文字数 4,335文字

「こんばんは」

 早紀が帰る支度をしていると、ドアが開いて顔が覗いた。
 振り返ると、面接のときのままのスーツ姿が立っていた。

「面接結果、今日中に連絡するって言ってたのに、まだ連絡がないから、気になって来てしまいました」
 あはは、と照れたように頭をかくと、天峰章吾は並んだ無人のデスクを見渡した。
「おひとりですか?」
「ええ。もうみんな帰りました」
「そうですか」
「どうやって入ってきたの? 下に守衛はいなかった?」
「いましたよ。通してもらったんです。就活でここを受けている学生だって言ったら、通ってもいいと言われました」

 守衛は部外者を一人で敷地内に入れるような真似をしない。基本は来客用スペースに通すし、フロアに入れる場合も、必ず訪問者に確認の電話を入れる。電話はきていない。

「結果をどうしても知りたかったんです」

 早紀の不審に気付くでもなく、章吾は続けた。

「電話でとも思ったんですけど、やっぱり直接の方が熱意も伝わるだろうと思って。ここを落ちたらもう後がないんです。この時期に説明会からやり直しになると、売れ残りしか選択肢がなくて、そういうところはブラックで、人を使い捨ての駒としか見てない。勝ち組から搾取されるだけの負け組コースで、金もなく結婚も出来ずに、奴隷として働くだけで人生終了。人生ってこの歳で決まるんですよね。だから僕、一生懸命やってるんです。面接結果、どうですか。僕、頑張りますから。頑張って働きますから」

 気圧され、一歩下がった。
 そのとき、またPHSが鳴り始めた。液晶に映った番号は、ティルネットのものだ。

〈杉崎です。向こうからリスト頂きました。今から転送しますが、早紀さんの言ったとおりでした。ブログ上で殺人予告された、株式会社ソルテットさんと陸頼商事さんなのですが、やはり受験者リストに久遠坂和之の名前はありませんでした。両社を共に受験し、受験日がブログに記された日付に一致する学生は、該当一名、天峰章吾という学生です〉

 受話器を耳に当てた早紀に背を向け、章吾は、早紀のPCのモニタを見ていた。
 モニタには、和之からのメールが開かれ、表示されたままだ。

【久遠坂和之です。いま選考結果のメールを読んだのですが、追伸以下に書かれている内容がなんのことかわからなかったので、問い合わせたく連絡しました。ここにあるブログを、僕が書いたものだと思っておいでですか? だとしたら誤解です。自分はこんなブログ書いてません。ざっと見ただけですが、ここに書かれている会社のうち、ティルネットさん以外は受けてもいないです。】

 章吾は自分の身体で早紀の視線からモニタを隠すようにしながら、メールを読んでいる。

【選考結果については残念ですが、仕方ないと思って納得しています。就活出遅れて対策もできていなかったから、上手く話せなかったと自分でも思ってます。でも落とされる原因が、僕自身ではなくてこのブログなのだったら、納得いかないです。なんのために面接で話をしたのかわからないです。】

 章吾が、手をかけたマウスをそっと動かした。モニタの上で、カーソルが、削除ボタンに吸い寄せられる。
 ばかじゃねえの――章吾の唇がそっと動いた。その表情は、毎日の電車の中で、社内で、街角で、ふと見かける気だるげな表情に似ていた。
 早紀は電話を切った。その音はいやに大きく響いて、つられるように振り返った章吾と目が合った。

「見ました? 今の」
 早紀の返事を待たずに、章吾は続けた。
「会社が自分を見ていると思ってるんですよね。世の中が自分を中心にして動いていると思ってる。そんなわけないっしょ」
 世の中を信頼する奴なんて馬鹿を見て当然だ――そう言っている。

 早紀は首を振った。「私達は学生を見ています」
 章吾は笑みを浮かべたまま頷いた。「そうですね」
 欠片も同意していないことだけは伝わった。

「面接結果、どうなんですか。久遠坂くんが落選なら、僕は採用なんじゃないんですか?」
「久遠坂さんの結果はまだ未確定です。選考において過誤があったことがわかったので、審議をやり直す必要があります」
「ブログ云々に関わらず、久遠坂くんは面接の出来が良くなかったので落とす、でよくないですか? 撤回して合格にしますか? ブログを検閲して合否判断にしていたなんて認めたら、久遠坂くん怒ると思います。あちこちで吹聴するかもしれないし、そしたら会社としても困りますよね。あくまで面接の出来で落とした。それで通した方がいいと思うんですが」
「だめです」
 章吾は苛立ったように頭を掻き毟った。「あなたの一存でそんな決定をしていいの?」
「責任はとります」
「七星グループの人事姿勢の実情が、ネットに広まることになっちゃう」
「実情は実情として謝罪をせねばならないと思っています」
「ここからは、ほんの世間話と思って聞いてほしいんですけど」

 章吾は鼻で息をつくと、突然、デスクの上のキーボードやマウスをばん、と散らした。
 デスクの上に尻を乗せると、胸を反らせて早紀を見下ろす。爽やかさを残した仮面を外し、片唇を吊り上げてにやと笑った。

