海鳴り

文字数 4,996文字

久美は狭いベッドの中で寝返りを打つ。
こんな風に静かな夜には遠い海鳴りが聞こえる様な気がした。
寄せる波が囁く
(ああ)、嘻、嘻、・・
返す波が呻く
(おう)、懊 懊・・・

嘻、嘻、嘻、・・懊、懊、懊・・・
始まりも終わりもない永遠のリズムで波は寄せて返す。

久美と恭平は青い砂浜を歩く。月明かりに照らされた美しい浜辺。何もかもが青い影の中にある。船も岩も桟橋も。

砂浜にどこまでも続く二人の足跡。
肩を寄せて歩く二人の影が出来る。

嘻、嘻、嘻、・・。懊、懊、懊・・・・海鳴りは止まない。

深い海の中では大きなクジラが泳いでいるだろう。
それこそ船みたいに大きなクジラだ。
その傍らには少し小さいクジラ。時に戯れ、時に追い越し。
(つがい)のクジラは長閑(のどか)に悠々と泳ぐ。果ての無い大海原をどこまでも泳いで行く。
そんな話をした。
恭平は「とても素敵だ」と言った。

その後ろにはちょっと小さい魚の群れ。彼らはクジラにくっ付いて泳いでいる。
いつかクジラは鯱の群れに襲われるかも知れない。
その時はおこぼれを頂戴する。その時を狙っている。いや、もしかしたら鯱が喰われるかも知れない。
どちらでもいい。そんなのはどうでもいい。
喰えればいい。

赤や黄色の魚も見える。縞模様やグラデーションの魚も。彼らは綺麗な衣装を身に纏っている。けれど獰猛さでは誰にも負けない。

「物騒だな」
恭平は笑う。

もっともっと深い所ではうんと細長い魚が泳いでいる。それこそ10メートル以上もある魚だ。
「リュウグウノツカイ?」
恭平が言う。
「似ているけれどちょっと違うかも」
久美は返す。

薄っぺらい帯の様な魚。尾鰭の一番端っこでは魚と水の境が分からなくなる。銀色に輝く体と透明な鰭を持つ。
それが真っ暗な深海をゆらゆらと優雅に泳ぐ。
「綺麗な銀色なのに暗くて見えないのは残念だな」
恭平はコメントをする。

久美はそんな深海魚になりたいと言った。
海の深淵。真っ暗闇の中、たった一人で泳ぐ。想像を絶する水圧。そして同じく想像を絶する域の広大さと深さ。
そんな海の中で敵に遭遇する確率はどの位あるのだろう。そもそもそんなものは確率で算出できるのだろうか?計算の基礎となる数字は何だろう・・・?どこから引っ張って来るの?

だが、確率は勿論ゼロでは無い。
確かに。
仲間に遭遇する確率も同様に。


「たったひとりで暗くて深い海の中を泳ぐのは寂し過ぎる」
恭平が言った。
「じゃあ、あなたが私を探してくれる?あなたが私を見付けるのよ。・・・それで、私達はたった二人で(つがい)の深海魚になるの」
久美は返した。
恭平はああ、それもいいな。と返した。
二匹の深海魚は時に重なり、絡まり、そして海底に沈んだ海賊船の中で眠る。
「長い体の置き場に困るかしら?」
久美は言った。
「くるくると丸まればいい」
そう言って恭平は笑った。


あれは、あんな話をしながら浜辺を歩いたのは・・・いつの事だっただろう・・・?
久美は思う。
知り合ったばかりの頃か、それとも結婚してすぐだったか・・・。


深くて静かで重い海。
寄り添うように泳ぐ二匹の深海魚は久美の夢に棲んでいる。
久美はまた寝返りを打つ。
半分眠ったままうっすらと微笑む。
ああ、海鳴りが鳴り止まない。
嘻、嘻、嘻・・・懊、懊・・



突然の警報音が船内に鳴り響いた。
自動的に部屋の明かりが付いた。
久美はがばりと跳ね起きる。
そのままメタルスーツに手足を突っ込み、ファスナーを上げる。ヘルメットを掴むと部屋を飛び出し、自分の駆逐艦に走る。

AIが無表情な女性の声で繰り返す。
「敵艦隊発見。敵艦隊発見。ポイントx31.551,y110.663、z-3.889・・・。コードff230。散開星団NGE606709
付近。高速でアイランドに接近中。レベル4発令。レベル4発令。直ちにフォーメーション03AAAに移行されたし。フォーメーション03AAA・・・」

