はぐれ神 1
文字数 1,889文字
「人が多いな」
ユタは周りを見回してそう言った。
「だから?」
ソナはちらりとユタを見上げて言った。
「カンケー無いじゃん。どうせ見えないし聞こえないんだから」
「そういう訳には行かねーだろが」
ユタはそう言ってソナを見下ろす。
自分の腰程度の身長。
艶やかな黒い髪と濡れた様な黒い瞳。髪は耳元で二つに結わえ、白いリボンで飾っている。ソナの白い肌。紅い唇の間から真珠の様な歯がのぞく。
幼女の姿をしたこの『はぐれ神』は人間には聞き取れないほどの微かな声で唄を歌いながら歩く。ソナの声は古い森の木々を微細に震わせ、その道管を巡る水に気泡をふつ・・ふつと生じさせる。
ふたつ、みっつ、それこそ誰の耳にも届かない微かなその気泡の音を。
ぷつ・・ぷつと。
さわさわと森が鳴る。
花が揺れる。名も無い小さな花が。
さわさわ、さわさわ、風も無いのに。
二人は立ち止り、目を閉じ、森の声を聴く。深とした静かな声を聴く。
ようやく、ようやく来たな。
ああ。待ち草臥れた。待ち草臥れて、もう己が何者か忘れてしまう所だった。いや、もう忘れているかも知れない。早く行ってやってくれ。早く。早く。良かった。良かった。ようやく来た。ああ・・・何と長い間、待ち焦がれた事よ。
森はざわざわと囁く。
ソナは目を開けてちらりとユタを見上げる。
ユタは厳しい顔付きで道の行く末を見詰める。
ユタは大股で歩き出す。
ソナはその後を追い掛ける。
長い長い参道の両側は松林が続く。どこまでもどこまでも。
と、ユタは一本の松の前で立ち止った。
ひときわ高い松。
幹は固い亀甲状に割れた樹皮で覆われていた。
まるで鱗だ。
「これだ」
ユタは樹木を見上げてそう言った。
ソナは駆け寄った。
コルク状の固い樹皮に手を置いた。
「ぷつん・・ぷつ・・」
小さな音が掌を通して二人の体に響いた。
それは細やかな波動となって二人の体を通り抜けた。
ソナの長い睫毛に水晶の涙が生まれ、それがみるみる大きくなって、そして地面にぽつりと落ちた。落ちた所に銀の繊毛を持つ芽が生えた。小さな若芽は頭を一振りする。リン‥と微かに鈴の音が聞こえた。ぽろぽろと落ちる涙の雫。どんどん増える銀の芽。
あっという間に二人の足元は銀を塗 した黄緑の絨毯に変わる。
りん、・・・・りん・・。微かな音は人の耳には届かない。
「いい加減にしろ。ソナ」
ユタはうんざりしたように言った。
「だって・・」
そう言って、ソナは固い松の木にしがみつく。
「おいたわしや。おいたわしや。このようなお姿になられて。千億の昼。千億の夜。
遅ればせながら、ようやくここにたどり着きました。お待たせ申しました。誠に申し訳御座いません。ユタの阿呆が土蜘蛛の祠に捕らえられ・・」
ユタはソナの襟首を掴む。
「あ?ふざけんなよ。この小童 。お前が最初に捕まったんだろうが。土蜘蛛に。俺はお前を助けに行って土蜘蛛の巣に引っ掛かったんだ」
「その蜘蛛の巣から助けてやったのは私じゃん。・・・・あのままにして置いたら、ユタは今頃すっかり土蜘蛛の腹の中だね。蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされてじゅるじゅると精を吸い取られて、次には血を吸い取られて、次にはドロドロに腐らせた肉を吸い取られて、最後に骨をかりかりかりかりって。・・・・綺麗さっぱり。何も残らない」
ソナはにやりと笑って言った。
ユタは露骨に顔を顰めた。
「気色の悪い事を言うなよ。お前って本当に嫌な奴だな」
「いいから。早く膜を張って」
ソナは言った。
「だから人が多過ぎるってば。もう少し時間をずらそう。それよか、先に参拝 を済まさなくちゃな。・・・ここのご祭神は・・」
ユタは尋ねた。
「ちょっと、待ってね。・・・うーんと大己貴命 」
ソナはスマホを見ながら、答える。
「ふーん。それと?」
「素戔嗚命 と櫛名田比売 」
「ほうほう。それは。それは。・・・ラッキーなのか?それともアンラッキーなのか?・・‥じゃあ、夜にでもまた来るか」
「夜は嫌だ」
ソナは言った。
「では、誰彼 時に」
ユタが返した。
「御意」
ソナは優雅にお辞儀をした。
「神社を出た所に団子屋があったな。参拝が済んだらちょっとそこでゆっくりしようぜ」
「よもぎ団子って登りに書いてあった」
二人は人の波の先を見る。
「さて、参拝 に行くか。あっち側に引き摺り込まれない様にパワーを上げろよ」
ユタは真面目な顔でソナを見下ろす。
「もう、上げてるって」
