第12話

文字数 3,419文字

 今日は海斗と、図書館で落ち合う約束をしていた。
 
 同じ小学校で同じ塾に通っていた頃の俺と海斗は、心の距離感が近かった。卒業してからは物理的に離れてしまっていたけれど、最近は頻繁(ひんぱん)に会っているせいもあり、再びぐっと近づいていると感じる。
 俺はそれが嬉しかった。
 
 だからなのか、海斗の些細(ささい)な感情の変化にも、俺は気づいてしまうのだけど。
 
 静かな館内のソファーで、華奢(きゃしゃ)な背中を見つけた。(うつむ)いて図鑑を眺めていた海斗が、顔を上げる。
 俺の姿を見つけたときの表情は、明るくてやわらかい。俺は海斗のこんな表情を見るのが、とても好きだった。
 
 



 いよいよ決行日が近づいてきたから、今日は詰めた話をする予定だ。俺達は、パーテーションで仕切られたテーブル席に移動した。
 海斗が席に着き、落ち着いたのを確認してから、俺は最近常に携帯している、星空観察の指南本を開く。
 
 俺の自宅の方が裏山に近いし、当日用意する物で、かさばるやつは俺が用意する予定だ。その流れで、再度それぞれの持ち物を確認し合う。
 
 海斗が今回の計画のために用意したノートには、丸っこい女子のような字で、日程や持ち物が記入されていた。
 
 星のイラストなども添えられており、海斗がどれだけその日を心待ちにしているのかが、(うかが)い知れる。
 ノートを見つめる横顔を見て、俺の胸は引き()れるようにギュッと痛くなった。

 想像したくない近い未来をつい予想して、淋しさに引っ張られそうになる。
 
 この計画が無事終了したら、海斗は北海道へ行ってしまう。簡単には会いに行けない場所へ行ってしまう。
 
 俺が高校生くらいになればバイトでも何でもして旅費を貯めて会いに行けるけど、今は無理だ。
 早く大人になりたいと、強く願うのはこんなときだ。

 子供は、親の都合に振り回されて、自分の意思とは関係なく、そのレールに乗って進むしかない。
 俺も、海斗も。

「お父さん、とうとう帰って来なくなっちゃった。……もう、何日も会ってない」

 海斗が、息を大量に(ふく)んだ声でつぶやく。

「えっ……」

 ノートを(ひざ)の上に置いたまま、海斗はどこか遠くを見つめた。

「僕とお母さんが引っ越すまで、帰って来ないかもしれない」

「そう、か……」 

 気の利いたことが言えない自分がもどかしい。こんなとき、どんな言葉をかけるのが正解なのだろうか。

「お父さんは、お母さんと違ってお(しゃべ)りじゃないから、普段はそんなにいろいろ話さないんだけどさ。いつも笑ってて、滅多に怒らないんだ」
 
 両手を組んだ、自分の手を見つめながら続ける。

「お母さんは、普段は優しいんだけど、受験中は僕に対して厳しくて。でもお父さんは、僕が落ち込んでるときにいつも励ましてくれたり、テストの点が良かったときは、すごく褒めてくれたりして。――もちろん、お母さんのことは好きだけど、お父さんのことも好きなのに。どうして別れなきゃならないんだろう、どうして、三人で暮らしていけないんだろう」

 海斗の瞳の中にじわじわ水分が集まり(ふく)らんで、今にも零れ落ちそうになる。
 言葉をかけてやれない代わりに、海斗の手を握りしめた。

 俺だけは、いつまでも海斗の味方で友達だからと、心の中で繰り返した。
鍵を差し込み開錠し、ドアを開ける。
 電気をつけた途端に、もわっとベタついた熱気が体に(から)みついた。

 夜、誰もいない部屋の中というのは、たとえ真夏でどんなに蒸し暑くても、寒々しく感じるものだ。
 
 この部屋に帰ってくるたび、そう思う。首や背中に噴き出す汗が、流れ落ちた瞬間には冷たくなって体を冷やしてくれる、そんな気さえする。
 俺の感覚がどこかおかしいのか、そういうものなのか、よくわからないけれど。

