月見里 誠輝
「いや普通に心配だから持って行って、蘭香が死んでしまったら僕は……」
「あーもう分かったよ、そこまで言うなら持って行くから泣かないでくれ」
地球に出発する前、心に決めた相手と交わした話を思い出しながら、桜橋蘭香は隊員の到着を待っていた。
「どこの生まれの生命体でも……こう、何日も雨が続くと憂鬱なのは変わらないんだね……」
日本は梅雨に入っている頃。
相変わらず訓練は行われているみたいだけど、と微笑みながら蘭香は筆を置いた。
これからお世話になる機関だから、と張り切って綺麗な文字で日本語の手紙と日本語のレポートを書いているのである。
軽いノックと蘭香の返事の後、隊員が3人ほど入室し、
松山いつき隊員は念の為、と断りを入れた上で
遊理を連れて部屋の外へ連れて行き、
綺音はメモを取りつつ同席している形となった。
猫耳の生えた綺音の姿が珍しいのか、蘭香はまじまじと眺めた上で、
と隣の隊員を見て尋ねた。
しばらく隊員と蘭香は話し込んでいた。
話の内容を簡潔にすると、伊予松山の元基地、いわゆる跡地に案内される事となったのだが、蘭香はそれを苦笑いせざるを得なかった。
「あーうん……先住民が居るけど、協力してくれるはずだよ……設備も整ってるし調査環境は最高だって事は保証するよ」
何故か雰囲気がギクシャクしていたようにも見える光景ではあったが、蘭香はさほど気にしていないようだ。
「そうか、設備まで完備してもらえるのは助かる。感謝するよ、ありがとう」
こうして、桜橋母娘は仮移住という形で地球に定住する事となったのである。
「まぁしかし、良い所だね……この国は。表情を変えてそこに時間を伝えてくれる……私達の星は、ずっと同じものが同じように事前に知らされて繰り返されるだけの……ある意味決まった世界だったからね……あの方が居なかったら、希望を掘り起こす事すら無かったんだろうな……」
窓辺の花瓶に目を移し、差して飾っている紫陽花を眺めながら蘭香は続けて呟いた。
「七変化の国。この地球の中でも天候の変わりようが多い日本は、虹の絵本のような国だから日本だ、なんて学んだけど。サレリクルから見たこの星は常に青かったから、こんなに鮮やかなで哀愁に褪せた桃色が存在してるなんて知らなかったよ……」
そして、梅雨が明けた頃。
伊予松山元基地にて。
……ダンダンダンッ。
快晴の下、汗だくになりながら門を叩く隊員と、手紙とレポートの入ったフォルダを持った蘭香はそこに居た。
「雑だな、別にそんな叩かなくても聞こえるんじゃ……」
???「あーもう、だから言ってるだろう。私は忙しい。研究の為にこの施設を手放す気は無いぞー」
だいぶ大きな音で、跡地にしては整備された門を思いっ切り叩いて件の先住民を呼び出している事に蘭香は少しヒヤヒヤしていたが、案外インターホンは繋がるものだ、インターホンの向こうから、眠そうな声で返事が聞こえる。
「なんだい? やけにしおらしいじゃないか……もしや、この間の血肉検査か何かの関係かい?」
「急に押し掛けて申し訳ないけど、桜橋蘭香という者だ。正直この気候は温暖化の進み過ぎで暑い、中に入れてくれないかな」
「んー? 聞かない名前だな……ほーん?……さてはそっちの見掛ないのが本題だな?」
「入って良いよ。なんだか、楽しくなりそうだからね」
また、先住民だという女性の上機嫌でやらしい話し声がインターホンから聞こえて来たのだった。
「悪いねー、夏はやっぱり麦茶の水出しが一番でさー。大した飲み物も菓子も無いけど」
遠くコンピュータールームが見えており、そこでは何かの観測が行われているようだ。
隊員と先住民は何かを話し始めた。
蘭香は、話も聴かずおもむろに眼鏡を取り替え、遠く見えるモニターをずっと見詰めていた。
やがてその見覚えのある規則の動きに、蘭香は叫ぶ。
「これ、水鏡面スレットの観測グラフィー!? 完成度が高過ぎる……」
「……へぇ、蘭香博士の星ではそう呼ばれてるのかい?」
隊員の素っ頓狂な声に呼応するように、蘭香が解説を始める。
「私が来たサレリクルを含むバーチャルスペース星態系、イーストヴィッ……おっと、東山備中の出身である星間系アンダーギャラクシーと、この太陽系の間には、理論上それぞれゲートが用意されているんだ。普段は何も分からないように鏡みたいな反射する境目として存在していて、そう簡単に見付けて通る事はできなくなっているよ」
「……でも、それをいとも簡単に見付けて刺客を送って来る馬鹿が居るんだ。東山備中って奴だけどね」
