夕立

文字数 3,417文字

子供の頃、夏休みにはよく母の実家に遊びに行った。
雷で有名なその県の北の方に家はあった。

 母と父は・・若しくは母一人で夏休みの始めに僕を連れて実家に帰る。そして彼等は一泊だけして次の日には東京に戻る。
「それじゃあ、お母さん。裕君、美香ちゃん、宜しくお願いしますね。兄さん達にも宜しく言っていたと伝えてね」と言って、沢山の玉ねぎやジャガイモや胡瓜や茄子と共に車に乗り込む。

「貴(たかし)、ちゃんとお手伝いをするのよ。お盆なったら迎えに来るわね。裕君、美香ちゃん、仲良くしてあげてね」
そう付け加えると僕だけ置いて帰って行く。それを僕とイトコの裕君と美香ちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんは見送る。
僕の家は洋食屋をやっていて夏休みはとても忙しかった。

 僕は小学校の2年生の頃から夏休みは母の田舎で過ごしている。
僕より1つ年上の従兄の裕君と2つ年下の美香ちゃん。一人っ子の僕。
 僕はここで過ごす夏休みが大好きだった。

 朝早く起きて近くの神社にクワガタを探しに行く。時には裕君と約束して夜明け間際のまだ薄暗い森をうろつく事もあった。
そして叱られる。
 暗い内は家の周りだけにして置けと。

 おじいちゃんが僕達を毎日の様に川に連れて行ってくれた。そこで僕達は浅瀬で魚を探したり、石を積み上げて小さなダムを造ったり、流れの中に寝そべったりして遊んだ。川にはちょっとした淵があって、大きな子達は水門から飛び込んだりして遊んでいた。

 
時々伯父さん達の使い走りをする。
おばあちゃんと一緒にとうもろこしを捥いでその皮むきを手伝う。
スイカを外の桶に入れて冷やす。
茄子やキュウリや枝豆やオクラを収穫してくる。
ショウガを引っこ抜いて来る。ミョウガを取って来る。
暑い盛りは家の中でゲームをしたり昼寝をしたりテレビを見たり。トランプをやったり。
 
 大人は仕事の、子どもは遊びの合間にお茶の時間が来る。
10時と3時のお茶。
その時はおじさん夫婦も農作業を休憩して広い縁側でお茶を飲む。
 スイカやメロン。それに茹でたてのトウモロコシ。
裕君と美香ちゃんとスイカの種飛ばしをやった。
スイカは近くに住む親戚が夏になると大量に届けてくれる。
小さくて黄色のメロン・・よくおばあちゃんたちはマクワウリと言っていたが、それは庭先の畑にあって、それを食べやすい様に小さく切って楊枝で刺して食べた。時々、暑い中マクワウリを捥いで食べると、日光に照らされた汁と果肉の温さ(ぬるさ)と熟し切ったメロン独特の甘さが口の中に広がった。

 学校から渡される夏休みのきまりには「朝十時までは家に居ましょう」とか「宿題は午前中の涼しい時にやりましょう」などと書かれていたが、そんなのは全く関係がなかった。
裕君の持っている夏休みのきまりにも同じ様な事が書いてあった。
 裕君の「夏休みのきまり」にある「川遊び」と「雷」について。
これは僕の所には書いていないなと思った。

 僕達は気が向くと一緒に宿題をした。
一言日記は何日か溜めて同じ様な事を書いた。
「虫取りしました。楽しかったです」
「川で遊びました。楽しかったです」
「スイカを食べました。おいしかったです」等々。
時にはスイカをトウモロコシに、川を花火にしてみた。

計算問題は電卓を使い、漢字はおじいちゃんに教えてもらった。
夜は庭で花火をした。
僕達は手持ちの花火を持ってぐるぐる回したり、屈んで線香花火をしたりした。誰の花火が最後まで()つか競った。
伯父さんは離れた場所で大きな連発花火を上げてくれた。それから噴水の様に上がる花火も。それを見ながら皆で拍手をしてアイスを食べた。

 僕達の毎日は同じ様に過ぎて行く。
そして同じ様に夕立がやって来る。
たまにすごいのがやって来る。

 夕立が来る前の空は黒くて分厚い雲が空をぐるぐると動き回る。
そしてさわさわと風が来る。
来るぞ。来るぞ。という感じに風が来る。

南の遠くの山の上で雷鳴が聞こえる。ゴロゴロ・・ゴロゴロと。

 僕達はダッシュで洗濯物を取り込む。そして窓を閉める。
次第に空が暗くなり、突然の夕立が降り始める。雨は地面を叩き付ける。凄い音だ。
あの雨の中にいたなら1秒でびしょ濡れだ。