アイランドはエネルギー創成空母である。全てのエネルギーはそこで作られる。
言わば地球軍の命綱である。

巨大な空母の中は蜂の巣を突っついた騒ぎだ。黒いメタルスーツを身に着けたソルジャー達が走り抜ける。空母の壁に取り付けられたモニターには、遠く離れた空母ポセイドンがゆっくりと動き始めたのが見えた。

「空母『リヴァイアサン』タイムワープ準備完了。『リヴァイアサン』ワープまで5分。乗組員はワープに備えよ。到着地点はx31.001、y110.103,z-3.559、コードff220・・・・ワープ所要時間8.125宇宙時間。タイムワープ準備。ワープまで4分・・・ヘッドホン調整。ノイズ除去、ノイズ除去」
AIのアナウンスは続く。

久美が自分の艦の銃座に辿り着くと、すでにパルス砲の設定を終えたジャネが言った。
「よう。クミ。遅いぜ。シャワーでも浴びていたのかい?」
「序にお化粧もね」
久美はヘルメットを被ってゴーグルを調整する。
「メット、被っちまうのにか?」
「女性の身だしなみよ」

ジャネの笑い声が聞こえた。


「敵の真上に出るらしいな」
ジャネはぐるりと自分を取り巻いたパネルの座標を見ながら言う。


「・・・ワープ10秒前、シールドオン。・・・5,3,2,1。・・・Arukbreaker起動します。Arukbreaker起動。乗務員は衝撃に備えよ」
ドン!!という衝撃音と共に船が大きく揺れた。
漆黒の闇の中に浮かび上がる巨大空母『リヴァイアサン』。
リヴァイアサンの前方に取り付けれたArukbreakerが強力な重力波を放出して時空を折り曲げ、その波の頂点の線を繋いで船は進んで行く。

久美はショートカットされた時空を抜ける時に感じる不愉快な浮遊感とこれまた不愉快なノイズに堪えながら目を閉じる。
ノイズを完璧に除去することは出来ない。耳ではない。
皮膚が聴いている感じ。

脳みそがふわふわと浮き上がる感じ。何もかもが停止しているみたいに感じる。
心臓も呼吸器も時間も。体がどろりと溶けて周囲のガスに交じる。
自分と空間の区別が付かなくなる。

砂浜を歩く二人の姿が見える。
白い波頭。月明かりに照らされた青い砂浜。
恭平の声が聞こえる。

・・待っている。久美。待っているよ。いつまでも。
僕はここにいる。深い、深い海の底で。・・久美を探している。ずっと君を探し続ける。

Arukbreakerで歪んだ時空のどこからか聞こえて来る恭平の声。
もうこの世にはいないはずの恭平が時空の彼方から呼びかけて来る。何光年も離れた故郷、地球のあの青い海から。
ああ。違う。もう青い海は無い。海は盗まれた。青い海は黒や黄色や紫に色を変えた。
そして海の生き物が死に絶えた。
私が兵士として地球を出立する時にはそうだった。
この宇宙イナゴどもの所為で。


西暦2835年
地球の科学文明は高度に発達し、人類は月を開発し、次いで火星を開発し、次々に植民地をつくって行った。地球の自然環境は疲弊し、鉱物は掘り尽くし、エネルギーは枯渇し、水は不足し、増え過ぎた人間が暴動を起こす。幾重にも積み重なる深刻な問題を解決するには他の星を開発し、植民地をつくるしか手は無かったのである。

火星フロンティア科学技術都市。 通称 シティ。
人類が初めて月面着陸してから8世紀半が過ぎていた。

人類は他天体からやってくる異星人に出遭う事は無かった。
だからと言って敵が存在しないとは言えない。それは不可知だ。出遭えば分かる。だが、出遭わない内は不明なのだ。

もしも存在するとして、だったら出遭う確率は?
存在するなら零ではない。
仲間に逢う確率も同様に。

そんな人類が異星人からの攻撃を受けた。
彼等はイナゴと同じだった。やって来て食べ尽くす。
地球・月・火星の連合軍は全勢力を注ぎ込んで応戦した。
シティは灰燼と化した。人々は皆殺しだった。
あっという間の出来事だった。

次にイナゴ達は地球に襲い掛かった。
イナゴどもは破壊し、蹂躙し、盗んだ。
地球の半分の都市は壊滅的なダメージを受けた。土地は放射能で汚染された。
だが、人類は何とか彼らを追い返したのであった。
それから15年が過ぎた。
人類は復活し、イナゴの巣を見つけて破壊することにした。
それは復興よりも急務であった。




海は回復しただろうか?
地球の海は青に戻っただろうか・・・?
「タイムワープ終了まで0.056宇宙時間。本艦は無事タイムワープを終了します。イナゴの攻撃に備えよ。攻撃に備えよ・・・」
AIの声。
続いてジャネのだみ声が聞こえた。
「おい。クミ。起きているか?そろそろおっぱじまるぜ」