 床に転がっていたリモコンを拾い上げ、エアコンのスイッチを入れる。そこから吐き出される風で部屋のホコリが舞い上がり、ごほごほと咳き込んだ。
 
 テーブルの上に茶封筒が置かれていた。
 
 折りたたまれた紙を開くと、三者面談の用紙だった。几帳面な叔父さんの文字で、きちんと記入されている。
 添えられたメモを読み、少しだけ胸の奥が温かくなった。後でお礼のメールをしておかなければと思った。

 冷蔵庫を開けると、煮物やサラダが詰められたタッパーが、重なって入っていた。
 
 叔母さんの作る料理は、味付けが少し濃いめだけど、レパートリーが多くてそこそこ美味い。
 あまり空腹は感じないけれど、決行日までは体調を万全にしておきたいから、腹に入れておかなければならないだろう。

 俺は冷蔵庫を閉めると制服のシャツを脱ぎ、シャワーを浴びるために浴室へ入った。


 ♢
 

 土曜日の放課後、俺は高等部の職員室前で出口先生を待っていた。

 土曜日は、天文学同好会の活動が休みだと、あらかじめ調べてある。

「おっ、来たんだね、田神くん」

「こんにちは、出口先生」

 つい、周囲を気にしてキョロキョロしていたら、出口先生は、俺を談話室へ連れて行ってくれた。
 
 少しくたびれた皮張りのソファーに座るよう(うなが)される。

「君は背が高いから、高校生に混じっても馴染んじゃいそうだね」

「中身は子供です」

 小さい子供を見つめるような、やわらかい眼差しを向けられ、つい不貞腐(ふてくさ)れた言い方をしてしまった。

「はは、高校生だって子供だよ」

 出口先生は優しい面差(おもざ)しのまま、にこにこしている。この先生はどんなときも、どの生徒に対しても、こんな風ににこやかに接するのだろうか。
 でも、草本先輩の胡散(うさん)臭い笑顔よりは、数倍マシだなと思った。

「草本くんがまた迷惑かけたかい」

 いきなり言い当てられ、言葉に詰まる。

「ごめんね。僕からよく言っておくから」

「いや、迷惑っていうか……。星は好きなんですけど、あの、同好会には入りたくないんです」

 先生は眉を八の字に下げる。

「確かに、中学一年生にあの空間はキツイよね。カオス化してるもんねえ……」

 聞いたことのある単語だが、意味はわからない。でも、先生の言いたいことはなんとなくわかった。

「草本くんはね、気になる人が出来ると放っておけないタイプみたいでね。多分勧誘は口実で、ただ、君のことが気になってしかたがないのかもしれないね。あるいは、心配してるのかも」

「心配?」

 それこそ意味がわからない。あの先輩が俺の何を知っているというのだ。

「勧誘のことは僕からも話しておくよ。ただ、彼はものすごくお節介(せっかい)な性格だから、多少のことは目を(つむ)ってあげてくれないかな。人助けだと思って」

 ――……なんで、それで人助けなんだ?

 俺が首を(ひね)っていると、先生は困ったように笑った。

「この際パシリでも何でも、草本くんをこき使うといいよ。彼の性分は僕にもどうにも出来ないし」

 出来ないのかよ、と胸の中でつっこんだ。
 先生はくすくす笑っていたけれど、ふっと息を吐き少し真面目な表情になった。

「草本くんはね、とても大切なものをなくしてるんだ。だから、後悔したくないって、いつも言ってる」

「大切なもの、ですか」

 とても優しい言い方なのに、なぜか背中がぞくりとした。

「うん。だから、もう少し付き合ってあげてくれないかな。勧誘はしないように必ず言っておくから。ね? お願い」
 
 このお願いのポーズ。可愛い女子にされたらイチコロなんだろうけど、出口先生はおっさんのくせに、慣れた様子でやってのけた。

 はたして使えるのか、男子高で。

「わ、かりました……」

「ごめんね、よろしくね」

 俺は先生にペコリと一礼して談話室を出た。
 先生は職員室の入口まで見送ってくれた。振り向くと、戸口に寄りかかり俺にひらひら手を振っている。

 ――なんだかなあ……。

 出口先生に草本先輩の苦情を言いに行ったはずなのに、逆にお願いされてしまった。

 俺は、しつこい勧誘がなくなるならまあいいか、と思いながら高等部の校舎を出た。

 
 

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