真珠

文字数 2,517文字

親戚の通夜に行くためにマキ子は仕事を早退した。
仕事が手間取って少し遅れると電話を入れようと思ったが、上手く繋がらなくてイライラする。
家に帰ると夫の信二はもう喪服に着替えていて、帰って来たばかりのマキ子に
「おい。香典袋はどこだ」と聞いた。
「そんなの引き出しに入っているから、自分で探してよ」
そう言ってマキ子は洗面所に入った。

 汗をかいたからシャワーを浴びたい。
でも時間がない。少し迷ったがマキ子はシャワーを浴びる事にした。汗だらけの体では喪服を着たくない。
シャワーを浴びてさっぱりすると洗面所で化粧水をぱたぱたと付けた。
信二がドアをノックして、
「お前、何やってんだよ。もう叔母さん達が来るぞ。後十分で・・」
言い終わらない内に玄関のチャイムが鳴った。
信二は「ほら。もう来たぞ。早くしろよ」と言い捨てて応対に出る。

マキ子は簡単に化粧をすると夏の喪服に着替えた。
バックの中に数珠が有る事を確認する。
もう信二は外に出ている。
真珠のネックレスが見当たらない。
それをパタパタと探す。
玄関のチャイムが鳴る。
急いでそれに出る。
「まだかよ。早くしろよ」
信二が急かす。
「今、今行きます。御免なさい」
マキ子は真珠を諦めて靴を履く。
そして車のキーを持つと玄関に向かった。

家の外では叔母さんと咲ちゃんと夏ちゃんが喪服姿で待っていた。何か叔母さん、若返ったみたいとマキ子は思った。
三人とも立ち姿がすっとしていて、喪服姿がとても綺麗だと思った。

「お待たせしました。済みません」
マキ子は叔母さんに頭を下げた。
「いいのよ。マキちゃんが忙しいのは分かっているから。ゆっくり行きましょう」
叔母さんがそう言ってくれたのでマキ子はホッとした。

運転はマキ子がする。
車はマニュアル車だ。わざわざ探してそれを購入した。
信二は乗らない。マニュアル車の免許は持っていないのだ。
マキ子は車の運転が好きだ。それもマニュアル車が好きなのだ。車のパワーを直で感じる。
ローギアで回転数をぐんと延ばす。タコメーターの針が一気に跳ね上がる。
「何を好き好んでこんなレトロな車」
信二はそう言う。
なので運転は専らマキ子の仕事だった。

助手席に座った信二の足が邪魔でギアが入らない。
「ちょっと足が邪魔」
マキ子は言う。
「ああ、ごめん」
信二が足を除ける。
車はスタートする。
斎場に向かう道で信号待ちをするが、アクセルを踏んでも進まない。ギアがニュートラルに入っていた。そうかと思えば途中でエンストする。

「エンストとか、有り得ない。・・・何だか今日はスムーズに行かないなあ」
マキ子はぼやく。
「いいのよ。そんなに急がなくても」
叔母さんが後ろからおっとりと言う。
「そうそう。お通夜なんて急がなくてもいいのよ。ちょっと行ってそれで顔を出せばいいから」
咲ちゃんが言った。
マキ子はそうねと返した。
今日はすごく忙しかったなあ。いろんな事が上手く進まなくて・・。マキ子はそう思う。

「伯父さんも気の毒ね。あんなに可愛がっていた娘を亡くしてしまって」
「本当にね。まだ若いのに。何だったのかしら・・病気だった?」
「いや、事故です」
信二が言った。

「そうなの?優秀な娘さんだったのにね」
後ろの方はそんなおしゃべりをしている。マキ子はそれを聞きながら運転している。
「結婚していたかしら?」
「結婚していたわよ。お子さんはまだだったけれど」
「旦那さんも可哀想にね。」
「そうね。旦那さんも一緒に車に乗っていたけれど、旦那さんの方が重傷で先に亡くなったらしいわよ。」
「あら。そうなの」
「若いのに残念ね」
「じゃあ、奥さんを迎えに来たのね」
「仲良しなのよ」

「実を言うとちょっと私、狙っていたのよね」
夏ちゃんがそう言った。
「だって奥さんがいるのよ」
咲ちゃんが言う。
「そんなのどうにでもなるわよ。秘密の関係とか言って・・・ふふふ。ちょっとそそられたのよね」
マキ子は嫌な気分がした。そんな事わざわざここで言う事じゃないのに。


車は渋滞に巻き込まれた。
こんな斎場に向かう道で渋滞。もう信じられない。
マキ子はため息を付く。
「これじゃ、なかなか着かないわね」
「お前が遅いからじゃないか」
信二が言う。
「いいから。いいから」
叔母さんが言う。
「仕方ないわよ」
マキ子は唐突に真珠の事を思い出す。
「ねえ。あなた真珠のネックレスを知らない?どこを探しても無いのよ」
信二は聞き返す。
「どんなやつ?」
「沖縄に旅行に行った時にあなたに買ってもらった物よ。粒が凄く綺麗な・・」
信二はじっとマキ子を見る。
「それなら、壊れてしまったじゃないか。あの時・・糸が切れてばらばらになって・・」
マキ子は聞き返す。
「えっ?いつ?」
「マキちゃん。お幾つ?」
咲ちゃんが突然声を掛ける。
「30です」
マキ子は答える。
「ああそうなの?・・これからだったのに。残念ね」
「えっ?」


・・?


斎場は目の前だ。ようやくたどり着いた。
マキ子は駐車場に車を乗り入れる。
そして車を停める。
叔母さん達も信二も車から降りようとはしない。
マキ子はサイドブレーキを引くと信二を見て言った。
「ねえ。これって誰のお通夜だったかしら」
信二は黙ってマキ子を見る。その目に涙が溢れた。


後ろから叔母さんの声が聞こえた。
「あなたのお通夜よ。だから急がなくていいって言ったのに。なかなかここまで辿り着かなかったわね。・・・着かなければそれで済んだのに。・・・まあ着いてしまったから仕方ないわね。さて、降りましょう」
マキ子は声が出なかった。

後ろの三人は黙ってドアを開けて外に出ている。
マキ子は茫然としていたが、突然ドアを開けると斎場に走り出した。
「マキ子!」
信二が呼ぶ。

マキ子は斎場の文字を見てそこに立ち尽くす。
「城田マキ子様葬儀」
後ろから三人がやって来る。
まるで死神の様に。

ああ・・思い出した。
叔母さん達はもう随分前に亡くなっていたのだ。彼女達も交通事故で。
彼女達の姿は昔のあの頃のままだ。

三人の後から信二がやって来た。
「もう辿り着いてしまったから仕方がない」
信二がそう言った。
「あの時もお前が運転していた。お前がなかなか来ないから・・・」
そう言って信二は握った掌を開けて見せた。
そこには真珠の粒が3つ。
マキ子は黙って信二を見詰めた。
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