雨だけで済めばいい。時に夕立はすごい雷様を連れて来る。

 ごろごろと遠くの方で鳴っていた雷の音が次第に大きくなる。
ぴかっと光る稲妻が暗い空を縦に走る。
枝分かれした光の先端が何処か到達すると凄い音がする。
ガラガラガラ、ドッシャーン。

おばあちゃんとおじいちゃんは慌てて雨戸を閉める。僕達も手伝う。
外にはバチバチ、ガラガラと大きな音が響く。
その頃には家中の電気が消える。お爺ちゃんがブレーカーを落とすのだ。伯父さんも伯母さんも家の中にいる。若しくはどこか屋根のある場所。

台所の窓では稲光がぴかぴか光り、それが椅子に座ったおじいちゃんの顔をピカッと照らす。まるでホラー映画だ。
おばあちゃんは既に納戸に隠れてしまった。
僕達はライトで首から上を照らし、お化けごっこをする。そして布団に潜る。

真っ暗闇だ。
「くわばら。くわばら」
裕君は繰り返す。
「何?それ?」
僕は言う。
「雷様が行ってしまう様にするまじないだ」
裕君が言う。
それで僕も「くわばら。くわばら」と繰り返す。
三人で「くわばら」を繰り返す。

 音が凄くて家が揺れる。
 突然の稲光。その度、真っ白に光る台所の窓。
すかさず耳を聾する程の雷鳴。
お爺ちゃんが暗闇の中で煙草を吸いながら、
「こりゃあ近いな」と言う。
おじいちゃんの煙草の火だけが薄闇に紅い。

稲光がすごい。次から次に光っているのが夏掛けを通しても感じる。瞼をぎゅっと閉じていても分かる。
僕達は耳を塞ぐ。音は大音量で僕の体を突き抜ける。

ピカッ・ガラガラ・ドッシャーンが続け様に鳴ったと思ったら、ドカーンと物凄い音がして家が跳び上がった。いや跳び上がる筈は無いのだが正に跳び上がった感じだった。

「こりゃあ、近くに落ちたな」
おじいちゃんが言った。

雷様の大音量が少しずつ収まって遠退いて行く。
僕達はおじいちゃんの命令で雨戸を開ける。
おじいちゃんがブレーカーを戻した。
テレビを点けてみたら、点かなかった。
雷様がテレビを壊したのだ。


 夕立が終わった後の空気はとても綺麗だ。
雨が世の中の全ての塵を洗い流したみたいだ。
水を滴らせた木々は全身シャワーを浴びたみたいに光っている。

まだ残った黒い雲の隙間から陽が差してくる。
光の階段が遠く広がる田圃の緑の絨毯に差している。あちらこちらで。それが虹色に光る。僕達は空に虹を探す。

 僕はここに来て雷様の恐ろしさを身に沁みて理解した。
兎に角、光と音が重なって次から次へと襲って来る。・・あの稲光と音と振動と言ったら・・・。
雷様には誰も逆らえない。
誰もが頭から布団を被って「くわばら、くわばら」と繰り返す。
おじいちゃんだけは例外だが。

道理で学校からのお手紙に「雷」の項がある訳だ。僕はそこに「様」を付けるべきだと思った。

「雷が鳴ったらすぐに家の中に入るんだ。水に近寄ってはいけない」
次の日の午前中、ミンミン蝉が元気に合唱を繰り返す。

田圃道を歩きながら虫取り網を持った裕君の講義を、虫篭を持った僕と美香ちゃんは聴く。
「外に居たら絶対に木の下に行ってはいけない。できるだけ低い場所に逃げる。木のそばには寄らない」
「金属は体から離す。以前、山で登山者の眼鏡のフレームに雷が落ちたと言うニュースを聞いた事がある」
裕君はそう言った。
「ええ!?」
僕はびっくりした。
「本当?」

さらさらと流れる小さな用水路の前で僕達ははたと立ち止まった。
目の前の稲は黒く、又は茶色に焼けて倒れていた。その辺り6メートル四方程。
そばに高い木も無く金属も身に付けていないのに稲は雷様のイカズチを受けて倒れていた。

 僕達はそれをじっと見て、また歩き出した。
「すげえな」
「あれがミステリーサークルなのかな」
美香ちゃんが用水路を指差して魚がいると言う。
僕達は現場に急ぐ。
小さなメダカ?は流れに逆らって泳ぐ。
裕君が網を入れたらそれはたやすく逃げてしまった。

「お盆って後何日?」
「後3日位だな」
「帰りたくないな。帰ったら宿題が待っている」
「俺だってドリル丸々残ってる」
「ずっとお盆が来なければいい」
 そんな事を話しながら歩く。

熱せられた緑の匂いがする。
青い稲を一斉になびかせてさあっと吹く風。
頭の上には青くてどこまでも大きな夏空が広がる。
緑一色の山向うにはむくむくと真っ白な入道雲が見えた。

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