第8話
文字数 2,615文字
翌日から、俺はインターネットで天気予報や星の動きを毎日欠かさずチェックした。
入学以来、先生に質問などしたことがなかったのに、理科の授業後は必ず教科担当の先生に詰め寄り、星座に関する情報を収集した。上の学年の先生のところへも行った。
俺のおかしな行動に触発されたのか、暇なクラスメートたちが知識を披露してくれたり、他の教科の先生も持っている情報をくれたりした。
このところは持病の頭痛も出ていないし、聴きたくない音も聞こえない。俺の体調はすこぶるよかった。
海斗とは毎晩電話で話し、会えるときは図書館で待ち合わせた。
俺の前で、海斗は不安気 な表情をしなくなった。とても楽しそうに星の話をする。
けれど、帰宅したらどうだろう。
不仲の両親がケンカをして、それを毎日見る彼はどんなに胸を痛めるだろうか。ついそんな勝手な想像をして、居ても立っても居られなくなる。
――負けるなよ、海斗。俺も頑張るから……。
海斗が苦しまなくて済むように、少しでも良い方法を考えたかった。
けれど、このところ連続で脳みそを酷使 したせいなのか、深い眠りはすぐにおとずれた。
♢♢♢
「あー、いたいた! ねえねえ、田神 くーん」
ぎくりと背中がこわばった。
天文学同好会の先輩だ。名前は確か、草本 だったか。
とっさに聞こえなかったふりをしようとするが、見た目通りのすばしっこさで、草本先輩は俺の前にさっと回り込んだ。
「ちょっとー、田神くんてば俺のことシカトする気満々だったでしょー」
「いえ、そんなことないです」
図星だが顔に出さないよう努力した。俺は無表情に先輩の顔を見る。
「あの……先輩、天文学同好会への入会はお断りしたはずですが」
俺は不機嫌な感情を押し殺して、精一杯誠実に言ったつもりだった。おかげで声が単調になってしまったが。
けれど、先輩はそんなことを気にする風でもなく(あるいは空気を殺すのが上手いのか)俺の横に並んで歩く。
「冬は空気が澄んでるから俺は寒いほうが好きなんだけど、夏は一晩中外で寝転がっても凍える心配ないからいいよね。星座観察には一番適した季節だと思わない?」
「はあ、そうですね」
ドキッとした。まさかこの人、俺がいろんな先生のところへ行ってるのを知っているのだろうか。
「わが天文学同好会には、夏恒例の行事『星座探訪 』があってね。毎年違う場所で、夜空を堪能できるんだ。そりゃもう毎回最高なんだ! あ~、今年も楽しみだなあ~……。あ! そういえば来月だった!」
――わざとらしいな……
しかしその先輩の話は、俺の興味をひくには充分だった。
「星空探訪、ですか」
つい、相手の伸ばした触手 に反応してしまい、先輩は目だけで俺に笑いかけながら続ける。
「毎回見るたび素晴らしさに圧倒される。感動なんて一言じゃ終わらない。宇宙の果てしない広さと偉大さに胸打たれて、誰も彼も声も出せずにただただ、夜空を食い入るように見上げるんだ」
思わず、ごくりと唾 を飲み込んだ。
「僕は次期部長だからね。天文に関する情報が周囲で飛び交っていたらキャッチしたいし、なるべく把握 しておきたいんだ。もともと一知るなら十知りたい性格なもんでね」
「あの……」
「田神くん、君、最近いろいろ積極的に行動しているようだねえ。星座観察に関することを知りたいなら、うちの部に入った方がよほど手っ取り早いよ。覚悟を決めて入部したらどうなの?」
「いや、それは……」
やっぱりこの人は厄介な人物だ。
ひょうひょうとしているように見せかけて、ぬかりなくイニシアチブを奪うタイプ。
ただぼけっと相槌 など打っていたら、知らぬ間に入部してたなんてことになりかねない。
