第28話 御所園美姫お嬢との対話…

文字数 2,763文字

 松本さんを、犬舎の前に置いて、俺と大津は御所園(ごしょぞの)家の居宅、すなわち学園理事長館に、急行した。
 理事長館はもぬけの(から)のようになっていて、人の気配があまりなかった。俺たちは奥へと進む。理事長室には、俺たちを待ち受ける人がいた。御所園美姫(みく)。理事長代理だった。
「よく来たわね。座って頂戴(ちょうだい)
 美姫お嬢様は、落ち着き払って、(おっしゃ)った。
 初めて入ったけど理事長室、これでもかと言うくらい広い部屋で、壁一面に、書籍が飾られている。いかつい背表紙の洋書が多かった。数千冊くらいあったろう。
 彼女は巨大な机の後ろから立ち上がり、応接ソファーに身を下ろし、俺たちにも対面に座るように(うなが)した。雲の上に座ったような、極上の座り心地の、アンティークなソファーだった。
「こんなことになって、残念です」と大津が口を開いた。
「そうね、本当に残念。……ごめんなさい、喉が渇いちゃった」
 彼女はスッと立ち上がり、ワイングラスを3つと、物凄く高そうな年代物のワインボトルを持ってきて、トクトクと注いだ。俺は相変わらずとっても美しい、理事長代理の豊潤(ほうじゅん)優雅(ゆうが)なボディーに見とれていたのは、内緒のことである。
「ちょっとだけ飲も?」
 治外法権(ちがいほうけん)お嬢さまが勧める。腹も減り、(のど)滅茶苦茶(めちゃくちゃ)乾いていた俺は、もうどうにでもなれと、口に注いだ。
芳醇(ほうじゅん)馥郁(ふくいく)とは、こういうものなのか…)
 と驚嘆(きょうたん)する、深い味だった。
 大津もスッと唇にグラスを付けて飲み、
「美味しいです」と呟くように言った。
 お嬢さまはフフフッと微笑み、「やっぱりあなたは公安の人ねえ、平気で法令違反もする。飲酒の事ね。でも、今は飲んでないわね。変なものは、何も入ってないのに。お馬鹿さん」と笑顔のまま言った。
「すみません」と大津は頭を下げる。
 飲んでないとか、そんな事を俺が見抜けなかったのは当然だが、
(そうか、毒入りの可能性も、あったのか!)
 俺はその道のプロたちのやり取りを、愕然(がくぜん)として聞いていた。
「あなたは早い段階から、あたしが首謀者(しゅぼうしゃ)だって、分かってたのね。それで麗奈ちゃんがさらわれても、危害は加えまいって、神奈川県警を巻き込まないでくれた。そうでしょう? だからミユル皇太子の暗殺まで、あと一歩のところまで行けた。結局は、失敗しちゃったけどね。フフフッ」
「でも美姫さん、僕が本当に確信したのは、昨日あなたが『明日のルボシア共和国歓迎式典で、ニコニコ丸とクロドロ号の、競演演武(きょうえんえんぶ)があるの』と言ってくれた時です。その時、この計画の全貌(ぜんぼう)が把握出来たんですよ。教えてくれた(・・・・・・)感じですよね。美姫さん、あの時あなたは、計画が失敗して僕に防がれること、捕まることを、予見しましたね。そうでしょう?」
 理事長代理お嬢様は、コロコロと子供のように笑い、「そうね。大津くんには、(かな)わないわね」と言った。
「長い話をね、本当に短く言うとね、私は去年お父様を叔父に殺されたの。そして叔父は私を意のままに(あやつ)ろうとした。身体(にくたい)の交わりも含めてね。その形で分家筋から事業を取り戻そうとしたの。だから私は叔父を殺した。系列の病院に検死させて、心臓を弾丸で撃ち抜いたのを、心筋梗塞(しんきんこうそく)という報告で済ませたの」
 カチリ、と音がして、豪華な卓上ライターの火が付き、お嬢はいつの間にか(くわ)えていた煙草の先をオレンジにし、紫煙(しえん)を吐き出した。
