大峰はじめ

文字数 1,155文字

 引き攣りを繰り返し、マダラ模様を描きながら、大峰のケロイドの皮膚は肩口から腰まで大きく広がっており、田辺は大峰の背負った暗い過去を前に言葉を失った。健二の背中に描かれた曼珠沙華の赤が、大峰の背中に重なる。
「十五の時です。無理心中を謀った母が、自宅に火をつけました」
 くしくも田辺が金属バットを手に、父の後を追ったその歳だ。
 当時はまだ大阪府警の巡査補として勤務していた福永が、助けに入らなければ大峰は今、こうして田辺の前に立つこともなかった。
「福永は命の恩人であり、育ての親です」
 田辺と大峰、どちらも捨てられ、どちらも他人に拾われた命だった。向かい合った鏡に映る自分を見ているようでもあり、田辺はこうして対峙するのも運命だったのかと、一人納得した。
「田辺さん、あなたなら分かると思います。僕は、福永を殺した人間を許すつもりはありません」
 それもまた大峰の業であると、田辺は受け取った。とは言え、例え相手が藤崎であったとしても、売るわけにはいかないのだと、田辺はかぶりを振る。それは決して揺らぐことはない。
「誰を庇ってるんです?」
 大峰の処分に手をこまねいている自分に対して、藤崎が苛立っているのも、田辺は知っている。藤崎だって馬鹿というわけでもない。腐っても刑事だ。もし仮に大峰の行動の理由を嗅ぎつけたとすれば、大峰が福永の二の舞を踏む可能性もある。今はまだ大峰自身、藤崎を疑っている様な気配もなかったが、いつたどり着くかも分からない。そうなった時、どちらが先に噛み付くのか、田辺には想像もつかなかったが、一つはっきりしていることは、大峰が共食いされるのを見過ごすわけにはいかないという自分の気持ちだった。一度湧いた愛着を、簡単に捨てられない自分は、まだ極道になり切れていないのかと、田辺は自嘲する。
「あいにく、私は誰かを庇うほどの義理も人情も持ってない。あんたがどう思うのも勝手ですけどね、福永さんを殺ったのは私……」
 田辺は続く言葉を口に出来ないまま、布団の上へと倒れ込んだ。頭蓋骨の中で脳がグラっと揺れ、田辺は気付けば天井を見上げていた。何が起こったのか考える隙もなく、硬い拳が田辺の頬にぶつかり、田辺はさらに衣類の中に顔を埋めた。
た。
「嘘や…」
 嘘や。と大峰の声が反復し、田辺は腹部に強い圧迫を覚えた。馬乗りになった大峰の拳が田辺のこめかみを打ち付ける。田辺の視界は手ぶれ補正の効かない古いビデオカメラの映像のように、短くブレていた。胃を締め付けられるような感覚が、高速で這い上がり、田辺は胃の内容物を吐瀉する。酸っぱい匂いを撒き散らすそれには、口の中を切ったのか、赤い血が混じっており、健二の脱ぎ散らかした衣類や布団を黄色く汚した。大峰は構わず、田辺の首へ両手を添えて、上からゆっくり押しつけた。
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