「もし今あなたの身に何かあったら、疑われるのって誰だと思いますか?」
「……これは脅迫ですか?」
「ただの世間話だよ。“久遠坂和之”がブログにあなたの殺人予告を書いていることは、他にも知っている人がいるでしょう? 例えば、あなたが久遠坂くんに選考落選メールを送った直後に殺されたとしたら、その人たちはどう思うか。久遠坂くんが殺人予告を実行に移した――そう思うでしょうね」
「ブログの本当の著者を警察が調べますよ」
「無理。海外のフリーサーバを通しているので辿れない。よしんば証拠不十分で久遠坂くんのものと断定されないにしても、世の中、疑わしきは真っ黒、でしょ? マスコミは殺人予告を取り上げるし、久遠坂くんの名前は即ネットに拡散する。検索で一瞬にして過去がわかる時代ですから。悪い噂と一緒に名前がネットに転がっていれば、彼の人生に弊害が生じることくらい、あなたならわかるはずだよね? 早紀さんが変な意地を通すと、久遠坂くんまで不幸になるよ」

 章吾はデスクからとん、と降りると、一歩、早紀の方へと踏み出した。

「頑なに考えなくてもいいんじゃない? こういうことやってるの、あなただけじゃない。みんな恋人や友達の名前を検索してる。裏でどんなこと言ってるのかって調べてる。だって表で口にされる言葉より、裏で囁かれてる言葉の方が本音な気がするでしょ? 面と向かって好きだって言われても社交辞令かもしれないけど、自分の見てないところで好きだって言われてれば本当だと思うでしょ? 現実に嘘しかないから、みんな本当を探してるわけ。だから探し場所に嘘を置いておいて読ませれば、簡単に信じさせられる。僕はそれに気付いて利用してるだけ」

 ゆっくりと近づいてくる章吾を、早紀は手を振って遮った。
 丁寧に深々と頭を下げた。

「今後の天峰様の益々のご活躍をお祈りしております」

 がん、と脇のデスクの位置がずれた。章吾が蹴りつけたのだ。
 顔を上げると、章吾がじっと早紀を睨んでいた。「ふざけんなって」
 早紀は視線を受け止めた。「天峰様は不合格です」

「おい、こら――」
「天峰様は当社の必要としている人材ではありません」
「ちょっと――」
「天峰様のような性根の卑しい人間はお断りでございます」
「あのな、おまえ……」
「ぶっちゃけうざい」
 ぴたりと動きを止める章吾。
「おまえみたいの見飽きた。どっか行け。社会に出てくんな」

 章吾の顔色がみるみる赤黒く染まり、ぱくぱくと口を開け閉めした。口の中で言葉にならない言葉を呟き、何かを叫ぶ。言葉としては聞き取れなかった。
 早紀の方に歩み寄ってくる。後退する早紀の方に腕を伸ばし、椅子を乱暴に手で散らしながら迫る。

「っっざっけんなっ――」

 早紀の肩に手をかける直前、ばん、と部屋の入り口のドアが開け放たれた。
 二人組みの大柄な男が、部屋に入ってくる。立ち尽くす章吾のもとまで悠然と歩み寄ると、さっと身体を抑えた。
 章吾は目を白黒させた。二言三言だけ何か喚いたが、男が一喝すると、すぐに大人しくなった。

「大丈夫ですか?」

 声に振り向くと、雄大が心配げな様子で立っていた。
 力が抜けて椅子にへたりこむ。「……怖かった」

「無事で何よりです。連絡を受けたときは何事かと思いましたけどね」
 言ってから、ぽつりと付け加えた。
「最後、早紀さんも十分怖かったです」

 和之からの電話を受けたあと、早紀は杉崎に連絡をとった。ブログに記述された会社に、和之の受験記録があるか確認を頼むためだ。結果は否。ブログに記述された会社も人事の人間も、実在はしたが、久遠坂和之という学生が受験したという記録はなかった。
 ブログの記述は、和之のものではない。挑発的な文句を並べ立てるブログは、別の誰かが和之に悪印象を付けるための大道具なのだ。早紀は更新されていくブログをじっと見据えたまま、誰の仕業かを考えていた。犯人は、和之が、ティルネットを受験したことは知っていた。
 早紀を迎えに居室にやってきた雄大は、廊下から部屋の中の早紀を覗き込んでいる男の姿を発見した。不審な様子に、雄大が見ていると、男子トイレに引っ込んだ。一番奥の個室が閉まり、携帯を操作する音が聞こえてきた。
 守衛室から、学生に配った来客用IDカードが一枚返却されていないと連絡が入り、早紀と雄大は顔を見合わせた。
 天峰章吾のものだった。


 椅子にへたりこんだまま、気配を感じて振り返ると、フロアの隅に立っている姿に見覚えがあった。
 久遠坂和之だ。事情を知って駆けつけたらしい。目の前の状況を呑み込みきれないような複雑な表情をしている。自分の選考の裏で何が行われていたかを知って、彼もまた、社会を見捨ててしまうのだろうか。

 和之の脇を通るとき、章吾が恨めしそうな一瞥をくれた。和之は苦笑いしながら、軽く手を挙げて応えた。ばあか、何やってんだよと。陥れられそうになった者としてはあまりに軽いポーズで。それを見た章吾の表情が、つられて一瞬だけ、苦笑めいたものを浮かべる。
 ふと、思った。彼らは同じ時代、同じ年代にある者でないとわからない何かを共有しているのだと。

 振り返り、早紀と目が合うと、和之は笑みを浮かべた。
 どこか寂しそうな笑みだと思った。
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