第22話 エピローグ

文字数 1,719文字

「……それで、先輩にはどんな事情があるんですか」

「えっ」
 
 ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろしかけた先輩は、一度動きを止めた後、明らかに動揺した。

「いや、別に俺は」

 ストンと腰をおろす。

「話したくなければ、いいですけど」

 椅子に座ったものの、腰を落ち着けた様子はない。

「そう……いうわけじゃ」
 
 がまんできなくて、俺は声を出して笑った。

「な、何が可笑しいんだよ」

「だって、今夜の先輩っていつもと全然違うから。まるで別人っていうか。いったいどっちが本性なんですか」

 草本先輩は学校で見せるのとは真逆の、複雑さを含んだ表情で口を開いた。

「俺が……勝手にお前を心配してるだけだよ。ただの自己満足だ」

「ただの自己満足でこんなところまで来て、終電逃して。――ですか」

 室内は静かだった。先輩のためらいがちな呼吸まで耳に届く。
 
 しばらく先輩は沈黙を貫いていたけれど、降参したようにため息をつき、口を開いた。

「俺には、君より二つ年上の弟がいたんだ。俺より二つ下の」

「いた?」

 過去形になっている。

「生きていれば中三だ」

 無意識に自分がヒュッと息を吸い込んだのがわかった。

「弟は体が丈夫で大きくて、スポーツがなんでも得意で成績も常にトップだった。明るくて誰からも好かれて、親からの信頼も厚くて。まあ、自慢の弟ってやつ」

 まだ中学生で、いかにも健康そうな人間が亡くなるなんて、普通は考えられないことだ。いったいなぜ……。事故とか、だろうか? 
 
 それになにより。

 ――これは、俺が聞いてもいい話なのか?

「あの、先輩、すいません俺……」

 先輩は手のひらで俺を制すと、続けた。

「いいんだ、聞いてくれ」

「でもっ」

「いいから」

 先輩は、痛みを堪えるように顔を(ゆが)ませ、薄く笑った。

「俺は、この通りお調子者で明るい性格だけが取り柄で、成績もスポーツも真ん中。身長は弟に抜かされて……。俺と弟は、顔もあんまり似てないから、兄弟に見られることは(まれ)だった。でも、どういうわけか弟は俺にすごく懐いててさ、部屋を個別にしようとしたらあいつは(がん)として反対して。……まったくブラコンかっちゅーの。あれはウザかったな」
 
 俺は言葉を挟めず、ただ静かに先輩の声を聞いていた。

「親もいつも言ってた。なんで(しゅん)はあんなにお兄ちゃん子なのかしらって。出来すぎの弟に普通すぎる兄。あいつは人気者のくせに、いつも俺を優先した。友達が大勢で誘いに来ても「お兄ちゃんと遊ぶから」って断る。みんな一度はあきらめるけど、俺を見て勝手にがっかりしたり、兄だと信じなかったりするんだ。『瞬くんのお兄さんならきっとすごい人に違いない』って思い込んでた。モテ方もハンパなくて、バレンタインデーや誕生日は、家の前に女の子がズラッと並ぶんだ。異常な光景だろ。でも……あいつにとって、いつも一番なのは俺だった」

 話を聞いていると、まるで一方的に瞬くんが兄を溺愛(できあい)していたように聞こえる。でも、先輩の気持ちはどうだったんだろうか。

 俺はひとりっ子だけど、もしも兄か弟がいたなら、そりゃ大事にしたいし、されたら嬉しいと思う。

「幼い頃はまだよかったんだよな……。一緒に遊ぶのは楽しかったし、俺だって、あいつが可愛かった。でも高学年になると、あいつと常に比較されることに違和感を覚えるようになって、段々辛くなった。図工では絵が表彰される。習字は優秀賞をとる。成績は一番。選抜リレーでは必ずアンカー。学級委員に推薦される。必ずクラスの代表に選ばれる。芸能事務所やモデル事務所からスカウトされる」

「それは、すごいですね……」

「そんなやつが家族にいてみろ。周囲が瞬を放っておかないから、落ち着かないよ。両親は大喜びだったけどね。特に母は。――でも俺は比べられることに耐えられなかった。弟と離れたくてしかたがなかった。だから、全寮制の私立中学を受験することを思いついたんだ」

「それ、弟さんには……」

「もちろん、内緒にしてた」

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