「ゲートを通ると水鏡面スレットが変動する……それを逆手に取った仕組みさ。この間、1回だけ変動したのにニュースが流れなかったんだ。不思議な事が起こったもんだから誤作動かと思ったけど……蘭香博士達かい?」
蘭香の答えを聴くなり、先住民は喰い気味に蘭香の手を握った。
「ありがとう! 私の仮説を証明してくれて! 礼を言おう!」
驚いた顔でキョトンとする蘭香に先住民は目をキラキラさせながら畳み掛ける。
「契約はもう完了したから自由にしてくれたまえ! 仲良くしようじゃないか!」
ポカーンとした顔で蘭香は立ちすくみ、そうしているうちに先住民は隊員を煽り始めた。
「ほーら見ろー? 私の言ってた事は間違って無かったじゃないかー?」
「……そうだね。まぁ、話したい事話したし帰るわ。あ、そうだ話しとかなきゃ。めんどくさいな、はぁ……給料はこれくらい。うち30%は蘭香博士の給料」
「なんだいケチだねぇ、この3分の1嵩増しでどうだい。ちょっと弾んでるけど、蘭香博士の優しさに甘えるんじゃないよ?」
「あーもう分かったから、はいはい。じゃあまた様子見に来るから」
そそくさと帰って行く隊員。
なるほどと思いながら蘭香はいつの間にか片手で抱き締めてしまっていたフォルダーを急いで先住民に渡そうとした。
「あぁ、焦らなくて良い。それと、申し遅れたが私の名前は浦霧光江だ。宜しく頼むよ」
それを聴いた桜橋蘭香の中で、娘の髪色に対する認識が、少しずつ良い方向に変わりつつあった。
(私は思った。この世界のように移ろう季節は、やはり新しい発見を促してくれるんだよ。だから私は何度でも礼を言う……ありがとう。私を……信じてくれて)
そして、あれから十年後…浦霧博士らの尽力により、私達はバーチャル宇宙空間「メタバース」への突入に成功し、東山備中の本体にして最終形態である「オメガ型」と、最後の戦いを繰り広げていた。
「石本! 桜橋! 何故お前達は、自らの夫にして父であられる御方に、こうも刃を向けるのだ!? 私の…お父様の血を拒むなんて、許せない…!」
「こちらハンターV、前方に敵コマンダーの姿を…って、あれは嶺咲先生!?」
(スーパーホーネット)
「いや、あれはもう私達が知っている嶺咲さんじゃない…備中の長女にして、その血と罪業に魅入られてしまった継承者『東山あずさ』だよ! 警戒して!」
「東山の力を手に入れれば、私は地球だけでなく、宇宙の神だって望める…! さあ、征きなさい! オメガ級スモーク量産型、全機発進!」
東山軍による量産型生命ミサイル「スモークヴィッチ」の大量放射で、サイドワインダーを中心とする連合軍は危機的情況に陥りつつあった。
「デジタル宇宙空間から量産型が無限に出て来て、レーダーが真っ赤に…数が多過ぎて、どれが本体か識別できない…!」
「味方の大本営に着弾! あーあ、参謀の綺音ちゃんがやられちゃった…全機、布陣を立て直して! どうにかしないと…でも、このままじゃ…!」
「……まさか……! 駄目だよ、遊理。遊理はまだ子供だ、これは使わせられない」
「でも、これを使えば遊理は死んでしまうかも知れない……それでもやると言うのかい……?」
「やるよ! だってこの星とママの事大好きだから! それに私は大丈夫!」
「遊理が死んだら、ママも……蘭香も死ぬんだよ!?」
そして遊理はいつの間にか長くなった腕で歌声拡散兵器のヘッドフォンを掴んでバーチャルユニフォームを着て宇宙空間へ飛び出して行く。
「私を守ってくれた者を守るため、私は、歌い叫ぶ……!」
そして、スモークヴィッチの弱体化と機動部隊の強化が確認される……!
「ママ、歌いきったよ! 大丈夫! 生きてるよ!」(口に垂れた血を拭う)
「「エラー、ネットワークの変更が検出されました。サーバーから解決策が通知されるまで、アプリケーション動作を停止します」」
「ちょっと量産型、何をしているの!? 私の命令通りに動きなさい! この私を誰だと思っているの!? 我こそが神だ! ほかには居ない!」
「「エラー、お客様によるアクセスは拒否されました。パスワードが違います。アクセスを許可されているのは、認証されたオメガ型サーバーだけです」」
「量産型の動きが止まった! 今なら、東山備中の本体を見付けられる…あ! あれだ、あの巨大宇宙戦艦みたいな奴が…!」
「させません! 父上は私が護ります! それでも刃向かうならば、先生がこの手で、あなた方を永遠の快楽に堕としてあげる!」
「この十年間で、沢山の人達と出逢い、別れ、そして裏切られる事もあった。それでも、私達は諦めない…必ず勝つ! 行くよ、士官ちゃん! 東山、覚悟!」