第3話 

文字数 1,668文字

 ――今日は 特に頭痛が長いな……
 
 ホームルーム終了のベルを聴き終わらないうちに教室を抜け出し、俺は(うつむ)きながらこめかみを親指でグリグリ押さえつけ、足早に校門へ向かっていた。

「おーい、田神(たがみ)! もう帰るのかよ」
 
 グラウンドを横切る途中で声をかけられ、顔を上げると、野球部所属のクラスメイトが手を振っていた。俺は、無意識に口角を上げて答えた。

「おう、だって俺、帰宅部だもん」

 下の名前ではなく、名字で呼ばれるのにようやく慣れてきたなと思う。
 小学校では、友達同士は親しく呼び合おうというスローガンの(もと)、クラスメートは互いに、苗字ではなく下の名前で呼び合った。先生たちも俺を「歩夢(あゆむ)くん」と呼んだし、それが当たり前だった。
 
 けれど、中学校の入学式当日、新しい教室で、担任に「田神」と呼び捨てにされた瞬間は少し震えてしまった。怖かったからだ。
 
 女子なら「さん」づけで呼ばれるだろうが、あいにくここは男子校、どこを見ても男だらけ。そんな環境にはいつの間にか慣れたし、苗字で呼ばれるのも馴染んでしまった。
 この先六年間、男だらけというのも当たり前になってしまうのだろう。
 
 そういえば、幸せボケのうちの両親は元高校の同級生らしい。
 そんなにも長い付き合いで、なぜあんなにラブラブでいられるのか意味不明だが、俺は高校で未来の奥さんを探さなくて済む。
 
 それがラッキーなのかアンラッキーなのか、今の俺にはよくわからない。

 声をかけてきたのは、野球部員のクラスメイトだった。
 この学校の野球部は、強制丸刈りがないらしいが、彼の頭は気持ちいいほどすっきり刈り上げられている。思わず触って手触りを確かめたくなるようなその頭は、他の部員と比べても頭皮が透けて見えるくらい短くて、まるで一休さんが野球のコスプレをしているかのようだ。
 真新しいユニフォームが、まぶしい。
 
 一年生はランニングと球拾いの連続だし、先輩や顧問に怒鳴(どな)られることが多いだろう。それによく見ると全身汗みずくで、膝下(ひざした)は泥で黒く汚れている。
 なのに、彼は「楽しくてしかたがないオーラ」を全身から放出している。

田神(たがみ)ぃ、帰宅部でいいのかよ。いいかげん決めたらどうよ、迷いすぎなんじゃねえの?」

 きっと彼の中には、「部活に所属しない」なんて選択肢は存在しないのだろう。
 
「まあなー。俺って慎重(しんちょう)なタイプだからさ、じっくり文化系で探してるんだよね」

「えー、そうなのかぁ?」
 
 俺が帰宅部を検討中だなんて、夢にも思わないのだ。
 うけ(ねら)いになにか言ってやろうかと自分の髪を触った瞬間、ピリッと頭部に引きつれるような痛みが走った。こめかみに指先を当てると、血管がピクピク脈打っている。

 ――やばいな……頭痛がひどくなる前兆だ

 途端(とたん)に会話が面倒になってくる。この状態になると、痛みに気力を持っていかれるから、表情が作れなくなるのだ。クラスメイトに、なるべく素っ気ない印象は与えたくない。
 
 なんとか表情を保ちながら、そろそろ切り上げるつもりで、俺はバッグを肩にかけ直し、歩き始めた。

「あー、もう時間ないや。俺、用事あるからもう行くわ。お前はサボってないで頑張れよ~。ほら、先輩がこっち見てるぞ」

「えっまじか!」と言いつつ、慌てたようにさっと振り向き、背後に視線を飛ばすと、「んだよ、いねーじゃん、マジ焦った」

 からかってやったのに、まったく気にもとめていない様子でニコニコしている。

「サボってねーよ! 言われなくてもがんばるっちゅーの」

 語尾に笑いを(ふく)んだ彼の声を背中で聞きながら、痛みを(こら)えていた俺は安堵の息を()らし、校門へ向かった。いつも、ここまで来るとホッとするのだ。
 
 朝から頬を不自然に持ち上げ続けていたから、頬骨(ほうぼね)のあたりが()っていた。

 
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