第10話 

文字数 1,788文字

「おーい、田神」
 
 職員室近くの廊下で担任に呼び止められた。

「はい」

 反射的に返事をするが、その隣に立っている中年の男性教師の顔を見て、俺はフリーズした。その人物は、担任に会釈すると俺に近づいて来た。

「君が田神くんかい?」

「あ、はい」

 この人は高等部の教師だ。しかも天文学同好会の顧問。それを知っていたからこそ、俺の方からは決して近づかなかった人物だ。

「あの! 俺、同好会には入部しませんから! 何度もお断りしてますし!」

 顧問の言葉に被せて、俺は自分の意思をはっきり伝えた。なんなんだよ、そんなに部員を集めないとヤバいのかよ天文学同好会は。われ知らず鼻息が荒くなっていた。

 俺の言葉に驚いた顔を見せた顧問は、人の良さそうな面差しの眉を八の字にして、くすくす笑った。

「違う違う、勧誘に来たんじゃないよ。そもそも、人集めは部員に任せているからね」

 全身を警戒心で固めていた俺は、それをほんの少し緩めた。てっきり、草本先輩が顧問にチクったのかと思ったのだ。

「じゃあ、なんですか」

「確かに草本君から、勧誘したい中等部の子がいるとは聞いてたけど、名前までは……。そうか、君だったんだね」

 あれ? もしや俺は墓穴を掘ったのか。自分からバラすようなことをして。

 顧問はしばらく俺の顔をじっと見つめると、再びにっこり笑った。三角形の眉の端っこに白髪が混じっているのが見てとれる。

 想像できないが、このいかにも温和な雰囲気の顧問も、生徒を叱りつけたりすることもあるんだろうか。

「僕の名前は出口といいます。田神くん、天文関係で聞きたいことがあったら、遠慮なく訊きに来てね。高等部の職員室は敷居が高いかもしれないけど、入口付近の誰かに声かけてくれればいいからさ」

「は……い」

「入口で、出口を呼んでね。ふふ……」

 俺にひらひらと手の平を振りながら、出口先生は廊下の向こうへ行ってしまった。俺はしばらくその猫背気味の背中を見送った。

 ――入口で、出口……。そこ、笑うとこだったのか……
 
 つかみどころのない、よくわからない先生だ。
 時期部長の草本先輩も変な人だし、天文好きは変人が多いのかと思ってしまう。――まあ、俺も人のことは言えないけれど。

 ぼんやり突っ立っていたら、俺のクラスの担任が職員室のドアから体を半分出して、俺に手招きしていた。

 一瞬「めんどくせえ」と思ったが、俺は素直に彼女の前に真っ直ぐ立つ。

「なあ田神、夏休み明けの三者面談の用紙、未提出なのお前だけだぞ。どうした?」

「あ……すみません。配られてすぐに渡してはいるんですけど、両親とも忙しくて、帰りが毎晩遅いので……」

 しまった。叔父さんに代筆を頼むつもりが、すっかり忘れていた。体育教師だからなのか、担任は女のくせに言葉遣いも仕草も男っぽい。

「今はその……繁忙期(はんぼうき)らしくて、二人ともほぼ毎日、僕が寝た後に帰宅してるんです」

「えっそうなのか? それは大変だな! ……そうかあ、お前のお母さんもフルタイムだったもんな。うわ、そっかあー。――でもなあ、お前だけ特別扱いするわけにはいかないからなあ。それなら……アタシが直接電話するしかないか」
 
「あの! ……必ず書いてもらうので電話するのは待ってもらえませんか。それに、父は昨日から出張で、母も夜勤が続いて、昼は寝てることが多くて」

「そうなの? お前食事とかどうしてるんだよ、ちゃんと食べてんのか」

「あ、はい。近くに親戚がいるのでそこで食べさせてもらってます」

「そっか……。そんなに忙しいのかご両親は。入学式依頼お会いしてないからなあ。そういうわけじゃ、お前も大変だな」

「……いえ、慣れてますから」

「田神がしっかり者なのはわかってるけど、あんまり無理するなよ」

「はい。ありがとうございます」

 これ以上俺の家庭のことに首を突っ込まれては困る。
 親はちゃんと学費は払っているはずだし、俺だって規則を守る模範的な生徒のはずだ。文句言われる筋合いはない。

 担任は、しばらく首を捻って何か思案中だったけれど、「ま、困ったことがあればすぐにアタシに言えよ」と言いながら(へたくそなウインク付きで)職員室へ引っ込んでくれた。



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