第23話 エピローグ

文字数 1,819文字

「カトリック系で、偏差値がそれほど高くない学校をみつけてさ。進学塾には一年通うくらいで余裕で入れそうだったから、俺は一筋の光を見つけた心地だったな。あのころ家の中では、両親は瞬に特別気を遣ってたし、瞬に対する期待が大きすぎた。でも瞬は、何をするにも俺に相談して、俺の意見を尊重した。ほとんど、俺が瞬の安定剤みたいな役割でさ……俺の家ではそれが当たり前だった」

 当時を思い出しているのか、先輩は眉をひそめて息を吐いた。

「俺は長男だし、俺に懐いてる瞬が可愛かったし。親に頼りにされて嬉しかったけど、さすがに違和感を覚えるようになった。親はなにかと『瞬を助けてあげてね』『瞬に習い事をさせたいから賛成してね』『瞬がお兄ちゃんと一緒じゃないと嫌だって言うのよ』『瞬が大事な日だから励ましてあげて』って。そんなことばかり言われ続けて、俺は段々うんざりしてきたんだ。俺は瞬のマネージャーかなにかか? 俺は瞬の兄だけど、瞬を支えるためだけの存在じゃない。――だから、全寮制の学校を探してるとき……父には本音をぶちまけたんだ。『俺はこのまま瞬と一緒にいたら(つぶ)れる』って……」

 先輩はまた、苦しそうに息を吐いた。

「父が母を説得する形で許可が下りたんだけど、それを聞いたときの瞬は……。この世の終わりのような顔をしてたな。俺はそれに気づいたけど、でも、俺だって限界だったんだ。瞬は父に『兄さんのことを想うなら応援してやろう』って言われて、最後には承諾した」

 そのときの瞬くんの、声にならない悲鳴が俺の中に流れ込んでくるようで、胸元を抑えた。

「うさぎは、淋しいと死んじゃうって、知ってるか」

「聞いたことは、あります」

「人間もそうなんだよ。耐えられないほど淋しいと、死を選んじゃうんだ」

 ずっと話し続けたせいで、先輩の声は枯れていた。

「俺の寮生活は予想以上に楽しかった。成績は上位になれたし、男だらけで気を(つか)わなかったし、毎日家族のことを忘れてた。まだ十二歳だから、ホームシックになるヤツが多かったけど、俺は一切なかった。携帯電話が禁止されてたのも都合よかった。母から、瞬が淋しがっているからたまには帰ってこいって手紙が来たけど、帰らなかった。帰りたくなかった」

 テーブルに置かれた先輩の(こぶし)が震えていた。俺は自分の手を重ねて、ギュッと強く握った。

「両親は、瞬が俺と離れて淋しがるのは予想してただろうけど、そこまでとは思っていなかったんだろうな。……俺だって、まさかそんなことになるなんて……一欠片(ひとかけら)も想像できなかった」

「先輩……」

「俺と離れてる間、瞬は、どんどん元気がなくなったらしい。成績は落ちなかったけど、スポーツの最中に怪我が増えて。次第に顔色が悪くなって。ぼんやりすることが多くなって。瞬は……俺に会えなくて淋しくて、生きる気力も、どんどん失っていったんだ」

 先輩の手に力が込められたのが、俺の手のひらにも伝わる。

「なんでだよ! なんで、俺と離れたくらいで、その程度のことで生きる気力までなくなっちまうんだよ! 愛情を注いでくれる両親や、周りには慕ってくれる友達が大勢いたのに! なんで!」

 先輩のまぶたから透明の液体が膨らんで、ほろりと流れ落ちた。重ねた手のひらが熱い。
 吐き出された溜息(ためいき)は長く、震えていた。
 
「感情ってのは……自分でも、どうにもならない厄介(やっかい)なものなんだな」

「そう、ですね……」

 俺の声も掠れていた。そう答えるのがやっとだった。それ以外、なんと言ったらいいのか、わからなかった。
 
 瞬くんは、両親からたくさんの愛情を注がれても、多くの友達に慕われても、何より兄がそばにいなければ耐えられなかったのだ。愛情の全てが、兄に向かっていた。どうしようもないことなのかもしれない。

「お前がさ、瞬に見えたんだよな」

「俺が? ……似てるんですか」

 ふっと俺の方に顔を向けた先輩の目が、赤く潤んでいた。

「いや、ああ……身長は近いかもな。でも、顔とかどこも似てないんだけど、なんでだかそう思った。初めて部室に見学に来たお前を見たとき『瞬だ』って感じた。それから、すごく気になってしかたがなかったんだ。出口先生は俺の事情全部知ってたから、そのことを話して、絶対勧誘したいって言ってたんだ」

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