第76話 憶はこの世界の

文字数 2,352文字

 「憶が目覚める方法なら知っているよ」
 「どうやるの?」
 それこそ僕が一番知りたいことだ。
 「シナプスの光を、『狭間の祠』の果てで放てばいい」
 「シナプスの光…。『狭間の祠』の果て…。それは、どこに?」
 「そうだね。ところで憶。自分は何だと思う?」
 「え?」
 何って言われても…。
 「自分という存在は、何だと思う?」
 自分という存在?え?哲学の話?
 「私はこの世界の知識だ」
  頷く。
 「憶は、この世界の心臓に会ったね」
  頷く。
 「では、憶。憶は、この世界の何だと思う?」
 …思ってもみない質問。
 自分が、この世界の何かって…。僕は僕で、この世界の何かって聞かれても…。
 答えられないでいると、この世界の知識(ブック)さんが答えを教えてくれた。
 「憶は、

だよ」
 「…意思」
 ストンと納得した。
 僕に、氷の病を治すことができたこと。水中で息ができたこと。速く泳げたこと。
 ここまでくる間、心の中で唱えたこと、念じたことが、実際に出来ていた。
 それは、僕が、意思だから。
 …この世界に、僕の意思が働くから。
 だとしたら、僕は無敵になる。そうじゃないのは、限度があるからだ。
 僕は、どんなに意思を込めて目覚めると思っても、目覚めることはできなかった。意思通りになることもあれば、どんなに意思を込めてもできないこともある。
 「…僕は、この世界の意思か」
 「それを知ったうえで」と、この世界の知識(ブック)さんは微笑を浮かべて人差し指を僕に向ける。その指先から、キラキラした明るいシャボン玉のようなものが出てきた。それが、フワフワとこっちに飛んでくる。
 「それはシナプスの光。それを『狭間の祠』の果てで、目覚めるという意思を込めて放てばいい。そうすれば憶は目を覚ますことができるよ」
 『狭間の祠』は、『時の書庫』の時空の外にある要だ。
 「行き方は、そのシナプスの光を持って、目覚めるという意思を抱くこと」
 「…目覚める意思」
 試しにそう念じてみた。すると床の模様が変化して、何か風景のような空間が描かれ出した。床面に奥行きが生まれ、白い抽象的な形の物体がいくつも描かれ、そこで止まる…。
 僕は反射的に、『狭間の祠』に行くという意思に、ブレーキをかけた。
 …まだ。まだだ。急いだ方がいいのかもしれないけど、この世界の知識(ブック)さんに聞きたいことは他にもある。
 「行く前に、まだこの世界の知識(ブック)さんに聞きたいことがあります」
 「何だろう?」
 質問を組み立てる。なるべくシンプルに。
 「この世界が『時の書庫』みたいなのはどうして?」
 「私やこの世界の心臓と同じ。憶の無意識がそうしているからだ。そうすることで、憶は精神世界を秩序立てている。この世界で迷わないように、先に進めるように」
 先に進む…。そうだ。僕はよく、セアの真似をしてこの言葉を言っていた。
 「それじゃあケリュやラタ、セツや九尾も?」
 「そう。憶の記憶を元に、無意識がそうしているね。でも九尾はそれだけではないよ。憶は、神苑の森の神代槻を訪れた時、強い正の気を取り込んだ。その気が九尾として現れ、憶を守っている」
 九尾が僕を守ってる?
 「そうだったんだ。知らなかった」
 でもそれなら消えないで、一緒にいてくれてもいいのに、とも思ってしまう。でも、それさえも無意識がしたのかな。
 「九尾が正の気なら、『反転の塔』に入った時、獣が追ってきたけど、あれが、邪気?」
 「あれは、私の知らない何かだよ。邪気なのかもしれない」
 「九尾が正の気の現れとか、鰐と靄が邪気の一部とかは知っているのに、あの獣が邪気かどうかはわからないの?」
 「そうだね。九尾も鰐も靄も、この世界に充分に現れた。だから私は知っている。だけどあの獣は、まだ充分にこの世界に現れていない。現れていない存在は、私は知らない」
 「そうなんですね。なるほど」
 この世界にあるもの、現れたものを知ってるのか。
 「時々、お母さんや燈の声が聞こえたことがあったけど、あれは?」
 「あれらは、外の世界から働きかけの現れたのだよ」
 「それじゃあ、本当にお母さんや燈が言った言葉ってこと?」
 「そこまではわからない」
 「そっか。深淵の森の雪に書かれた言葉も、外の世界の働きかけ?」
 「そうだよ」
 燈も、お母さんもお父さんも、僕を支えてくれている。みんなの気持ちに応えないと。
 「あ、そうだ。最初、僕は真っ暗で気が付いたんだけど、そこで四っつの光が見えた。その一つは子供の形でもう一つは女の人みたいだった。あの光は、誰だったの?」
 「残念だけど、それも私は知らないことだよ。この世界は、憶の表層意識の世界なんだ。深層意識、無意識の領域は、私は知ることができない。たぶんその光とは、表層意識と深層意識の狭間で出会ったのだと思うよ」
 そっか。幽体離脱の事と燈とカゲリの事は、この世界の外だよな。史弥お姉ちゃんはどうなんだろ?外から来たっぽいけど、充分にこの世界には現れたはず。
 「史弥お姉ちゃんのことはわかる?」
 「彼女は、外の世界の働きかけと、憶の持つ気が重なり現れた存在。それ以上の事は、わからない」
 へ〜そうなんだ、という気持ちと、それってどういうこと、という気持ちが半々。でも、もう充分かな。前へ進もう。
 「ありがとう。この世界の知識(ブック)さん」
 お礼を言って、シナプスの光を越し袋にしまう。
 「目覚めるために、行ってきます。行こう、ミカ。フェンリル」
 「おー!」とミカとフェンリルの声が揃う。
 意思を込めると床の絵が完成し、その空間に落ちるように引き込まれる。
 「頑張れ。憶」
 お父さんに言われたみたいだった。
 振り返ると、もうこの世界の知識(ブック)さんも、『反転の塔』も消えている。ただただ、あの床に描かれた不思議な情景が広がっていた。
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