第67話 リビング

文字数 2,378文字

 門扉と玄関をすり抜けて家に入る。
 「フェンリル?」
 返事はなく家の中はシーンとしている。そのままリビングに行ってみた。
 「…何だ?あれ」
 汚れているソファに傷んだ椅子やテーブル。隅に置かれたテレビ。傷だらけの壁。見慣れた部屋の形。見慣れたキッチン。そのリビングルームの真ん中ら辺に、黒い渦が漂っている。
 「黒い渦?」
 僕はその渦に触れてみた。渦が広がって一瞬視界が暗くなり、すぐに晴れて渦が消えた。
 「…何だ今の?」
 何かあると思ったのに、何も変化が起こっていないような…。
 汚れたソファや傷んだ椅子、テレビはそのままある。壁もさっき見たとおり傷だらけだ。フェンリルもこの部屋にはいない。
 他の部屋を探そうとして、ふと窓に映る自分と目が合った。疑問が浮かぶ。
 「カーテンって、初めから開いてたっけ?」
 窓ガラスに、何かが映っている。
 「あれは、燈?」
 窓ガラスに映っているのは燈に見えた。燈が九尾のぬいぐるみを抱いてゴロゴロしている。ぐるっと視点が回ってお父さんが映った。お父さんは何かを誰かに渡しているようだ。窓ガラスに映る映像の視点は、それを受け取った本人の視点のようだ。サンドイッチが映り、テレビが映った。テレビは点いていて、ニュース番組のような画面が映っている。
 ピカッ。
 「うわっ!眩しっ」
 バリン!
 急に光って窓が割れた。ガラスの破片が細かい塵になって消える。割れた窓の外からとても嫌な気配を感じて、後ずさった。
 窓の外には、物凄い勢いで渦巻くトンネルが続いている。それを見て、恐怖が心の奥底から這い上がってくる。
 これは、やばい。
 壁にもたれて下を向き、大きく息をする。
 何でこんなに怖いんだ。何で、何で…。
 不意に、嫌な気配がしなくなったので顔を上げた。
 「あ」
 カーテンが、閉まってる…。また黒い渦だ。
 壁に寄りかかったまま、少し休んで、息を整える。
 「…もしかして、もう一回?」
 僕は黒い渦に触れた。渦が広がり視界が一瞬遮られ、晴れた時にはリビングのカーテンが開いている。そして窓ガラスに映像が映り、ガラスが割れる。
 「さっきと同じ」
 そして窓の外の渦のトンネル。
 怖い。何でこんなに怖いのわからないけど、怖い。
 窓の外で、黒い渦が物凄い勢いで回っている。膝がガクガクする。 だけど、今度はまだ、一歩も後ろには下がっていない。トンネルの中に、一瞬白犬が見えた気がした。
 「フェンリル?」
 僕は一歩、渦のトンネルへ踏み出した。震える足でトンネルの中を進む。
 渦はかなりの勢いで回り轟音を響かせ、その強い風で髪が乱れ服がバタついた。足元もグラグラしておぼそかだ。
 「ぐっ」
 また一瞬、渦の先に白犬が見えた。怖さはある。でも、フェンリルが導いてくれてる気がして、一歩一歩渦の中を進んだ。
 「え?」
 それは唐突に訪れた。怖さに抗って渦を進んでいると、不意に渦が霧散した。
 「リビングルーム…?」
 僕はリビングルームにいた。だけど、さっきとは違う。割れた窓ガラス。飛び散るガラスの破片が空中で静止し、カーテンはためいた形で止まっている。倒れている途中のテレビに、不安定に傾いたソファ、宙を浮く椅子とテーブル。時間が止まったかのような状態。
 「リビングルームに戻ったけど、どうなってるんだ?この状態?」
 部屋の一点に目が止まる。
 「また、黒い渦」
 同じ位置にまた黒い渦が漂っている。僕は吸い寄せられるように、その渦に触れた。
一見、何の変化もない。浮いたままの破片に家具。
 今度は何が変わった?
 グルリと見回す、真後ろの壁際に燈がいた。
 「燈!」
 とっさに呼びかけて伸ばした手が、燈の体をすり抜ける。
 「燈!燈!」
 何度呼びかけても燈は何も反応しない。ピクリとも動かない。
 「燈の時間も止まってる?」
 ゾクリと背筋に悪寒が走った。
 振り返ると、割れた窓から黒い靄が入ってきていた。ジワジワと空間に染み込むように迫ってくる。
 燈が…。
 自分の体が、ゆっくりと動いている。燈を背にかばい、黒い靄を受け止める。視界が黒に染まる。渦が体を包み込むと同時に、重く抗いがたい衝撃に襲われた。倒れる…。
 …思い出した。
 そうだ。そうだった。
 僕は、なぜ今のような状況になっているのか、こうなる前のその直前の出来事、あの時のことを思い出した。
 起き上がらないと。…ぐっ。
 頬が濡れるような感触があった。
 「ん…」
 目を開ける。ぼやけた視界が、次第に鮮明になって…。白い毛並みが見えて、間近に息遣いを感じて、ハッとした。
 「フェンリル!」
 「ココロ!気が付いた!」
 「フェンリル!」
 僕は起き上がってフェンリルを抱きしめた。
 「やっぱりフェンリルだったんだ。何で先先行っちゃうの?待ってくれてもよかったのに」
 「ん?オレはずっとここで、ココロの傍で、ココロが気付くの待ってたよ?」
 「…どう言うこと?」
 僕が首を傾げると、フェンリルも首を傾げる。
 ちょっと落ち着こう。部屋を見回そうとして、異質な物に目が止まった。さっきまでの渦よりも異様だ。
 「何だあれ?」
 また何か変なのが出てきたぞ。今度は黒い四角い物体が部屋の真ん中にあった。大きさはスーツケースぐらい。その物体に、黒い鎖がぐるぐる巻き付いている。
 「あれはここだよ。ココロ」
 応えるが返ってくると思ってなかったのに、フェンリルが応えた。でも、意味がわからなくて、聞き間違いとかと思う。
 「何?フェンリル、あれ知ってるの?」
 その直ぐ直後だった。
 (助けて!お兄ちゃん!)
 燈の助けを呼ぶ声が聞こえたのは。
 「燈!?」
 僕は燈を守れなかったの?燈はどうなったんだ?
 燈を探そうとリビングのドアに駆け寄る。
 「あ。ココロ!そっちじゃないよ!」
 呼び止めるフェンリルにかまわず、ドアをすり抜けリビングを飛び出した。
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