「Arukbreakerを終了します。Arukbreaker、システム終了。シールド解除。シールド解除。・・イナゴの攻撃に備えよ。ヘッドホン復旧。現在地。座標x31.001、y110.103,z-3.559。コードff220。駆逐艦は出撃せよ。駆逐艦は出撃せよ」

恒星間座標には空母『ポセイドン』の居場所が青く点滅している。「ポセイドン」からも沢山の駆逐艦が出撃している事だろう。
久美の乗った駆逐艦『イカヅチ』も出撃した。その腹には1万もの「無人攻撃ドローン(スズメバチ)」が搭載されている。

太陽系を遠く離れた銀河に浮かぶ二隻の巨大空母。
それは漆黒の深淵に燦然と浮かぶ巨大な光の島さながらだった。

「イカズチ、戦闘ポイントまで高速ドライブ。ポイントx31.551,y110.663、z-3.889・・・。コードff230。 パルス砲。エネルギー充填100%。攻撃準備完了。いつでも行けます」
AIの言葉に笑いがこみ上げる。
「戦闘時間はどれ位だった?」
久美が聞く。
「3時間」
ジャネが答える。
「どっちが多く潰すか競争よ」
久美が言う。
任してくれ。とジャネが笑う。
狙撃手は全方位360度、パネルと座標に囲まれている。

突然、青と緑とオレンジの巨大なフレアが立ち上った。
「衝撃波に注意。衝撃波到着まで凡そ1.5秒」
AIの声が消えない内に衝撃波で船が大きく揺れた。
無人攻撃ドローン(スズメバチ)放出。」
駆逐艦から列をなして無人攻撃ドローン(スズメバチ)が飛んで行く。彼らはセンサーで敵を見付けると攻撃する。ドローンの黄色の光があちらこちらで点滅している。



「さて演奏会の始まりだぜ。腕が鳴る。」
ジャネが笑う。
「クミ。これで生きて帰ったら俺と結婚しようぜ」
「OK!」
「本当だぞ!毎回、そう言って断りやがって。クミ、今度こそ俺のプロポーズ・・」
言い終わらない内に激しい戦闘が始まった。久美とジャネとミン・・・の6人狙撃手はAIアシストを受けながらパルス砲を撃ちまくる。
それぞれが6方位を担当する。シートは固定されている。だが、そのストッパーを外せば
銃座はくるくると動く。全方位に。宇宙では上も下も西も東も無い。
久美はまるでジェットコースターに乗ったシューティングゲームだと思う。
彼等の一段下には9人の狙撃手。



高速で指揮を執る指揮者の様に、指を滑らせて敵艦を撃つ。
「この野郎!!」
「このイナゴ野郎!!これでも食らえ!」
ジャンが怒鳴りながらenterボタンを押す。
敵艦がパルス砲を食らって爆発する。
「ボン!!」

久美は攻撃の間、頭が透明になる。全ての神経を総動員して座標に向かう。敵を倒す。一つでも多くの敵を。
私の美しい故郷を蹂躙し、最愛の夫である恭平の命を奪ったこいつらを皆殺しにしてやる。その一念で久美の体は動いている。度重なる戦闘で損なった体を再生臓器や特殊チタン合金、強化アルミ合金義肢で埋めながら、それでも戦いを止めない。
メットに守られたこの頭がある限り。
この記憶がある限り。
止める訳には行かない。

暗い宇宙の闇に火花が散り、爆発が起こり、火器が炸裂する。パルス砲が唸り、プラズマ砲がお互いの船を破壊する。あちらこちらにフレアが立ち上がる。
「高エネルギー体接近中。衝撃に備えよ。右舷の方向。衝撃に備えよ。」
突然のAIの声が聞こえたと思ったら、凄まじい衝撃が船を襲い、そして久美の体は真っ暗な虚空に投げ飛ばされた。
それは一瞬だった。

久美の体もジャネの体も真っ黒に焼けただれ、体半分が千切れていた。

意識を失う間際の久美の目に果てしない宇宙の海を泳ぐ一匹の大きな深海魚が見えた。
リュウグウノツカイに似た深海魚は銀色の細長い体を揺らしながら深い宇宙を優雅に泳ぐ。久美はもう無い腕を銀色に輝く体に伸ばした。
「恭平・・・・そこにいたのね。・・」

海鳴りが聞こえた。
寄せては返す。
嘻、嘻、嘻・・・・懊、懊、懊・・・
鳴り止まない海鳴りが聞こえ、そして静かに途絶えた。


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