健二

文字数 3,124文字

 消化不良の熱のように、深澤に対する感傷が田辺の身体の中でくすぶっているのは、遠藤が余計な話をしたからだ、と田辺はいささか遠藤に対するいら立ちを覚えながら、一人しばらく歌舞伎町を当てもなく流した。
 遠藤と別れた後、吐き出しようのないその熱をどこかへぶつけてやりたい気になり、馴染みの女の部屋を訪れたのだが、三年姿を見せないうちに新しい男ができたらしく、田辺の当てはすっかり外れてしまった。結局、くすぶる熱を抱えたまま、日本一の歓楽街を歩いてみても、この街のめまぐるしさにうんざりし、そうして不快感を伴いながらしかし、ここで拾われた自分には、やはりここしかないのだと、再確認させられただけの話だった。
 一人の部屋に戻る気になれなかった田辺は、仕方なく事務所へと足を向けた。二十四時間、必ず誰かが待機している事務所なら話し相手くらいは捕まるだろうと、そう考えてみたのだが、結局その当てすらも外れてしまった。
 鍵のかかっていない扉を押し開くと、机の上の食べかけたピザと、こちらも飲みかけの缶のコーラが一本あるばかりで、事務所の中はがらんとしていた。一体どこへ行ったのか、ヤクザ事務所に入るバカな泥棒などいるはずもないのだが、鍵をかけずに出かけた電話番に田辺は短く舌打ちした。雀荘か、ビデオ試写室か、あるいはコンビニへでも出かけたか、どちらにしてもすぐに戻ってくるだろう。田辺はそう思い、しばらく事務所で電話番の帰りを待つことに決め、パイプ椅子に腰を下ろしタバコに火を点けた。
 田辺はふと、深澤がいつも座った窓際の一人掛けのソファーに目をやった。深澤を訪ねて田辺が事務所を訪れると、深澤はいつもそのソファーに腰を掛け、何が見えるでもない窓の外を眺めながら、タバコを吸っていた。久しぶりに深澤が見たそこからの景色を見てみたくなり、田辺はパイプ椅子から立ち上がる。
 手前の三人掛けのソファーに差し掛かると、田辺の視界に二本の裸足の足が映り込み、なるほど、電話番が鍵もかけずに出かけた理由を察し、同時にその足の持ち主に、まだいたのか、と田辺は呆れた。体を小さく丸め、ここがヤクザ事務所であることを忘れたように、健二は安心しきった顔で寝息を立てている。これが自分の部下なら張り倒すところだったが、組員でもない健二を張り倒す気にもなれず、田辺はつま先でソファーの足を思いっきり蹴り上げてやった。突然の衝撃に、体をビクリと大きく跳ね、何があったのかと、慌てた様子で起き上がった健二は、見下ろす田辺と目が合うと、今朝と同じように短い金髪を掻きまわした。
「あ、あ…す、す、すみ、すみま、せ、せん」
「どもると何言ってんのかわかんねぇわ、落ち着な」
 たしなめられた健二は、もどかしそうに表情を歪め、再び頭を掻きまわす。今度は二度三度と繰り返し、両手で短い髪を引っ張りあげた。
「こ、こ、こどもの、とき、ときか、から、で…」
 自身のままならない言葉に対するもどかしさと、他人へそれを伝えることの恥ずかしさで、健二の白い首筋は見る間に赤く染まっていく。
「障害か?」
 田辺の言う通り、障害と言えば発達障害の一種だった。本来ならば訓練によって話し方を覚えていくものなのだが、母親は健二のそれに無頓着で、十八になった未だに健二は自身が発達障害であることを知らないままだ。
 田辺の問いかけにどう答えればいいのかがわからないといったように、健二が再び頭を掻きまわし、田辺はその手の甲にいくつもの切り傷や根性焼きと思しき、丸いかさぶたの後を見つけた。
 田辺がまだ十代の頃、健二のように拳に幾つもの傷を作ったのは、絶えず、その拳を誰かの腹に、顔に振り下ろし続けたからだった。そうして自分を守り、自分の居場所を作って来た十代の田辺にとって、暴力とは生きていくための道具であり、それがすべてだった。深澤に出会っていなければ、今の自分はない。またぞろ湧き出した昔の感傷を振り払うようにかぶりを振ると、もういい。と、田辺は健二の手を止めた。