「1本だけ吸わせてね」と言ってニッコリ微笑んで、話を続けた。
「短く話すわね。私ね、医学部に入って、医者になって、沢山の人の命を救う一生をお送ろうと、決めてたの。……でもね、湘南宝光コーポレーションの経営権限を、相続や発表を前に、実質的に私が握って、早々のことよ。武器密輸の話が回ってきて、世界は人殺しで満ちている(・・・・・・・・・・・・)という現実を、私はあらためて、突きつけられた。東欧では激しい戦争が、起きている。南米やアフリカでも、毎日たくさんの人が、殺されている。殺しあってる。クラスター爆弾や毒ガスや生物兵器は禁止されても、小火器も戦車も大砲も禁止されない。原水爆もね。おかしな地球よね」
「兵器は美しい。しかし兵器のなすことは、最悪におぞましい。美化しちゃ駄目ですよね」大津が相槌(あいずち)を打った。
「そうね。…それでね、私は自分が医師になるより、義勇軍(ぎゆうぐん)に入って戦いながら、世界平和を訴える、そんな道に入ろうと思ったの。今日この後、ルボシア国に飛ぶ予定だった。医師として何千人の人の命を生涯(しょうがい)を掛けて救うより、何百万人、何千万人、何億人の命を救いたい。たとえ途中で、この命が絶えようとも。戦いの場に身を置きながら、世界に向けて、命の大切さを渾身(こんしん)の叫びで、発信しようと思ったのよ。…そのために、ミユル皇太子を暗殺するしかなかったの。あの国の現体制である国王や指導層と、連絡や承認を取り合ってね。ミユル皇太子は、私が不戦の叫びのために『戦いの場に身を置く』資格や機会を奪う、小さな国の微力な平和主義者だったから。それでは駄目なのよ!」
「美姫さんの(おっしゃ)ることは、なんとなく分かります。平和のための戦闘や戦争。人類はいつでも、そのために命を捧げてきたんですから。僕はそれを、絶対に否定しません」
 大津がそう言うと、お嬢はスーッと小さな吸う息を聞かせて、深呼吸をし、
「そう言ってくれて、大津くん本当にありがとう。本当に嬉しかった。最後にあなたと話せて良かった。これで後腐(あとくさ)れなくって言うかな、お縄を頂戴できるわね」と言った。
 そして対面している俺たちの後背の上空を見詰めた。
 そこには軍服、燕尾服、背広、背広、湘南宝光コーポレーションを生み育て、御所園美姫に身体と魂を受け継がせた、四代の先祖、経営者の写真が飾られていた。俺には上手く言えないけど、4人とも生涯を掛けて「日本の正義」のために働いた、分厚く重厚な信念で一生を貫いた人たちであることは、不思議なほど清々しく分かる、肖像写真だった。
 また彼女は窓から、外の白雲を見てもいた。その雲が、瞳の中で揺らいでいる。お嬢の涙によってだった。
 彼女は初めて、ワインを口にした。
 そして数秒もしないうちに、前のめりにグラッと倒れた。
「しまった!」と大声を上げ、大津が立ち上がり、彼女に手を伸ばした。グラマーな半身を抱き上げ、
「美姫さん! 美姫さん! しっかりして下さい!」と叫んだ。
 何度も何度も同じ言葉を叫び、手首の脈を取り、ガックリとうなだれながら、彼女の亡骸(なきがら)を抱いた。
 ふと見ると大津は両目を真っ赤にし、大粒の涙をボタボタと垂らしながら、泣いていた。
「自分のワイングラスにだけ、毒を入れていたんですね。迂闊(うかつ)でした! 頬が紅潮(こうちょう)してきたし、微かにアーモンドの匂いがします。青酸カリでしょう。もう絶命(ぜつめい)しています」
 そう言って彼女の亡骸を抱き上げ、ソファーに横たえさせ、合掌(がっしょう)した。俺も慌てて合掌する。大変なことが起きてしまった。
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