「もっと上げるんだ」
「分かっているよ」
二人の体が見えないオーブに包まれる。ゆらゆらとフレアが立つ。
ソナはユタを見上げる。
「では、参ろうかの。兄者」
ソナはユタの手を取った。
ユタは周りを見回してそう言った。
「だから?」
ソナはちらりとユタを見上げて言った。
「カンケー無いじゃん。どうせ見えないし聞こえないんだから」
「そういう訳には行かねーだろが」
ユタはそう言ってソナを見下ろす。
自分の腰程度の身長。
艶やかな黒い髪と濡れた様な黒い瞳。髪は耳元で二つに結わえ、白いリボンで飾っている。ソナの白い肌。紅い唇の間から真珠の様な歯がのぞく。
幼女の姿をしたこの『はぐれ神』は人間には聞き取れないほどの微かな声で唄を歌いながら歩く。ソナの声は古い森の木々を微細に震わせ、その道管を巡る水に気泡をふつ・・ふつと生じさせる。
ふたつ、みっつ、それこそ誰の耳にも届かない微かなその気泡の音を。
ぷつ・・ぷつと。
さわさわと森が鳴る。
花が揺れる。名も無い小さな花が。
さわさわ、さわさわ、風も無いのに。
二人は立ち止り、目を閉じ、森の声を聴く。深とした静かな声を聴く。
ようやく、ようやく来たな。
ああ。待ち草臥れた。待ち草臥れて、もう己が何者か忘れてしまう所だった。いや、もう忘れているかも知れない。早く行ってやってくれ。早く。早く。良かった。良かった。ようやく来た。ああ・・・何と長い間、待ち焦がれた事よ。
森はざわざわと囁く。
ソナは目を開けてちらりとユタを見上げる。
ユタは厳しい顔付きで道の行く末を見詰める。
ユタは大股で歩き出す。
ソナはその後を追い掛ける。
長い長い参道の両側は松林が続く。どこまでもどこまでも。
と、ユタは一本の松の前で立ち止った。
ひときわ高い松。
幹は固い亀甲状に割れた樹皮で覆われていた。
まるで鱗だ。
「これだ」
ユタは樹木を見上げてそう言った。
ソナは駆け寄った。
コルク状の固い樹皮に手を置いた。
「ぷつん・・ぷつ・・」
小さな音が掌を通して二人の体に響いた。
それは細やかな波動となって二人の体を通り抜けた。
ソナの長い睫毛に水晶の涙が生まれ、それがみるみる大きくなって、そして地面にぽつりと落ちた。落ちた所に銀の繊毛を持つ芽が生えた。小さな若芽は頭を一振りする。リン‥と微かに鈴の音が聞こえた。ぽろぽろと落ちる涙の雫。どんどん増える銀の芽。
あっという間に二人の足元は銀を
りん、・・・・りん・・。微かな音は人の耳には届かない。
「いい加減にしろ。ソナ」
ユタはうんざりしたように言った。
「だって・・」
そう言って、ソナは固い松の木にしがみつく。
「おいたわしや。おいたわしや。このようなお姿になられて。千億の昼。千億の夜。
遅ればせながら、ようやくここにたどり着きました。お待たせ申しました。誠に申し訳御座いません。ユタの阿呆が土蜘蛛の祠に捕らえられ・・」
ユタはソナの襟首を掴む。
「あ?ふざけんなよ。この
「その蜘蛛の巣から助けてやったのは私じゃん。・・・・あのままにして置いたら、ユタは今頃すっかり土蜘蛛の腹の中だね。蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされてじゅるじゅると精を吸い取られて、次には血を吸い取られて、次にはドロドロに腐らせた肉を吸い取られて、最後に骨をかりかりかりかりって。・・・・綺麗さっぱり。何も残らない」
ソナはにやりと笑って言った。
ユタは露骨に顔を顰めた。
「気色の悪い事を言うなよ。お前って本当に嫌な奴だな」
「いいから。早く膜を張って」
ソナは言った。
「だから人が多過ぎるってば。もう少し時間をずらそう。それよか、先に
ユタは尋ねた。
「ちょっと、待ってね。・・・うーんと
ソナはスマホを見ながら、答える。
「ふーん。それと?」
「
「ほうほう。それは。それは。・・・ラッキーなのか?それともアンラッキーなのか?・・‥じゃあ、夜にでもまた来るか」
「夜は嫌だ」
ソナは言った。
「では、
ユタが返した。
「御意」
ソナは優雅にお辞儀をした。
「神社を出た所に団子屋があったな。参拝が済んだらちょっとそこでゆっくりしようぜ」
「よもぎ団子って登りに書いてあった」
二人は人の波の先を見る。
「さて、
ユタは真面目な顔でソナを見下ろす。
「もう、上げてるって」
「もっと上げるんだ」
「分かっているよ」
二人の体が見えないオーブに包まれる。ゆらゆらとフレアが立つ。
ソナはユタを見上げる。
「では、参ろうかの。兄者」
ソナはユタの手を取った。