第10話:三宅島の島民に避難命令と株の儲け

文字数 1,719文字

 2000年3月27日頃から地震が徐々に増加。過去の噴火事例から噴火の切迫が予想されたため住民の避難が進められたが、大きな人的被害は出なかった。3月31日、北海道洞爺湖畔に位置する有珠山では、マグマ水蒸気噴火が発生。マグマの貫入に伴う大規模な地殻変動が居住地近くで発生した。そのため小規模噴火にもかかわらずインフラが寸断された。

 そのため、850戸の家屋に被害が生じた。また、噴火発生の事前予測は、成功した。しかし、その後の噴火推移の予測は、不十分であり、火山学的に多くの問題を提起したとも言える。その後、6月26日,三宅島の地下で群発地震が突然始まった。過去の経験から三宅島では、群発地震が始まると数時間以内に噴火する可能性があった。

 そこで気象庁は、19時半、噴火の恐れがあるので厳重に警戒するよう呼び掛けた。群発地震の翌日6月27日,三宅島の西方沖で海水の変色が観測され海底で噴火が起こった可能性があるとの発表。 その後,無人潜水艇や超音波探査による海底地形観測により変色域付近の海底には割れ目やクレーターが見つかったため、海底噴火が、起こった可能性が高いと言われた。

 これらの地形については最初、火口ではなく、熱水の噴出口にすぎないと見られた。しかし、その後の新たな潜水調査により極めて新鮮な噴出物が見つかった。その事から,この場所で海底噴火が起こったことは確実とされた。海水変色が消え,マグマも西に去っていき,これで、噴火騒動も落ち着くかと思った。その矢先、7月4日頃から山頂直下で地震が増えてきた。

 そして、7月8日19時前、山頂部で噴火が起こった。この噴火は、小規模かつ単発的な爆発であり今後本格的な噴火活動に発展しないと当時、考えられた。放出された火山灰も、古い岩石の破片などから構成されていて、マグマそのものは、出ていないと考えられた。この爆発の時には,山頂付近で大規模な陥没が起こった事が後で判明。

 7月14日の爆発は,8日より大きめで継続時間も長く,灰黒色の噴煙が1500メートルまで上がった。当初、これは、7月8日の噴火の続きと考えられた。しかし,7月14日の大噴火には8日の小噴火とは大きな違いがあった。それは、14日の火山灰の中に新しい破片が、多数含まれていたため、それらが噴火に関与したマグマの破片ではないかと思われた。

 その後, 7月14日の噴火により今回のマグマ由来の物質が出たと明らかになった。14~15日にかけ噴火は、繰り返し北~東方向に大量の降灰をもたらした。2000年8月18日,これまでで、最大の噴火が起きた.噴煙の高さはおよそ15000メートルにまで達し、上空で横にたなびいて広い範囲に降灰をもたらした。

 その後、100キロ離れた八丈島でも降灰が見られた。この噴火では,大量の火山灰の他、これまた大量の火山礫「カザンレキ」や火山弾が、島内の広範囲に降った。火山礫の大きさは、山麓の集落でも数センチの大きさがあり,車のガラスが割れるなどの被害が多数出ましたが,奇跡的に死傷者は出なかった。

 火山弾は,中腹に多く飛んだがが、伊ヶ谷の都道でも直径40センチの物が、めりこんでいるのが確認された。火山礫や火山弾の多くは山体のかけらだった。噴火の脅威が、依然として続いていることから8月18日噴火を契機として島民の島外への自主避難も加速された。8月23日夜には総人口の15%以上の人が、三宅島を脱出。

 8月29日、早朝の噴火ではついに海まで達する火砕流「かさいりゅう」が発生。 噴煙の高さも8千メートルに達した。 幸いな事に、火砕流が山麓に達した時、低温・低速で、大被害にならかった。しかし、もし温度が、あと数10度、高ければ多くの島民が、火傷により死傷していた可能性があった。また今回の火砕流は、低温とは言っても噴出時に100℃以上あった様だ。

 この噴火で三宅島の小中高校生全員の島外避難が8月29日のうちに実行に移された。それとともに島民の自主避難がさらに加速された。また8月31日の火山噴火予知連絡会でも初めて「火砕流への警戒」と「マグマの上昇の可能性」について話が出て、全島民の島外避難が決定。
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