はぐれ神 2

文字数 4,096文字

 私は○○神社の禰宜で御座います。
 今からお話をする事は当神社に実際に起こった事で御座います。

 神社という場では、時々不思議な事が起るものです。
 いちいちそれを挙げるならきりが無い程で御座います。しかし、その中でもこれ程驚いた事は御座いません。
 誰の人生に置いてもこれ程不思議な事は無かろうと思う程の出来事でした。
 私は腰を抜かしました。
 驚愕の為に腰を抜かしたのは後にも先にもあの時の一回限りで御座います。

 あの地響きの恐ろしかった事。
 ごうごうとと鳴る風の音、バケツの水をひっくり返したみたいに降り出した雨。
 全ての樹木が大揺れに揺れてそりゃあもう、この世の終わりかと・・・。
 私は恐ろしい夢を見ていたのではないか?・・・日々が過ぎて、何度もそう思いました。
 自分の見たものが信じられなかったのです。

 これは実を申しますと・・・・宮司には「口外罷り成らぬ」ときつく口留めをされておりましたが・・そうは申しましても、言うなと言われれば、誰かに話したくなるのが人の常。
「王様の耳はロバの耳」という寓話を子供の頃に読みましたが、全くあの通りで御座います。
 私は誰かに話がしたくて仕方が無いのです。どうにも心の留めて置くことが出来ずに、はるばるここまでやって参りました。

 狐様の事は稲荷様がよくご存じだと考えまして。
 まあ稲荷様なら構うまいと考えた次第で御座います。

 そう言って禰宜は話を始めた。
 山の奥の赤い小さな社の前で。
 禰宜の他には誰もいない。
 まるで稲荷様が人払いをしてくださったみたいに。
 その社の前で俺は話を聞いた。

 あれは春まだ浅い頃で御座いました。
 お庭の梅が2分咲きになった頃の。

 我が社の社叢は松林で御座います。それも樹齢何百年を超える黒松の堂々とした松林で御座います。
 その日は陽気が良かったせいか、沢山の参拝客が訪れました。

 そろそろ日も落ちる頃になって・・・。
 誰彼時の事で御座いました。
 誰彼時は「逢魔が時」とも申します。それが誰か判別の付かない薄闇の中で、出会う者は人とは限りませぬ。「魔」では無いとは言い切れませぬ。「魔」は予期せぬ災いを齎す事も御座います。
 故に「逢魔が時」。

 ご存じの様に神社へのお参りは午前中が宜しい。午後であっても陽が高い内なら宜しい。
 しかし、夕暮れ時はいけません。夕刻には神様もお休みになられますから。
 特に天気の悪い日は猶更で御座います。

 定時で拝殿の扉を閉めて、社の見回りを済ませ、宮司の(たちばな)様の所にご報告に参った時の事で御座います。
 橘様は私の顔を見て仰いました。
都賀(つが)。ご苦労を掛けるが、私と一緒に社叢の方を見に行って貰えませんか?・・・どうにも松林が・・」
 私は怪訝に思いました。
「松林が・・?如何なさいましたか?」
 私は社叢の方に目を遣りました。
 暮れ行く空の下で社叢は黒々と静かに見えました。いつもと変わりは御座いません。
「松林が騒がしいと感じます。何故か嫌な予感がするのです」
 橘様はそう仰いました。

 橘様は私よりも5つ程お若いのですが、修行を積まれたご立派な宮司殿で御座りますれば、私の様な凡人には伺い知れぬ第六感と申しますか・・・何といったら良いのだろうか・・
 適当な言葉が見つかりませぬが・・・。霊感とでも言えば宜しいでしょうか。予見とか。
 その様な常人には無い力をお持ちでした。
 なので、きっと私には伺い知れぬ何かの気配を感じられたのだと思いました。

「都賀は西の参道から南に戻ってください。私は東の参道から南に戻ります」
 そう仰ると、橘様は立ち上がりました。
 私は「東の参道の方が長いので私が東に」と言いました。
「いや、東は私が行きます。もうすぐ暗くなるのでライトを持って行ってください」
「分かりました。では社叢をどのように見てくれば宜しいですか?」
 私は橘様に尋ねました。
 何しろ社叢は広いのです。全部を見て回るのは無理だと思ったのです。
「参道に沿って見て来るだけで結構です」
 橘様はそう仰いました。


 私達は社務所を出て、それぞれの参道を進みました。
 辺りは薄暗く、当然の事ながら参拝客はおりません。
 松林が騒がしい・・?

 私は松林を見上げました。樹々はそよとも動かない。風も無く穏やかな夕暮れでした。
 私は言われた通りに西の参道から南の参道に回りました。
 広い参道をてくてくと歩く。森のあちこちに小さな社が立っているのが見えます。
 末社や摂社など。
 ぽつり。ぽつりと。
 ふと立ち止まってひとつの社を見詰めました。
 紙垂がゆらゆらと揺れているのです。
 私は木々を眺めました。
 木の葉はぴくりと動きません。

 私はその場を離れました。こんな事はよくある事なので気にも留めませんでした。
 日が暮れたのでライトを点けて南の参道を歩きました。
 この道が一番長い。そして広い。
 メインの参道です。

 と、見ると松林の一角がぼんやりと明るいではありませんか。
 私は橘様のライトの光かと思いました。
 で、ちょっと考えて、いや・・そんな筈は・・。
 何しろ東の参道の方が西の倍程長いのですから。
 これは、参拝客が残っていて、何かいたずらでもしようとしているのではないかと思い、急ぎ足でそこに向いました。