 今日は酷い日だ。  
 遠藤にしろ、健二にしろ、こうも感傷を煽られたのではたまらない。一人でいる方がいくらかマシだ。田辺がそう思い、立ち去ろうとした刹那、健二の傷だらけの手が今度はジャケットの裾をつかみ、田辺を引き留めた。なんだと、見下ろした先にはいつの間にか床に頭をこすりつけるように、身体を小さく丸めた健二の姿があった。
「お、お、おね、おねがい、し、しま、します、お、俺を、く、く、組長の、し、し、したで、はた、働かせて、くだ、さ、さい」
 足元の小さな金髪の頭を見下ろしながら、田辺はしばらく呆気に取られていた。
「く、くみ、組長に、ほ、ほれ、ほれたん、で、です」
 続いた健二の言葉に、ふっと声を漏らし、一つが漏れ出すと、また二つ三つと腹の底から溢れ出し、それは短い反復を繰り返しながら田辺の喉を鳴らした。昨日今日、初めて顔を合わせたばかりの自分のどこに惚れたというのか。田辺は滑稽なこの状況がおかしくて仕方ない。近頃のガキは、どんな漫画を読むんだ。と、田辺は腹の底から声を出して笑い続けた。
「お、お、おか、おかしい、です、です、か?」
 健二の二つの眼が田辺を睨みつける。
「愛の告白じゃねぇんだよ」
 惚れた男は自分のこの手であの世へ送ったと、田辺は自らの両手を見下ろした。
 深澤を殺したのは他の誰でもなく、田辺自身だった。
 その首の太さも、その筋肉の弾力も、麻のロープが掌に食い込んでいくその感触も、何もかもを忘れられない。締め上げても締め上げても、まだ生きようとした深澤の、その生命力が狭い車の後部座席を充満し、皮膚から網膜から口から身体中の全てから流れ込む様で、田辺はもがく深澤を前に強く勃起した。
「お、お、おねがい、し、します」
 脚にすがりつき、見上げる健二の目は自分の目だと、田辺は思う。深澤を見上げた自分の目だと、そう思うと、田辺の中でくすぶっていた熱が、ぐつぐつと音を立てて沸き立ち始め、その熱さに突き動かされるように田辺は健二の短い髪を掴んだ。金髪は尻から指を擦り抜け、要領を得ず、次に、その細い首を鷲掴み、田辺は健二の頭をソファーの上へと押し付けた。健二は何が起こっているのかを理解できずに、ただ茫然と田辺にされるがままだ。
 田辺は健二の右腕を後ろ手に抑え込み、その背中にのしかかると、ハーフパンツを乱暴に下着ごと引き下ろす。ようやく、自分の置かれた状況に気付いた健二が、慌てたようにもがき始めたのだが、痩せた健二の体では田辺を押しのけることすらできなかった。
「や、や、やめ……」
 震えて掠れる健二の声を殺すため、田辺はソファーにさらに強く健二の頭を押し付けた。田辺の手がベルトのバックルを外すと、その音が健二の耳をびくりと短く痙攣させ、健二はこれから自分の身に起こるであろう出来事に体を硬く緊張させた。田辺は閉じた健二の足の間に膝を割り込みながら、露出させた自身を手で数度擦り上げ奮い立たせる。
「惚れてんだろ?」
 押しつけられた息苦しさに赤くなり始めた健二の耳に囁きながら、田辺は深澤が死に際に放った生命力を思い出し、滾り始めたその雄を健二の小さく硬い双丘の谷間へとねじ込んだ。十分に濡れないままの田辺のそれは、健二の薄い皮膚を巻き込み、ミシミシと音を立て、健二の中を割り入っていく。どこか遠くで聞こえる様な健二の慟哭に、震える鼓膜を感じながら、田辺は健二の内側に自身の熱を放とうと繰り返し突き上げた。次第に赤い血が滲みそれと同時に、健二の股間から漏れ出した小便がソファーを濡らし、田辺の黒い礼服を濡らし、それは御影石の床の上へと溢れていった。
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