草本先輩は、しばらく勝手にペラペラお喋りしていたけれど、沈黙を貫く俺に業 を煮やしたのか(そんな風には見えないが)不意に足を止めた。
俺もつられて立ち止まる。
「ほんと、手強いなあ君って。――僕が四コも先輩だってわかってる?」
「すみません」
そこは素直に謝っておく。先輩は腰に手を当てると俺を見上げた。
「田神君、身長何センチなの? 中一のくせして、でかいよねえ。つい最近までランドセル背負ってたなんて信じられないし、僕の方が年上だってこと忘れそうになっちゃうよ。しかも君ってクールな雰囲気だから余計にさ。さぞモテるんだろうね、うらやましいよ」
草本先輩は右の眉毛だけをくいっと器用持ち上げ、まるでアニメかなんかの主人公のようにニヤリと歯を見せた。
褒められてるのか嫌味を言われてるのか、よくわからない微妙なコメントに、俺も微妙な反応しかできない。
「……身長は百七十二センチです。別に、モテないです」
「へえ、七十あるんだ、いいなあ。これからまだまだ伸びるよねえ。僕もまだ成長期だと思いたいけどなー」
「牛乳は毎日欠かさないんだけどねー」と言いながら、先輩は方向転換する。
「じゃあね、田神くん。また来るよ!」
しゅたっと手を上げて、先輩は廊下を走っていく。その先で教師と鉢合わせ慌てて立ち止まり、ゆっくり歩く姿がぎこちなくて、コミカルだった。
――やれやれ……
妙な人物に目を付けられてしまったなと思ったが、意外にあっさり身を引いた先輩に拍子抜けする。
先輩の後ろ姿を見送り、同時に複雑な気持ちになりながら、今後は行動を控えめにしなければいけないなと、俺は考えていた。
♢♢♢
その晩、俺はいつものように海斗と電話で話をしていた。
海斗の声は少し元気がないような気がしたが、俺は気づかないふりをして会話を楽しんでいた。
けれど、途中で海斗を呼ぶおばさんの声が遠くに聞こえた途端、海斗は落ち着きをなくしてしまった。
話が盛り上がっている最中なのに、「ごめん、もう切るよ。またね」と電話を切ってしまったのだ。
しかたがないよなと思いつつも、俺の胸の中にはモヤモヤが残った。
動揺と怯 えを含んだ海斗の声が、いつまでも耳について、消えてくれなかった。
入学以来、先生に質問などしたことがなかったのに、理科の授業後は必ず教科担当の先生に詰め寄り、星座に関する情報を収集した。上の学年の先生のところへも行った。
俺のおかしな行動に触発されたのか、暇なクラスメートたちが知識を披露してくれたり、他の教科の先生も持っている情報をくれたりした。
このところは持病の頭痛も出ていないし、聴きたくない音も聞こえない。俺の体調はすこぶるよかった。
海斗とは毎晩電話で話し、会えるときは図書館で待ち合わせた。
俺の前で、海斗は
けれど、帰宅したらどうだろう。
不仲の両親がケンカをして、それを毎日見る彼はどんなに胸を痛めるだろうか。ついそんな勝手な想像をして、居ても立っても居られなくなる。
――負けるなよ、海斗。俺も頑張るから……。
海斗が苦しまなくて済むように、少しでも良い方法を考えたかった。
けれど、このところ連続で脳みそを
♢♢♢
「あー、いたいた! ねえねえ、
ぎくりと背中がこわばった。
天文学同好会の先輩だ。名前は確か、
とっさに聞こえなかったふりをしようとするが、見た目通りのすばしっこさで、草本先輩は俺の前にさっと回り込んだ。
「ちょっとー、田神くんてば俺のことシカトする気満々だったでしょー」
「いえ、そんなことないです」
図星だが顔に出さないよう努力した。俺は無表情に先輩の顔を見る。
