選ぶのではなく、「ハズレの少なそうな集団を作ったらたまたまあなたが入っていた」と選んでいる。

 それに気付いたとき、早紀は仕事にやりがいを感じることができなくなっていた。

「そのうちいいことあるって。型に嵌まらない学生が来て、乾ききったサキさんの心に情熱を注ぎ込んでくれるとか」

 そして一ヶ月後の、四月初旬。確かに、型に嵌まらない学生は来たのだった。
 書類仕事を終え、翌日の面接担当分の学生をサーチしていた。
 ある学生を検索してみつけたブログの投稿に、早紀はマウスを握っていた手を止めた。


【東京都大田区の株式会社××テ×ト人事の○岡彰を殺害する。】
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