第31話 九尾伝承〜後編〜(12月26日 その時まで4日)

文字数 2,735文字

 「いやー!」
 急に辺りが静かになる。
 村人たちはセツに視線を向けている。その視線が、セツの後ろの山の方へ、少し逸れる。
 みんな私の後ろを見ている、そう感じたセツは振り返って、見た。
 とても綺麗な、真っ白な、大きな狐が佇んでいた。
 尻尾が大きくて、胴体の三倍ぐらいある。
 ほっそりとした(かお)の口が裂け、鋭い牙が除く。釣り上がった金色の目が、村人を威圧する。
 その大きな尻尾がふわりと持ち上がり、九つに分かれた。
 「よ、妖怪だ!」
 「化け狐だ!逃げろ!」
 セツを罵っていた村人たちが、慌てて逃げていく。
 九つの尾をもつ白狐は跳躍し、その白い尾で逃げ惑う村人を一払いした。するとその村人が、パタリと倒れる。それを見た村人たちが、悲鳴を上げて散っていく。白狐は、セツを罵っていた村人たちを次々と襲い、村中に悲鳴が響き渡った。
 セツは呆然と立ち尽くしていた。
 「あれは九尾だ!セツ!逃げよう!」
 リョウがセツの腕を掴み、ロクが「こっちだ!」と、村の裏手にセツとリョウを先導する。
 ビュウッと旋風が吹き抜けた。その一瞬で、九尾はセツの眼前に来ていた。
 九尾は、セツを見つめている。ロクとリョウが、セツを守るように一歩前に出る。セツも、九尾をじっと見つめる。
 「セツ」と、九尾はセツの名を呼び、そしてそのまま、ゆっくりと歩いてセツの脇を通り抜け、森の奥へ去っていった。
 ロクとリョウはじっと身構えていたが、九尾が見えなくなると、ふ〜っと大きく息を吐いて体の力を抜いた。
 「セツと呼んだぞ?」
 「知ってるのか?」
 ロクとリョウがセツに尋ね、セツは「ううん」と首を振る。
 「そうだよな。知ってる訳ないか。まあ、なんとか俺たちは助かったみたいだ。…村は、どうなったんだ?」
 村の様子を見に行くと、倒れていたのは、セツを罵っていた人たちだった。他の人たちは襲われなかったようだが、腰を抜かしてへたり込んでいる。
 ロクは倒れている村人の容態を調べてみた。
 「生きている。…傷は、ないようだ」
 ロクとリョウは倒れている村人を見て回った。
 「誰も怪我をしていないぞ」
 「お父ちゃん、みんな寝ているだけみたい」
 無事だった村人たちはだんだん落ち着きを取り戻し、倒れている人たちをそれぞれの家に運び入れた。
 その晩、山を越えた先の空でとても大きな雷が鳴った。
 九尾に襲われた村人たちは、翌朝に目を覚ました。皆大人しくなっており、セツに謝った。
 それ以来セツのことを罵る者はいなくなった。セツもまた、九人の姉に出会うことはなくなった。そして村人たちは、九尾を怒らせることがないように、村の外に祠を立てた。狐を模った石像を置き、山菜や木の実、蕎麦の実を御供えするようになった。
 時折り、白狐が山から現れて蕎麦の実を取って帰るのを、村人たちはありがたく見守った。
 歳月は流れ、セツとリョウは結婚した。セツが子供を身篭った頃、旅の巫女が村に訪れた。旅の巫女は、山神のお告げを伝えに来たと言った。
 「もうすぐこの場所に嵐が来ます」
 村長(むらおさ)は、山神のお告げを聞き入れた。そして旅の巫女にお礼として、お茶と蕎麦がきをもてなした。旅の巫女はそのお返しにお香を村長に差し出し、村長はそれをありがたく受け取った。
 旅に戻る巫女を見送る村人の中に、セツもいた。そのとき、セツには巫女に九つの影があるように見えた。
 気になったセツは、一人でこっそりと巫女の後をつけて山の中へ入って行った。旅の巫女は山道を逸れて、山の奥へ歩いて行く。
 あ。この場所は…。 
 そこはセツにとって思い出の場所だった。
 …お姉ちゃんたちと遊んだ場所だ。
 旅の巫女が、セツが隠れている木陰の方を振り返る。
 「戻りなさい」
 あっ。気付かれてる。
 セツは「ごめんなさい。後を着けたりして」と謝りながら、姿を見せた。
 「それはいいから、もう戻りなさい。…セツ」
 「あっ…。お姉ちゃん?」
 なぜかセツはそう感じたが、旅の巫女は首を振る。
 「…どうして、影が九つあるの?」
 「ふふ。九つの影は、きっと、光のせいよ?」
 「え…、でも…。私、お姉ちゃんたちと、また会いたい」
 「仕方のない子ね。ちゃんと嵐に備えるのよ、セツ」
 巫女がそう言った後、風がビュウッと吹いてセツは一瞬目を閉じた。
 「あれ?」
 目を開いたときには巫女は消えていた。代わりに、九匹の白狐が木々の間からセツの方を見ている。
 「白い狐?」
 九匹の狐はクルッと向きを変えて、森の奥へ行ってしまった。
 「あ…」
 セツは呆然とその場に佇んでいたが、しばらくして、とぼとぼと村へ戻った。
 村では意見が割れていた。村長(むらおさ)はお告げを聞き入れたが、村人の何人かは信じていなかった。
 「作物はまだ十分育っていない。収穫するのは早い」
 「嵐が来たら全滅だ。今のうちに少しでも収穫するべきだ」
 「嵐は来ないかもしれないじゃないか」
 「それより家屋の補強だ」
 「今補強に薪を使ったら、冬に備えがなくなるじゃない」
 村の広場に集まって、皆言い合っている。そこに現れたセツに、皆の視線が吸い寄せられた。
 「嵐は来ます」
 静かにセツが言い切ると、しーんと辺りが静まり返った。
 「…セツが、そう言うなら」と言ったのは、昔、病になったときにセツを責めた者だった。
 「病のときはセツちゃんを疑ってしまったけど、今度は信じるわ」と、また別の者も言い、皆セツの言葉に耳を傾け、不思議と意見はまとまった。
 巫女の言った通り、嵐は七日後にやって来た。とても激しい嵐だったが、村人たちは七日間の間に作物を収穫し、家屋を補強し備えていたので、なんとか耐え凌ぐ事ができた。
 村人たちは無事であったが畑は被害にあい、狐の祠も壊れてしまった。復旧は大変であったが、村人たちは力を合わせて村を再建していった。狐の祠も新しく作り直した。
 月日が経ち、セツは娘を生みハルと名付けた。ハルは元気に育ち、畑仕事ができるようになった頃、一人で山に遊び行くようになった。
 それはハルが山に遊びに行くようになって、十日ほど経った頃だった。
 「お母ちゃん。ハルのお姉ちゃんたちはどこにいるの?」
 「お姉ちゃん?ハルちゃんにお姉ちゃんはいないわよ?」
 「ハルはお姉ちゃんに会ったの。だからお姉ちゃんはいるの」
 「ふふふ。ハルちゃん。ハルちゃんは、お姉ちゃんに会ったことを誰にも言わなうようにって、お姉ちゃんと約束しなかったの?」
 「はっ!どうして知ってるの?お母ちゃん!」
 「ふふふ。お母さんはお見通しよ」
 「お見通しなら教えてよ。お母ちゃん。お姉ちゃんたちは、どこにいるの?」
 「さあ。どこにいるのかしらね?狐さんの祠にお供えに行きましょう。ハルちゃん」

 (こころ)は本を閉じた。
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