第23話 水蛇

文字数 1,097文字



 最初に起こったのは夏だ。
 営業の外まわりで喉がカラカラだった。

 コンビニでペットボトルの水を買った。キャップをひねり、なにげなく口元に運んだ。
 そのとき、違和感をおぼえた。
 何か、あるはずのないものを見た気がする。

 貴幸はペットボトルを目の高さまで持っていった。
 なかに、小さな蛇が入っていた。
 おどろいてペットボトルを落とした。歩道に水がこぼれ、黒いシミを作る。
 蛇は飲み口から自力で()いだし、すうっとシミのなかへ消えていった。

 こんなこともあった。
 休日の昼飯をカップラーメンですまそうとした。やかんに水を入れるため、蛇口をひねった。
 あれ? 水が出ないと思った瞬間、ニョロっと、うねりながら、半透明の水のような蛇が蛇口から出てきた。
 わッと声をあげると、蛇はスルスルと排水口へ逃げた。

 それからは、もう毎日だ。
 油断すると蛇が出る。
 ポタポタしずくのたれる水道は、とめどなく小さな蛇を生む。

 そもそも、蛇口ってのは蛇の口だ。ステンレスの蛇口が、ぶるんとふるえて蛇の形をとる。
 安心して水が飲めない。

 喫茶店のコーヒーからは黒い蛇が這いだしてきた。
 コーヒーも飲めない。
 どうしたらいいんだ?
 見渡せば、まわりにいくらでも蛇口はあるのに、この都会のまんなかで、砂漠みたいに渇いてないといけないのか。
 水が……水が欲しい。

 何度か脱水症状で倒れ、病院へ運ばれた。
 三度めに倒れたとき、実家から母がやってきた。

「貴幸。おまえ、いくら仕事が忙しいからって、水は飲まないと」
「そうじゃないんだ。水が……怖いんだよ」

 だが、ほんとに怖いのは水じゃない。
 水のなかの……。

 母はまじまじと貴幸の顔を見つめる。
「子どものころ、おまえ、溺れたことがあるからね。小さかったから覚えてないかもしれないけど」

 溺れた?

 そう聞いて胸がドキンとした。
 記憶の波がざわめく。
 そう。川で……遊んでいた。
 誰かといっしょに。

 退院した日。
 ひさしぶりにゆっくり湯につかれる。蛇口を見ないようにして、浴槽に湯をはった。
 湯船につかる。
 少し、熱い。

 無意識に蛇口をまわした。
 あっと思ったときには、そこから大蛇が這いだし、浴槽いっぱいに、とぐろをまいた。かま首をもたげる蛇の頭が人の顔に見えた。

(あっ! (ゆう)くん!)

 そうだ。思いだした。
 子どものころ、いつもいっしょに遊んでいた。
 貴幸が川で溺れたのち、ぱたりと現れなくなった。そんな子は存在しないと大人は否定した。
 貴幸にしか見えなかった、お友達……。

 迎えにきたよ、と、悠くんが言った。

 あのとき、つれていきそこなったけど、今度こそ、行こう。
 あの暗い水の底へ——
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