第74話 この世界の知識

文字数 2,446文字

 「じゃあ、鳴らすよ?」
 「うん」
 「お兄ちゃん、またあそぼうね」
 カゲリが憶の裾をすっと掴む。
 「また遊ぼう。カゲリ」
 お兄ちゃんはお堂の大きな紐をつかんで、カランカランと鈴を鳴らした。
 「ほら。燈も」
 「うん」
 燈もカランカランと鈴を鳴らす。
 手を合わせ目を閉じた。
 燈が元気になりますように。
 見守っていてくれてありがとうございます…。
 …。
 風が吹いてくる。体が、風に乗って浮かび上がる。
 僕は、何かをつかむように手を伸ばした。
 ガシ。
 「憶」
 目を開ける。
 お父さん?いや違う。
 「


 すぐ隣にはフェンリルがいて、

の後ろで、青虎(ミカ)が風を纏う自分に襲い掛かっていた。
 「何度やっても意味ないよ。ミカ」
 そんなことを風を纏う自分が言った。実際、青虎の爪は相手の体をすり抜けている。
 「うるさい。意味はあるよ!無駄じゃない!」
 「全然当たらないのに?」
 ミカは自信満々に言い放つ。
 「おうよ!私が頑張ってるところを見せたら、ココロも頑張る気力が湧いてくる!」
 うわ。
 風を纏う自分と目があった。ミカが振り返る。
 「ココロ!フェンリルも!?」
 「ミカ。もう大丈夫。もう怖くても逃げたりしない。思い出したから」
 僕は、僕に何があったのか、あの時思い出した。だからなのか、怖くても、その怖さに面と向かって対峙できようになった。
 前へ出る。怖さは感じるけど、それでも前へ。
 風の自分が向かってくる。暴風は猛威を振っている。
 「僕は、大丈夫…」
 風の自分が呟くの聞こえた。
 互いに近付いて、僕と風の自分が、吹き荒れる風に包まれる。風の自分は何もしてこない。何も言ってこない。ただ僕をの目を見ている。少し、表情が穏やかになった気がした。
 そして吹き荒れる風にかき消され、いなくなった。風が止む。静かになり、僕はミカとフェンリルに向き直った。
 「ミカ、フェンリル。ありがとう。何とかなったみたい」
 「さっすがココロ」
 「ココロはやっぱり強いね」
 ミカが「よっ」と人型に変化(へんげ)する。風が止んで闇も晴れてきた。足元には模様の刻まれた床が、見上げると赤い円盤、『反転の塔』の屋上が見える。そして、

が中央の本の紋章の傍に立っている。
 「憶」
 返事をしようとして、言葉に詰まった。

さんというのは呼びにくいし変だ。
 「えっと…。なんと呼べばいいですか?」
 聞いてみたけど、

微笑を受かべて首を少し傾げるだけだ。何でもいいということかな。
 じゃあ、本の紋章の所に現れたし、知識って言うぐらいだから…。
 「ブックさんって呼んでいいですか?」
 「ふふ。いいネーミングだね」
 「この世界の知識(ブック)さんは、この世界のことを何でも知ってるんですよね」
 「そうだよ」
 「ならさっきの奴、僕と同じ姿だったけど、一体何なの?今までも、自分と同じ姿のやつがこれまでも出てきたけど」
 「風を纏う憶の姿をした存在は、憶自身の負の心の現れだよ。恐怖や諦めなどの、感情の現れ。今まで憶が遭遇した存在、鏡の憶、氷の憶、赤い水の憶、火の憶も、憶自身の負の心の現れになる」
 「僕の負の心の現れ…」
 今までにあいつらが言ってきた言葉。
 鏡の自分の言葉。
 もう寝よう。力が入らない。僕は、僕だよ。
 鏡の自分は、消える前に史弥お姉ちゃんにお礼を言った。来てくれてありがとうって。
 氷の自分の言葉。
 僕もそうなる。僕は僕。
 僕の体が氷で覆われて行く時あいつは、何もしていない、違うと言った。そして、もう寝よう、と。
 赤い水の自分は、鰐なんてどうでもいい。どうしてハートさんはお母さんにそっくりなのかと聞いてきた。
 火の自分は、僕は初めからいる。そのことに僕が気付いただけだよと言った。そして、終わりが見えない、いつになったらここから出られるのか、僕が思っていたことを口にした。
 風の自分は、僕は大丈夫、と言って消えた。
 いつも支離滅裂なことを言っていると思っていたけど、そういうことだったんだ。僕の中に、不安や諦めの気持ちが少しはあった。それが出てきた。
 最初に出てきた鏡の自分。あの時も、史弥お姉ちゃんにお礼を言った意味がわからなかったけど、史弥お姉ちゃんが来てくれて嬉しいのはわかる。鏡の自分は史弥お姉ちゃんに会って消えた。負の気持ちが弱くなって消えたんだ。
 さっきの風の自分もそうだった。あいつらが消える時は、僕の中の負の気持ちが消えた時だ。反対に出てくる時は、心の中で負の気持ちが強まっていた時だったんだ。
 「そっか。そういうことだったんだ。それじゃあ、九尾が言った邪気や毒というのは?」
 九尾の言葉。
 怖がらなくていいよ。迷い子よ。
 お前は邪気に侵されている。
 邪気はこの状態を生じさせ、この状態は毒を生み出す。氷像(あれ)は、この状態が生み出した毒よ。邪気を、浄化しなさい…。
 「邪気は、外の世界からこの世界に根付いた負の力だね。『赤の川』に出てきた黒い鰐、それに暗い水族館の靄は邪気の一部だったよ。毒は憶の負の心、負の感情だね」
 「あの鰐と靄が邪気の一部…。外の世界の負の力。邪気は、一つじゃない?」
 九尾は、邪気の浄化の方法は教えてくれなかった。
 「どうやったら邪気を浄化できるんですか?」
 「邪気は…この世界の中の事ではないから、私にはわからない。しかし、憶が目覚める方法なら知っているよ」
 「どうやるの?」
 それこそ僕が一番知りたいことだ。
 「シナプスの光を、『狭間の祠』の果てで放てばいい」
 「シナプスの光…。『狭間の祠』の果て…。それは、どこに?」
 「そうだね。ところで憶。自分は何だと思う?」
 「え?」
 何って言われても…。
 「自分という存在は、何だと思う?」
 自分という存在?え、哲学の話?
 「私はこの世界の知識だ」
  頷く。
 「憶は、この世界の心臓に会ったね」
  頷く。
 「では、憶。憶は、この世界の何だと思う?」
 …え?
 思ってもみない質問。
 自分が、この世界の何かって?
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み