ヤクザ

文字数 1,961文字

 組長には聞かせたくないんですよ。そう一言告げてやると、藤崎は何かを理解したらしく、大人しく車へ戻ることにした様だった。車を降りたコインパーキングまでの道中、藤崎はどこかそわそわと浮き足だち、くだらない世間話で時間を埋めた。
 案内されるまま車に乗り込んだ田辺が驚かされたのは、ダッシュボードに固定された小さな写真立てだった。日に焼けて色褪せた写真には、二人の幼い女児が写してある。
「お嬢さんです?」
 花菱の為に人殺しにまで手を染めた非道な男に家族が居るとは、想像もしなかった。藤崎は被っていたキャップを写真立ての上へとかぶせ、無言のまま田辺の質問に答えた。
「なんだよ、話してぇことってのは」
 早くしろ、と田辺を急かす様に貧乏ゆすりを始める。
「今日、誰とお会いになったんです?」
「誰って、今日は家から直接ここに来たんだろ」
「寺田ビルディングって、確か遠藤組のもちもんでしょう?」
 ここへ来る前に、藤崎が立ち寄ったビルだ。
「おい、おまえ…」
「ああ、すみませんね。ちょっと心配ごとがありまして」
「疑ってんのか?」
 心配したのは藤崎ではなく大峰だったが、田辺はそれを教えてやるつもりもない。藤崎が疑われてると思うなら、それでよかった。
「組長にお会いになりました?」
 入院が精神的に応えでもしたのか、花菱はすっかり萎びていた。畳敷きの寝室には介護用の電動ベッドが持ち込まれ、日がな調子が悪いとベッドに寝たきりだと、自宅に戻ってからは泊まり込みの女将が言っていた。食欲は落ち、明らかに体力は衰えている。しかし、時折思い出した様に、己の雄を見せるのだ。
「アタシに出来ることって言ったら、こんなことぐらいですからね」
 女将は冗談の様に笑って見せたが、本心はどうなのか。頭がはっきりしてるうちはまだ良いが、いつまでもというわけにはいかないだろう。府中で見た多くの年寄りと、結局行き着く先は同じだ。
「あれは、もうそう長くない。藤崎さんの心中お察ししますよ」
 花菱が逝ったとなれば、藤崎の定年後も安泰とはいかない。田辺の言葉に一瞬驚いた表情を見せた藤崎だが、すぐに表情を緩ませる。
「そりゃ、まぁ……あの若頭じゃ、どうしようもねぇからな……俺だって、こんなこた、言いたかねぇけどよ、花菱はもう…」
 藤崎は最後を濁したが、言いたいことは田辺も理解している。終わりだ。大きな傘を失った蜘蛛の子は放っておいても散り散りになり、新しい傘を求めるだろう。それが、柏木になるか、望月になるか、桂になるのか、それだけの話だった。田辺は流れに身を任せるつもりではあった。ただし、糸島や佐治のかませ犬に終わるつもりもない。
「ところで、捜査一課の福永さんが、どうやって死んだのか、教えてもらえませんかね?」
 刹那、藤崎の顔から表情が消える。何故それを知ってるのだと言わんばかりに、藤崎は大きく目を見開いた。
「ちょっと小耳に挟んだもんで。確か、刑事殺しは死刑が相場でしたか?」
 田辺は藤崎のキャップを手に取った。写真立ての二人の幼女は、この場の空気に似合わない笑顔を見せている。
「可愛いお嬢さんだ。おいくつです?」
 藤崎の年齢を考えれば、二人の娘はすでに成人済みだろう。
「娘は関係ねぇだろ……」
「よして下さいよ。なにも売り飛ばそうってんじゃありませんよ」
 それも悪くない。はなから良い人間でいる必要がないのが、ヤクザというものだ。いざとなったら、平気で身内も売る。藤崎も同じ事をしてきたのだ。もしそうなったとして、藤崎が田辺を咎められるわけもない。
「理由は、なんでもいい。糸島と佐治をパクって下さい。殺しを隠蔽できるんだ。藤崎さん、あんたなら簡単な事でしょう?」
 佐治の尻に敷かれっぱなしの糸島には、遠藤ほどの求心力がないのは明らかだった。脱皮したての蛇は、そこから先に進むだけの力もない。今のうちに頭を叩き潰せば、空中分解してくれる。
「そんなこと……」
 出来ないとは言わせない。田辺は写真の二人の女児の顔を指で撫でた。まだ小学校へ上がる前の頃か、二人とも母親に似ているのだろう、藤崎の面影はない。
「母親に似て、別嬪でしょう?」
 田辺は藤崎の妻の顔を知っているわけでもないのだが、娘二人の顔形を見れば簡単に想像がつく。どんなに不出来でも、女であれば金にはなったが、器量良しならなおさらいい。
「やめてくれ……」
 腐敗しているとはいえ、良心の呵責でもあるのか、藤崎の顔には悲壮感が張り付いている。
「危ない橋を渡るのはお互いでしょう?」
 手にしたキャップを藤崎の頭に乗せてやると、田辺はそれじゃあとドアを押し開け、表へと出た。タクシーでも拾うか。と考え、タバコに火をつける。
「藤崎さん、良いニュースは、早い方がいい」
 藤崎は放心したように、田辺の去った助手席を見つめていた。
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