第19話 エピローグ

文字数 2,481文字

 一人きりで見上げる星空も、悪くない。
 
 まばたきすら忘れて、ただひたすら見つめる。
 その美しさに胸打たれ、そのあまりの壮大さに、ああ、俺はちっぽけで小さな存在なんだと、再確認する。
 
 この真っ暗な空間で、ひとりぼっちを嫌というほど実感する。
 夜空が怖いくらい綺麗で、淋しくて、胸が痛くなる。
 
 海斗が北海道へ行ってしまった翌日から、俺は毎晩裏山で過ごしていた。

 さすがに雨の日は無理だけど、夜になると夢遊病(むゆうびょう)者のように、闇の中裏山へ向かった。
 
 ――今夜で何度目だろう

 最初の日は衝動的に来てしまったから、手ぶらの状態だった。
 次の日からはブランケットや、懐中電灯の入ったリュックを携帯するようにした。
 
 あと十日ほどで新学期が始まる。その日が来るまで、俺は毎晩裏山に行ってしまうのだろうか。

 ――学校が始まったら、やめられるのか?
 
 自分でもよくわからなかった。
 海斗が旅立ったあとの俺は、まるで抜け(がら)だったから。

 二人で見た星空がまた見たくて、あの体が震えるような感動が忘れられなくて、居ても立っても居られなかった。
 夜になると、勝手に足が裏山へ向いてしまうのだ。

あと一回だけ行こう。
 今夜だけ、行こう。
 もう一回見たら、終わりにしよう。

 毎晩、最後のつもりで家を出るのだ。
 けれど、結局翌日も、そのまた次の日の晩も、いいわけを探しながら、玄関でスニーカーを履いている。
 
 あと一度だけ。もう一度だけ、と口先だけで言いながら。
 
 そんな調子で、今夜まで繰り返していた。いったいいつになったら気が済むのだろうか。
 九月の新学期までに打ち切りにしないと、日常生活に影響が出てしまう。

 自分の感情が、行動が、まるでわからなかった。

 ――海斗に、会いたいな
 
 俺はそんなことをぼんやり考えながら、夜空を見上げていた。





「……くん! 田神くん! ……おい! 田神!」

 誰かに体を揺さぶられ、俺は薄目を開けた。いつのまにか半分眠っていたらしい。

「何やってんだ! 目え開けろ!」

 声の主は、すごい力で俺の体をガクガク揺すり、頬をバシッと叩いた。

「いてっ! 痛い、痛い!」

「お前バカだろ! 今夜みたいな涼しい夜に外で寝たら、夏でも危険なんだぞ!」

 俺はパチパチまばたきをして、目前の人物の顔を、まじまじと見た。

 緊迫(きんぱく)した表情だというのに眼鏡がズレていて、吹き出しそうになった。

「あ……先輩かぁ」

 草本先輩は、微妙な表情で乱暴に息を吐いた。舌打ちまで聞こえた。

「心配させやがって……馬鹿野郎」

「……すいません」

 先輩は無言で、俺の体から落ちそうになっているブランケットを、肩にかけ直してくれた。

「驚かないんだな。俺がこんな場所にいるってのに」

 いつも自分を「僕」と言う先輩が「俺」と言うのは新鮮な感じがする。

「だってあんた、堂々とバス停の辺りウロウロしてたじゃん」

 先輩は、いかにもバツの悪そうな様子で、頭をガシガシ()いた。

「いやあん時は……。でも、さすがにここにいるのはわからなかっただろ」

「まあ、そうですけど」

 でも、この場所で一人でいるときに、草本先輩のことを思い出したことはあった。
 もしも先輩と一緒に見られたら、海斗とは全然違う反応しそうだな、とか、面白い感想を聞かせてくれそうだな、とか。

「ここからのながめを、先輩も見て行けばいいのにって思ってましたよ」

 先輩は(きょ)を突かれたように目を開き、押し黙った。
 
 ハアッとため息をつくと、不機嫌そうな表情で俺の隣にドスンと腰を下ろした。
 そしてゴロンと転がる。

「ああ、こりゃすごいな……」
 
 声の調子で、心底感心しているのがわかった。

「俺はここで星空探訪ですよ。負けてないでしょ、ここのながめも」

「負けてない。最高だ」

 しばらく俺と先輩は沈黙し、寝転んで夜空を見上げていた。

 時折、先輩の視線を右頬に感じた。また俺が眠っていないか確認したのかもしれない。
 笑ってなくて、しゃべってもいない先輩が面白くて、悪くない気分だった。
 
 


 
 俺が小学校に停めていた自転車を引いて歩く道すがら、先輩は後ろからついてきた。
 その間も、ずっと先輩は俺を心配そうに見ていた。

 本当に、なんて迷惑でお節介な性格なんだ、この人は。

出口先生の「人助けだと思って」という台詞を思い出す。
 草本先輩の、このお節介な行動を受け入れれば、先輩は安心できるんだろうか。

 それなら、俺は素直に受け入れてもいいと思った。先輩と出会ったばかりの俺だったなら、考えられないことだけど。

 ――すっかり先輩に(ほだ)されてるよな。俺……

「もう終電ないですよね」

「えっ」
 
 先輩はそこで初めて気づいたような顔をした。「しまった」と顔に書いてある。

「あーやべえな……。いつもはちゃんと時計見てたんだけどなー。今夜はお前が、うたたねなんかするから……」

「俺のせいですか」

「いや……」

 俺は自転車を駐輪場へ置き、自宅へ向かって歩き出した。
 しばらく歩いてから振り向くと、草本先輩は明らかに安心した表情で俺を見ていた。

 この人はお節介というよりも、お人好しを通り越した心配性のバカなんじゃないのか。

「まったく、なんなんだよ、あんた……」

 俺は引き返すと先輩の手首を掴み、強引に引っ張った。

「あ、おい」

「そこらへんで野宿でもするつもりですか。なら、うちに泊まってください」

「いや、でも……こんな時間に迷惑だろ」

「大丈夫ですよ、俺一人ですから」

「えっ、まじか」

「はい」

 四階まで階段を上がる間、草本先輩は、おとなしくついてきた。

 その手は海斗の手と同じくらいだけど、少しがっしりしていた。
 





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