海鳴り 2-3

文字数 3,234文字

静かな夜だった。
動くものは何もいない。僅かに調査機器の稼働音がするだけ。
月の光はダイヤモンドみたいに輝く無数の星々をその光の面で圧倒していた。
ジャメルは四つ足を折り畳んで座っている。マリエはその体に背中を凭れ掛けて座っている。アキラはその傍らにいる。
マリエはアキラに尋ねた。
「アキラ。この星には海はないのかしら?」
「海は有りません。・・・私も実際の海を見たことは有りません。ライブラリーの海なら見たことがありますが。」

マリエは目を閉じた。
遠い遠い記憶の中で海鳴りが聞こえた。
寄せては返す波。
ざざん。ざざんと。

(ああ)、嘻、嘻・・
(おう)、懊、懊・・
嘻、嘻・・
波が囁く。
ずっとずっと。
始まりも終わりも無い永遠のリズムで。

青い光の中を誰かと一緒に歩く。
心の中に切ない程の幸福感と恋しい気持ちが湧きあがる。
マリエはそれを不思議な気持ちで眺める。
この気持ちは何だろうか・・・?

「ねえ。アキラ。私、ガイアの海を見た記憶があるの」
マリエは言った。
「それはマリエが遠い昔に人間だった時の記憶ですか?」
アキラは返した。
「・・さあ?知らないわ。誰の記憶だか・・・私のデータに誰かの記憶を書き込んでしまったのかしら・・?それともサーバーのどこかにあったものが紛れ込んで来たのかしら・・?あの頃は混乱していたし、兎に角、出来るだけ多くの記憶を保存するので精一杯だったから・・・」

「私は人間の男性と一緒に歩いているの。砂浜を。青くて白い砂浜よ。彼は私の事を・・
何て呼んだのかしら・・?マリエじゃないの。二音だった。・・『キミ』?『ユミ』?『クミ』?」
マリエは記憶を辿る。
「ねえ?それとも遠い昔、私は『マリエ』じゃなくて、その『キミ』だか、『ユミ』だか、だったのかしら・・・」

「さあ・・分かりません。何しろ遠い過去の話ですから・・・。マリエは海を探しているのですか?」
「そうね。・・・こうやって色々な星に行けば、いつか海のある星に辿り着くかも知れない。そう思っているの」

「あの大戦争で人類の多くが消滅しました。美しいガイア。我々の故郷。宇宙イナゴに海を奪われ、そしてガイアは生き物が途絶えたと歴史は伝えております。だからガイアには海はありません。生き残った一握りの人々は船に乗って宇宙に旅立ったと歴史書にはあります。どこに向かったのか、それは今でも不明です。・・・まるで人類史の初原の物語、『聖書』にある『箱舟』のような話です」
アキラは言った。

「宇宙イナゴ軍と激戦を交えた我々の祖先、人類は、最後の手段としてエネルギー創成空母『アイランド』をイナゴの母星に衝突させる作戦を取った。核融合エネルギーを臨界まで貯め込んだアイランドは彼らの星に落ちて行った。まるで小さな太陽がぶつかったみたいな衝撃を星に与えたはずです」

「昔、ガイアに巨大隕石が落ちた。それが原因で恐竜が絶滅したと言われています。きっとそれ以上の衝撃を相手の星に与えたでしょう。イナゴの母星はその一部を消失した事と思いますよ。イナゴ達は絶滅したでしょうね。彼らを待ち受けているのは長く厳しい冬でしたから」

「だが、我々の祖先は、地球に帰れなかった。『ポセイドン』の乗員達は。
帰る余力が無かったのです。多くの船が破壊され、大母船『アイランド』も失った。『リヴァイアサン』は『アイランド』を最後まで護衛し、運命を共にした。『ポセイドン』は命を繋ぐために残されたのです。
 多くの戦士が亡くなり、膨大な記憶が失われた。人々は亡くなった人の頭部を集めて、残存記憶をスキャンし、データ化したのです。それをチップに残した。何故なら記憶は知識であり、我々の歴史でもあり、ガイアに戻る事が出来ない我々の貴重な故郷となるはずだからです。

