第26話 舌を腐らせたスープのこと

文字数 1,097文字

 この話しは、田舎の小さな町で鍛冶屋をしていた男から聞いたものだ。彼はその町に落ち着くまでの十年あまりを旅の空に暮らしたそうで、胡乱な伝聞から体験談まで、じつに多くの物語を知っていた。ちょっとした手仕事で客を待たせておく間、金槌や研ぎ車の騒ぎのあいまに次から次へとよもやま話しを聞かせるものだから、どこの家の子も鍛冶屋に来る用事を引き受けるのが楽しみで、彼の仕事場の周りは常に子供がうろうろしていた。
 店じまいをする頃まで子供の相手をしながら居残っていると、彼は夕食を食べていくかと声をかけてくれたのだが、そのとたん、
「舌を腐らせたスープ!」
 と、子供が口々に笑い騒ぎながら走っていった。どうやらそれは、彼が客にふるまうとっておきの料理らしい。
 招かれて足を踏み入れたドアの先、彼の暖炉にかけられた鍋で煮えていたのは、異臭を発する液体だった。色は澄んでおり、具は刻んだネギと赤カブ、それにソビの葉、そして、得体の知れない肉。あるいは肝臓。いや、もしかすると練った粉を硬めたものか?いずれ、臭いの元はそれなのである。
 答えは、牛の舌だった。
「本物は牛の舌じゃねえ」
 鍛冶屋は独り言のように言った。
「ナーってぇもっと小さな獣のを使うのよ。そいつをササイグサの藁苞につつんで、何日も鍋の上ぇ吊っとくんだ。城の鍋ってのぁずっと火が入っててな、きりなし湯気が出てんのさ。持つべきものは大所帯だねえ、いつでも飯が食えるからよ」
 彼の声は低く、平板で、人をぞっとさせるような響きがあった。
 彼は昼間、仕事中の話しのうちに、かつて旅の途中にたどり着いたある城で、馬の五本目の足に蹄鉄を打ってやった謝礼にレシピを教わったと言っていた。これがそれかと尋ねると、
「お前、ありゃ、俺ぁテメエの道具に話して聞かせてんだぜ。それを盗み聞きとはよ」
 男は両の眉根がつながりそうなほど顔をしかめて、大きく舌打ちをしたかと思うと、それっきり黙りこんでしまったので、それ以上のことは彼からは聞けずじまいだった。
 ところで東のイール・メーには、まったく内容は異なるが、去りし日の王国で最上のもてなしに饗されたという甘豆の汁物が伝わっている。その豆の名はアゥン・ゴト――おそらくこの音は、ピヌー人にはアーノトと聞こえただろう。そして、ピヌー人の口で言うアーノトは、しばしば我々にエー・ノド(腐った舌)と聞こえるのである。
 この逸話は、不輝城のもとの位地を推定するうえで、多少の手がかりを与えてくれるのではないかと思われるが、そのことに気付いて再びこの鍛冶屋を訪ねた時、彼は舌を失っていたために、本当にこの話しは、これっきりなのだった。
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