第3話:松平さんがの株投資?!

文字数 1,666文字

 1982年9月11日、日曜の午後、柳橋卓二は、松平富二の家に招待され出かけた。そして松平が、私が、働いてなくて、どうして食べてるのか不思議だろうと聞くと、いいえ、そうでもありません。僕は、人が、どうしようと、迷惑さえかけなければ、自由で良いと思ってますと答えた。むしろ個性的な人の方が好きだなと話した。

 面白い、実に面白いと、松平さんは、笑顔になった。実は、僕も、同じ気持ちなんだと松平さんも笑顔で答えた。真面目だけな人は、頑張っていて、すごいなと思う。しかし、銀行に入って定期貯金の勧誘やその他の投資商品の営業活動は、何か、押し売りをしてる様な気がして苦手だ。そのため新規契約が、取れず、上司には怒られ、女子社員には、笑われると打ち明けた。

 そのため、仕事が、嫌になったと振り返った。僕は、両親のおかげで何の苦労もなく明治大学付属高校、明治大学まで出してもらった。松平さんが、自分には、ハングリー精神が欠けていると、自嘲気味に笑った。これを聞いて、柳橋が、私もそういう感じが強く、両親に頑張って勉強しろと言われると笑いながら語った。

 松平さんが、この家も両親の家だ。両親が残してくれた金を元手に株投資で増やして生活してると説明。この日も羊羹と饅頭をいただき、珈琲を飲ませてもらった。夕方、陽が暮れそうになったので失礼した。1982年11月28日、日曜にも柳橋卓二は、松平富二の家に招待され出かけた。この日も、どら焼きと紅茶を食べさしてくれた。

 そして、中学で、彼女はできたかとかクラブ活動は、何をやってるかと聞かれた。彼女は、まだいない。クラブ活動は、陸上部に入って短期距離、中距離の選手を目指し、練習していると伝えた。高校と大学は、どこを目指してると聞かれ、近くの狛江高校を目指していると答えた。大学は、高校での成績次第で、まだわからないと告げた。

 こうして柳橋卓二と20歳近くも年上の独身男性の松平富二さんの奇妙な友情が、はぐくまれていった。そうして1983年となった。4月から本格的に高校受験のための勉強を教えてやろうと松平富二さんが言ってくれた。そして得意科目はと聞かれ理科、数学、苦手はと聞かれ、英語と国語、社会と伝えた。

 これに対し、英語と国語、社会は、暗記が重要だから重要事項を覚えろと指示した。6月19日に行くと中学の主要5科目の問題集を持っていて、これを解いてみろと言われた。1時間かけて解くと松平富二さんが君の弱点は、英語と国語、社会であると指摘。以前、中学生を教えた時につくった、カード式、暗記帳があるからと言い持って来た。

 単なる画用紙を切ったカードで表に名称があり裏側に解説と答えが書いある。英語は、表が、英語のスペルが書いてあり、裏が、その意味と使い方が書いてあった。つまり単なる簡単な暗記帳であり、これを貸すから、しっかりと覚えろと言われた。その後、おやつを食べて音楽を聴いて、帰っていった。

 そして秋になり、その暗記帳をマメに使い覚えていくと学校の試験の結果がついてきて良くなった。理科と数学は元々得意だったのでクラスで5位まで成績をあげた。やがて1983年が去り1984年となった。その後も月に2,3回、松平富二さんの所へ行き勉強を教えてもらいクラスでベスト3に、向上。
 
 そのため、家から近い都立狛江高校の合格確立が高い。その後も受験が近づくと模擬テストしてくれ、松平さんの指導は、次第に、厳しくなった。1984年の年末には、都立狛江高校の合格が、確実な成績まで向上。その後、1985年の都立狛江高校の受験日を迎えた。その日、慌てずに試験をこなせ、無事に合格できた。

 家からバスで15分で狛江高校まで通い始めた。高校に入学後サッカー部に入り練習をこなし、月に1回、松平富二さんの家を訪ねた。その後、今度、大学受験の勉強を教えよと言うと、どこに入りたいと聞かれた。そこで、電通大の理工学部電気科が、希望と答えた。両親にも話すと高校2年から狛江にある進学塾に行っても良いと言われ通うようになった。
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