第4話:柳橋が電通大へとMacに首ったけ

文字数 1,697文字

 そのため、松平さんの家に、月1回しか、いけなくなった。それでも松平さんは、受験する時の集中方法やテスト終了後の見直しチェックする方法など受験テクニックと懇切丁寧に教えてくれた。やがて夏休みとなり柳橋卓二は、集中して進学塾の講義に通った。

 秋を迎えて、冬となり1987年を迎えた。この頃、2ケ月1回、松平富二さんの家を訪ねる様になった。いつも優しく迎えてくれ、お菓子や珈琲を出して、その後の状況を聞いてくれた。そして、受験の一番のコツは、あがらないで、自分の実力を100%発揮することだと、教えてくれた。

 1987年8月、ソニー株が、下がっているから買いと証券会社の担当者から電話が入り、11987年8月18日、1180円の指し値で15000株、買い注文を入れた。その後、1770万円で買え、投資残金が1630万円となった。1988年を迎えた。

 そして電通大の出願書類を提出して1月後半に受験して合格を勝ち得た。この結果を松平富二さんに伝えると、まるで自分の事のように喜んでくれた。合格祝いに、松平さんが、愛用していたモンブランの万年筆をくれた。これには、感謝し、その日も音楽を聞きながら楽しい時間を過ごして帰っていた。

 1988年4月、柳橋は、狛江の家からバスで30分で電通大まで通い始めた。その後も柳橋卓二は、松平富二に面会すると、今度、もっと素晴らしいオーディオで音楽を聞こうと秋葉原へ誘われた。一緒に出かけると大手の電気屋で、豪華ステレオセットで好きな曲を聞かせてもらえる視聴室がある事が判明。そして、時間を忘れ、多くの素敵な音楽を聞いた。

 その後も秋葉原に行き、今度は、パソコンも見たいと言い、大型店に面白い形をしたコンピューターが置いてあった。係の人に聞くと、これは、アメリカ・アップル社のマッキントッシュと言うパソコンですと教えてくれた。キッドピックスで絵も描けるし面白いゲームも入ってると言われた。その後、柳橋卓二と松平富二さんが、交互に、その機械を使った。

 ちなみにいくらですかと松平が聞くと、これは、ハードディスク80メガバイト付きで最高級のマッキントッシュⅡfxで、約9400ドル、120万円と答えた。高いと言うと、確かにねと言い、日本製のパソコンを見せてもらった。すると、NEC9801UV11が1988年2月に発売されたモデルと紹介された。

 ハードディスクなしフロッピーディスク2つ付いてるモデルが、25万円で、ディスプレイ付きで35万円と言った。これを価格を聞いて、まだ高いなと松平が、言うと、まだマニア専用のマシンと言う感じですと答えた。しかし、店員は、きっと近い将来、PC9800シリーズが、主流となり会社でも使われる時代が近い将来に必ず来ると自信を持っていますと言った。

 そのためには、早いうちから使い方を慣れていた方が、きっと将来のためになるはずですよと断言した。この話を聞いて、柳橋卓二と松平富二が、妙に納得していた。また、マッキントッシュの斬新なデザインとゲームとキッドピックスを見て、面白い事を考える人もいるものだと、驚嘆した。その後、秋葉原の有名な肉の店、「万世」に入った。

 そこで、ハンバーグセットを頼んで腹いっぱい食べてきた。そして、松平富二さんが、おごってくれ、お礼を言った。その後、1989年は、株式や不動産価格の高騰で、日本中が景気の良さに酔いしれていたバブル景気の絶頂期だった。1989年1月8日、元号が、昭和から平成に変わり、日本の新たな時代が幕を開けた。

 平成の最初、1月9日の日経平均株価は、新たな時代への期待感なども手伝い、日経平均株価が、30678円と好調に滑り出し、その後も堅調に推移した。1989年「平成元年」4月1日には、当時の竹下内閣のもと、消費税法が施行され、消費税3%の課税が始まった。

 その直後にはリクルート事件などをきっかけに竹下首相が退陣するなど、経済面で大きな逆風にさらされた。しかしながら、日経平均株価は、その後も上昇を続け、バブル景気の雰囲気も手伝い、12月29日には過去最高値となる38957円を記録。
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