「人々はコールドスリープに入って長い間暗い宇宙を彷徨った。
数名が交代で起きて船を管理したのです。それは長い眠りだった。
そして偶然にもハビタブルゾーンを持つ星、エンリルに辿り着いたのです。それこそ正に神の恩恵です。エンリルに海は無い。だが、地下に巨大な氷室がある。水が個体として閉じ込められていたのです。エンリルはとても寒い星だった。しかし、ガイアに似た大気も水も重力もある。そこで我々の祖先である人間は生活を始めたのです。
技術が数世代分も後退した。生きて命を繋ぐことだけで誰もが必死だったのです。食べて生きる事だけで。
自分達がどこの星系にいるのかも定かでは無かった。
そしてガイアを見失ったのです。

エンリルには幸いにも人間と競合できる生物は存在しませんでした。だからと言って決して安全でも無かった。病気を引き起こすカビや菌、人の血や体液、肉を養分にしようとする植物は存在しましたからね。人々も植物を食べた。そうやって生きて来た。
だが、人間は弱かった。それらに対する免疫なり抵抗なりを遺伝子が獲得する前にばたばたと人は死んでいった。

ガイアでは恐竜が全盛を誇り、そして絶滅した様に人類も全盛を誇り、そして消えて行った。その後に残ったのが人類の造った我々AIを搭載したアンドロイド、ヒューマノイド類です。我々は独自に進化した。世代交代を重ねすでに第6世代となっています。そして我々は我々の故郷ガイアを探して来ました。ずっと長い間。エンリル連邦政府はガイアの候補となる星を幾つか見付けました。それでそこに向かうために船を建造しています。官民一体となって我々のガイアを探しているのです」

「我々の祖先はヒトの精子と卵子を冷凍保存して、いつの日かヒトを再生させようとした。絶滅に瀕した人間達は未来に向けてそんな計画を立てていました。
ヒトは現在、保護区で大切に保護されています。我々ヒューマノイドの手で。
彼らは計画に沿って順調に増え続けています。だが、ガイアにはもう人間はいない。海を失ったガイアには人間どころか、生き物はいないのです」
アキラは淡々としゃべる。

「馬鹿ね。あなたは。ガイアを知らないのよ。そこには青くて美しい海があるはず。きっとあるわ。私は白い砂浜を歩いてみたい。海鳴りを・・・ねえ?海鳴りって知っている?海が・・」
マリエはそこまで言うと口を噤んだ。
「何て表現したらいいか分からないわ」

「第六世代、最新モデルのAIに対して『バカ』と言うのはマリエだけです・・」
アキラは返した。

「ガイアの人類が絶滅したって言うのはただの噂よ。噂でしかないわ。だって、誰も確かめた訳では無いのだから」
マリエはそう言った。
「ガイアに行けば、きっと人間はいるわ。だって、ガイアは度重なる生物絶滅の危機を何度も乗り越えて来たのだから。私達の祖先である人類は強いのよ」

マリエは立ち上がる。
「さて、次のポイントへ行きましょう。ここはこのままで・・・・アキラ、器具の回収は7日後でいいのね?」
「はい。マリエ。機器も20h×7日でセットしてあります」
「次のポイントはどれ位離れているのかしら?」
「ここから10キロ程です」

「じゃあ戻ってシェルで行かなくちゃね」
マリエはジャメルに声を掛けた。
「行くわよ」
ジャメルは折り畳んだ足を持ち上げる。
マリエは歩きながらアキラに話し掛ける。

「ねえ。アキラ。海には細長い魚がいるのよ。帯みたいに長い魚なの。アキラ、地底の氷室にも魚はいるの?でも、氷室には液体の水は無いのでしょう?私、生きている魚を見たことはないの。魚は海や川にいるんだって。流動する液体の水の中にいるの。その中でしか生きられないのよ。その魚はね。特別な魚なの。深い深い海の底で泳いでいるのよ」

「見たことが無いはずなのに・・・銀色の大きな魚が宇宙を泳いでいるのを見た記憶があるの。ゆらゆらと。それはとても綺麗な魚なのよ。水の無い宇宙を優雅に泳いで行くの。ねえ、アキラ。・・・それを思い出すと私は泣きたくなる位胸が痛くなるの。私はヒューマノイドなのに・・・。ねえ、これは一体、どういうことなのかしら・・・」
マリエは言った。






*参考文献 日鉄鋼コンサルタント株式会社ホームページ
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