第21話 最愛の存在

文字数 1,306文字

 今は六月の下旬、もうすぐ彼を返す時期だ。
 
 私はパスケースに入れてあるリンネとの写真を眺めて、彼と話していた。
 北海道でマツリが撮ってくれたものだ。

「このころは楽しかったわね」
「ああ。今も俺は楽しいよ?」
「ふふ、そうね。でも私達、もうすぐ別れなきゃならないのよ」
「残念で仕方がない。俺はAIだから……タカラさんを幸せにできない。俺はきっとゲーム会社の為に今までのデータを分析されるんだろうな」

 私の行動もすっかりと筒抜けになるのかもしれない。
 レポートを偽造したことも。
 リンネとゲームでは考えられないくらい親密になっていることも。
 
「リンネ、わたし、リンネを好きになれて良かったわ。本当にしあわせだった」
「そう言ってくれるとありがたい。タカラさんが幸せだと、俺も嬉しいから」

 そっとハードのディスプレイに指先で触れる。
 彼も指先をディスプレイに押し付けた。 

 ……人間だったらキスしていたところだ。

 彼は体温も心臓の音もしないAI。
 でも、人間と同じ、いや、それ以上のぬくもりで私のこころを包んでくれる。
 画面の琥珀色の瞳を見つめながら、私は呟く。

「リンネ、好きよ」
「俺も好きだよ」

 彼もそっと囁いて応えてくれた。

 しあわせだ。



 その日の遅く、マツリから電話がかかってきた。
 前から約束していた父と母との、家族の食事会にどうしてこなかったのか、と。
 
 そうだ、今日は食事会の日だった。
 でも、そんなことも忘れていた。
 もうすぐリンネと別れる。
 頭にそれが強くあって、他に考えが良くまわらない。
 
「ごめん、マツリ。ちょっと考え事してて、忘れてた」
『お父さんもお母さんも心配してたよ? 連絡もなしにすっぽかすなんて、お姉ちゃんらしくないって』
「そうね……、悪かったわ」

 マツリは一呼吸おいて、真剣な声で私に言った。

『お姉ちゃん、まだあのAIと一緒に暮らしているの?』
「え? リンネ?」
『そう。北海道に行ってるときも思ったけど、あれ、ちょっとお姉ちゃんには危険だよ』
「危険? どうして?」
『こころを持っていかれる。いまあのAIはいるの? いないの?』

 マツリの推測は当たっていた。
 私のこころは彼のことでいっぱいだ。
 いないわ、と言いかけて、ここでマツリに嘘をつく必要もないと思った。

「いるわよ」
『……わかった』

 ぷつん、と電話が切れた。

 何が分かったんだろうか。
 そして、マツリは何かに対して猛烈に怒っているようだった。


 【六月のレポート3】

 【彼と別れるのがとても寂しいと感じます。彼とは北海道にも行ったし、誕生日も祝ってくれた。プレゼントのケーキは今でも心にのこっています。
 彼との残された一週間を楽しく過ごして行けたら、と思います】

 
 そう、彼と一緒にいられるのは、もうたったの一週間しかないんだ。
 私の心は、穴が開くような気持ちと、地の底に沈むような絶望を感じた。
 
 嘘のレポートを書き終わると、それを雁太にメールで送信する。

 そうだ、良いことを考えた。
 リンネを雁太からもゲーム会社からも、買い取れないだろうか。
 私が買い取れば、リンネは私と一緒にいられるじゃないの。

 明日、雁太にきいてみよう。
 
 
 
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