「あの……先輩、天文学同好会への入会はお断りしたはずですが」
俺は不機嫌な感情を押し殺して、精一杯誠実に言ったつもりだった。おかげで声が単調になってしまったが。
けれど、先輩はそんなことを気にする風でもなく(あるいは空気を殺すのが上手いのか)俺の横に並んで歩く。
「冬は空気が澄んでるから俺は寒いほうが好きなんだけど、夏は一晩中外で寝転がっても凍える心配ないからいいよね。星座観察には一番適した季節だと思わない?」
「はあ、そうですね」
ドキッとした。まさかこの人、俺がいろんな先生のところへ行ってるのを知っているのだろうか。
「わが天文学同好会には、夏恒例の行事『
――わざとらしいな……
しかしその先輩の話は、俺の興味をひくには充分だった。
「星空探訪、ですか」
つい、相手の伸ばした
「毎回見るたび素晴らしさに圧倒される。感動なんて一言じゃ終わらない。宇宙の果てしない広さと偉大さに胸打たれて、誰も彼も声も出せずにただただ、夜空を食い入るように見上げるんだ」
思わず、ごくりと
「僕は次期部長だからね。天文に関する情報が周囲で飛び交っていたらキャッチしたいし、なるべく
「あの……」
「田神くん、君、最近いろいろ積極的に行動しているようだねえ。星座観察に関することを知りたいなら、うちの部に入った方がよほど手っ取り早いよ。覚悟を決めて入部したらどうなの?」
「いや、それは……」
やっぱりこの人は厄介な人物だ。
ひょうひょうとしているように見せかけて、ぬかりなくイニシアチブを奪うタイプ。
ただぼけっと
草本先輩は、しばらく勝手にペラペラお喋りしていたけれど、沈黙を貫く俺に
俺もつられて立ち止まる。
「ほんと、手強いなあ君って。――僕が四コも先輩だってわかってる?」
「すみません」
そこは素直に謝っておく。先輩は腰に手を当てると俺を見上げた。
「田神君、身長何センチなの? 中一のくせして、でかいよねえ。つい最近までランドセル背負ってたなんて信じられないし、僕の方が年上だってこと忘れそうになっちゃうよ。しかも君ってクールな雰囲気だから余計にさ。さぞモテるんだろうね、うらやましいよ」
草本先輩は右の眉毛だけをくいっと器用持ち上げ、まるでアニメかなんかの主人公のようにニヤリと歯を見せた。
褒められてるのか嫌味を言われてるのか、よくわからない微妙なコメントに、俺も微妙な反応しかできない。
「……身長は百七十二センチです。別に、モテないです」
「へえ、七十あるんだ、いいなあ。これからまだまだ伸びるよねえ。僕もまだ成長期だと思いたいけどなー」
「牛乳は毎日欠かさないんだけどねー」と言いながら、先輩は方向転換する。
「じゃあね、田神くん。また来るよ!」
しゅたっと手を上げて、先輩は廊下を走っていく。その先で教師と鉢合わせ慌てて立ち止まり、ゆっくり歩く姿がぎこちなくて、コミカルだった。
――やれやれ……
妙な人物に目を付けられてしまったなと思ったが、意外にあっさり身を引いた先輩に拍子抜けする。
先輩の後ろ姿を見送り、同時に複雑な気持ちになりながら、今後は行動を控えめにしなければいけないなと、俺は考えていた。
♢♢♢
その晩、俺はいつものように海斗と電話で話をしていた。
海斗の声は少し元気がないような気がしたが、俺は気づかないふりをして会話を楽しんでいた。
けれど、途中で海斗を呼ぶおばさんの声が遠くに聞こえた途端、海斗は落ち着きをなくしてしまった。
話が盛り上がっている最中なのに、「ごめん、もう切るよ。またね」と電話を切ってしまったのだ。
しかたがないよなと思いつつも、俺の胸の中にはモヤモヤが残った。
動揺と