 ぼんやりとした灯りは大きな卵型で一本の松の幹を包んで灯っていました。

 私はあんぐりと口を開けてその光景を見詰めました。

 卵の薄皮の様な灯りの中に若い男が一人胡座姿で横笛を吹いています。
 その後ろで少女が裸足で踊っています。
 少女は鈴と(ぬさ)を持って、幹の周りを回りながらとび跳ねるみたいに踊っているのです。
 鈴を振り、幣を振り、黒くて長い髪を揺らしながら踊っているのです。


 何が驚いたって、音が聞こえないのですよ。
 彼等の奏でる音が。笛の音も鈴の音も。足を踏み鳴らす音も。
 すぐそこで踊っているのに。
 辺りを見回すと木々はそよとも動かず、まるで一心に彼らを見詰めている様に感じました。
 それとも私には聴こえない楽の音を彼らは聴いていたのでしょうか?

 私はごくりと唾を飲みました。
 卵型の明かりにそっと近付いて、恐る恐る指先で触れてみました。
 触れた途端に体が吹っ飛びました。
 凄い衝撃でした。
 慌てて指先を見るとそこには大きな水膨れが出来ていました。
 私は立ち上がる事が出来ませんでした。

 その時、ものすごい風がごおっと吹いて来ました。
 突然です。さっきまでそよとも吹かなかったのに。
 風はごうごうと吹いて来ます。
 暮れたばかりの空にむくむくと不穏な雲が現われ、ぽつんと雨が落ちて来たなと思ったら、あっという間にバケツをひっくり返した様な土砂降りになりました。ごうごうと木々が揺れる。べきべきっと大きな音が聞こえたと思ったら、大きな木が倒れました。
 どこかで雷の音が聞こえました。

 そんな中、膜の中では相変わらず何事も無いみたいに笛を吹いて、舞を舞っているではありませんか。
 卵の中には雨も無ければ、風も有りません。
 私はまるで別次元に存在しているみたいな卵を眺めました。

突然、「ずしん!」という大きな地響きが起きました。
 正に地面が跳ね上がりました。
 更にもう一度。ずしん!!と。
 卵の中の男は笛を吹くのを止めて立ち上がりました。そして空を仰ぎました。
 少女も踊りを止めて上を見上げています。

 物凄い稲光が空を走りました。
 これは危ないと思った私は慌てて這って逃げました。
 参道の向こう側まで泥だらけになって這って行き、小さな社によじ登りました。
 神様には申し訳が無いのですが命には代えられません。
 目も眩むような稲光が走ったと思ったら、それはまっしぐらに卵を直撃しました。一瞬辺りが真昼の、いや、真っ白に輝いて、何も見えなくなりました。私は眩しくて目を閉じました。
 耳を弄する大音と振動が社叢を突き抜けました。私はその衝撃でしがみついていた社から転げ落ちてしまいました。
 一瞬の光はすぐに消え、暗闇が戻って来ました。
 私は恐る恐る目を開けました。
 淡い光を放っていた卵の膜がぱりん・・・と、まるで薄い瑠璃が割れた様な微かな音を立てて、そしてぱりぱりぱり・・ぱりぱりと崩れて・・。膜の欠片がきらきらと星の様に光りながら落ちて・・・と、松がくにゃりと動きました。
 動いたのですよ。あなた。本当に。
松が。
 私は目を皿の様にしてそれを見守りました。

 龍が・・いや松が・・・・松が一匹の大きな龍に姿を変えて、・・・松が、・・いや龍が空を駆け上って、体をくねらせて・・東の空に。
 と、雨雲が龍の後を追って走り、もくもくと龍を包みました。

 雨は次第に小雨になり、風も次第に落ち着いて来ました。
 私があんぐりと口を開けたまま龍の消えた空を見ていると,突然「きゃらきゃらきゃら」という甲高い笑い声が聞こえました。

 転げたままそちらを見ると、真っ白い狐が二匹、こちらを見ているのです。
 どちらも背中に小さなリュックを背負っています。
 彼等の体からはゆらゆらと光が漏れていました。
 体全体が輝いているのです。

 一匹はとても大きな狐でした。もう一匹はそれよりも少し小さい。
 大きい方の狐の目は金色でした。小さい方の狐の目は銀色でした。
 狐の額に小さな赤い点が3つ、三角形の頂点に位置に。

 小さい方がぴょんぴょんと跳ね回っています。
 背中のリュックもそれに合わせてぽんぽん跳ねます。
「やった。やった。封印を解いた。解いちゃった。きゃらきゃらきゃら」
「解放した。解放した。方壷(ほうこ)の龍を解放しちゃった。きゃらきゃらきゃら」

 大きな狐が首を回しました。
「行くぞ。長居は無用だ」
 そうして(もり)の中を走り出しました。
「あっ、待ってよ。ユタ」
 そう叫んで、小さい方が後を追います。
 何と彼らの尾っぽは三つに分かれていました。
三尾の狐です。驚きました。本当に驚いた。

 彼等の白い姿は深い社叢の奥に消えて行きました。
 元通りに静まった森の中で、私は社から転げ落ちたままの姿で、松の大木があった場所を見詰めました。
 根っこがあった所が深く(えぐ)れていました。
 松は消えていました。
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