第5話:金融引き締めでバブル崩壊と夏山旅行

文字数 1,632文字

 平成のスタートから年末にかけて日経平株価は、プラス28.8%と急上昇、今後もこの成長が続くと誰もが期待した。1989年「平成元年」12月29日に過去最高値を記録した日経平均株価は、それ以降大きく下落した。その原因は、当時の大蔵省「現在の財務省と金融庁」による「総量規制」と呼ばれる金融機関に対する行政指導や日本銀行による金融引き締めだった。

 行き過ぎた不動産価格の高騰に危機感を覚えた大蔵省は、不動産価格の沈静化を目的として、不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える総量規制を金融機関に通達した。また、日本銀行は好景気によるインフレを防ぐために政策金利を引き上げる金融引き締めを行った。

 その結果、大蔵省による総量規制は住宅金融専門会社の不良債権悪化を日本銀行による金融引き締めは急激な信用収縮を招いた。そして予想をはるかに超えた景気後退、いわゆるバブル崩壊へと向かった。1989年10月11日、早朝、証券会社の担当者からソニー株の気配値が9400円で売りと助言を受け、松平は、全株、1500株、成り行き売りを指示。

 その後、売れて、税引き後利益11370万円となり投資残高が13000万円となった。そして1990年となった。喜んで1月14日、柳橋卓二に電話して株の儲けの話をして車を買いに一緒にに行こうと言った。柳橋卓二が、本当にに大丈夫なんですかと聞くと以前の約束だからと言い、どの車が良いか、一緒に見てくれよと言うので、出かけた。

 柳橋卓二が、松平富二と連れ立って、近くのトヨタのお店に行くと青のクラウンスーパーサルンが210万円で展示してあった。松平富二が、この車が、気に入ったと語った。その後、詳細な説明をしてくれた。それを聞いて柳橋卓二が、そのセールスに満タンになってるのでしょと聞くと、いいえと答えるので満タンにしてくれれば、僕からも買う様に奨めてあげると伝えた。

 参ったなーと言ったが、了解、満タンにしますと言い交渉成立。松平が、柳橋に交渉上手だねと褒めた。その後、松平が現金210万円を下ろして車を購入し2人で乗って帰った。その後、1990年の夏、八ヶ岳の高原へ涼みに行こうと松平が、柳橋を誘った。早朝6時に家を出て調布インターチェンジから中央高速に入り、韮崎インターで向かった。

 インターを降りて、近くのカフェでモーニングセットを食べて一休。その後、一路、北へ向い、9時に、開いたばかりの山梨県立まきば公園に入った。そして、牛、ヒツジの放牧を見て、写真を撮った。10時過ぎ、暑くなってきた。受付の人に近くに車を止めて休息できる場所はないかと聞くと、それなら、天女山の駐車場が良いと言われた。

 行き方をメモ用紙に簡単な地図を書いてくれた。駐車場を出て10分程で天女山の入り口を見つけ山道を登っていき30分で天女山の駐車場に到着。そこで、窓のカーテンを閉め、前後の窓
のカーテンを閉め、シートを倒して横になった。涼しくて、すぐに眠りに入り、気がつくと12時近くになっていた。起きて外に出ると駐車場は、もう満車。

 ここまで来たのだからと、近くを散策してから天女さんの頂上を目指してのぼり始め、すぐ、到着。近くに天女山と彫られた石碑が建っていて大きな岩が転がっていた。まきば公園の受付でもらった天女山のパンフレットを見ると標高1529メートル。天女山は、八百万の神々が年に一度、日本の真ん中にあたる斎の杜「いつきのもり」

「いつきのもり」の言葉がなまって、今は「美し森『うつくしのもり』と呼ばれている」
 これを盤座「ばんざ」の山と定め国の掟を話し合い、その後天女山に住んでいた仕女を招いて舞を奉仕させたと言い伝えられている。

「仕女は斎の杜に、はべる時、天の河原で身を浄め舞衣は羽衣の池で洗い浄めて用いたと書いてあった。天女山の山頂からは、赤岳をはじめ、富士山、南アルプスの山々、金峰山に至るまで美しい景色を満喫できる平坦で広く南側の展望が良い。
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