交わる
文字数 1,141文字
「田辺さん、あんたは嘘つきや…」
紅潮していく田辺の首筋には、太い血管が浮き上がる。ただし大峰が体重をかければ掛けるほど、田辺の体は布団に沈み、締め上げられる圧力は緩慢だった。もっとだ。田辺は息苦しさに、足をばたつかせながらも、もっと強く締め上げろ。と大峰の手を掴んだ。このままでは死ぬに死ねない。同じ気持ちだったのだろうか?自分が首を締め上げ、地獄へ送った深澤も、今の自分と同じ気持ちだったのだろうか?田辺は重くなった瞼を僅かに持ち上げ、大峰を見上げた。霞がかった視界が大峰の表情を確かめる邪魔をする。大峰が笑っていれば、少しは慰めになるだろう。田辺はぼんやりし始めた頭の隅で独り言た。しかしそれも、すぐに諦めに変わる。薄く開いた瞼に、雫がこぼれ落ちた。ポタポタと繰り返し落ちる雫は、田辺の瞼と眼球を濡らし、やがて頬を伝って小さな川を作った。不意に頭が軽くなり、田辺は引き攣りながら酸素を肺いっぱいへと吸い込んだ。それから再び胃の内容物を吐き出しながら、咳き込む。布団に力強く叩きつけられた大峰の両手が、僅かな風を巻き、田辺の両耳をくすぐる。すぐそこに、大峰の荒い息遣いがある。
「殺せよ…」
胃酸で焼けた粘膜は、声帯が震える度にヒリヒリと痛んだが、田辺は出せるだけの力で殺せよと続けて大峰に怒鳴りつけた。ドン。と激しく隣室との壁が鳴ったが、田辺は大峰に怒声を浴びせ続けた。
「殺せよ!殺せ!さっさとヤレ!根性なしが!」
冷静でない田辺が紡ぐ言葉はどれも、短絡的で子供じみていたが、田辺にはそれを考える余裕もない。唾液に混じり、口腔に残った吐瀉物が、飛沫になって大峰の体を汚し、大峰はただ田辺を見下ろすばかりだった。壁を叩いた隣人も、田辺の怒号に萎縮したのか鳴りを潜め、小さな四畳半は充満する熱気にただ静かに膨張する。不意に田辺の体を大峰の腕が抱き上げ、田辺の頭がガクンと後ろへ落ちた。
「すみません…」
掠れる声で大峰は謝罪の言葉を繰り返す。ザバンと耳の奥で、田辺は波の音を聞く。波打ち際に寄せて返すのは、やはり大峰への強い執着だった。大峰も同じなのかと、確かめる様に田辺は大峰の背中に手を回す。指先は大峰の皮膚の凹凸を感じた。もっと硬いものかと思っていた。火傷で薄くなった皮膚は、その下にある、ほんの僅かな皮下脂肪の柔らかさをそのまま田辺の手に伝えてくるのだ。ややもすれば、裂けてしまうのではないかと思うほどに、張りのない酷く柔らかな皮膚だった。田辺の指先は、一つ小さな山を越えれば、また次の山へと移動しながらその形を覚える。
「今も、痛むのか?」
「痛みはとっくに忘れました」
「そうか…」
良かった。
そう呟き、大峰の肩口に顔を埋めたまま、田辺の意識はよせる波に飲み込まれて消失した。
紅潮していく田辺の首筋には、太い血管が浮き上がる。ただし大峰が体重をかければ掛けるほど、田辺の体は布団に沈み、締め上げられる圧力は緩慢だった。もっとだ。田辺は息苦しさに、足をばたつかせながらも、もっと強く締め上げろ。と大峰の手を掴んだ。このままでは死ぬに死ねない。同じ気持ちだったのだろうか?自分が首を締め上げ、地獄へ送った深澤も、今の自分と同じ気持ちだったのだろうか?田辺は重くなった瞼を僅かに持ち上げ、大峰を見上げた。霞がかった視界が大峰の表情を確かめる邪魔をする。大峰が笑っていれば、少しは慰めになるだろう。田辺はぼんやりし始めた頭の隅で独り言た。しかしそれも、すぐに諦めに変わる。薄く開いた瞼に、雫がこぼれ落ちた。ポタポタと繰り返し落ちる雫は、田辺の瞼と眼球を濡らし、やがて頬を伝って小さな川を作った。不意に頭が軽くなり、田辺は引き攣りながら酸素を肺いっぱいへと吸い込んだ。それから再び胃の内容物を吐き出しながら、咳き込む。布団に力強く叩きつけられた大峰の両手が、僅かな風を巻き、田辺の両耳をくすぐる。すぐそこに、大峰の荒い息遣いがある。
「殺せよ…」
胃酸で焼けた粘膜は、声帯が震える度にヒリヒリと痛んだが、田辺は出せるだけの力で殺せよと続けて大峰に怒鳴りつけた。ドン。と激しく隣室との壁が鳴ったが、田辺は大峰に怒声を浴びせ続けた。
「殺せよ!殺せ!さっさとヤレ!根性なしが!」
冷静でない田辺が紡ぐ言葉はどれも、短絡的で子供じみていたが、田辺にはそれを考える余裕もない。唾液に混じり、口腔に残った吐瀉物が、飛沫になって大峰の体を汚し、大峰はただ田辺を見下ろすばかりだった。壁を叩いた隣人も、田辺の怒号に萎縮したのか鳴りを潜め、小さな四畳半は充満する熱気にただ静かに膨張する。不意に田辺の体を大峰の腕が抱き上げ、田辺の頭がガクンと後ろへ落ちた。
「すみません…」
掠れる声で大峰は謝罪の言葉を繰り返す。ザバンと耳の奥で、田辺は波の音を聞く。波打ち際に寄せて返すのは、やはり大峰への強い執着だった。大峰も同じなのかと、確かめる様に田辺は大峰の背中に手を回す。指先は大峰の皮膚の凹凸を感じた。もっと硬いものかと思っていた。火傷で薄くなった皮膚は、その下にある、ほんの僅かな皮下脂肪の柔らかさをそのまま田辺の手に伝えてくるのだ。ややもすれば、裂けてしまうのではないかと思うほどに、張りのない酷く柔らかな皮膚だった。田辺の指先は、一つ小さな山を越えれば、また次の山へと移動しながらその形を覚える。
「今も、痛むのか?」
「痛みはとっくに忘れました」
「そうか…」
良かった。
そう呟き、大峰の肩口に顔を埋めたまま、田辺の意識はよせる波に飲み込まれて消失した。
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