第15話 祠の前で

文字数 2,520文字



 優香(ゆか)の家は商売をしている。自宅は商店街のなかにあった。

 商店街の端っこには、小さな(ほこら)がある。

 子どもの優香には、どんないわれがあるのかわからないが、両親や商店街の人々が大切にしているので、とりあえず、その前を通るときは、いつも手をあわせている。

 小学校へ行くためには、必ず、その祠の前を通り、商店街を出てすぐのところにある交差点を渡らなければならない。

 だから、毎日、学校帰りの行き帰りに拝んでいた。

 祠のとなりにある駄菓子屋さんの看板猫が、よくそこで昼寝をしていた。年をとった黒猫のクロだ。

 優香が、そっと頭をなでると、小さく口をあけて、「なーん」っと鳴くマネをする。声を出さずに鳴いたふりだけするのだ。それがまた可愛い。

 ところで、近所に良美(よしみ)という女の子がいた。乱暴でイジワルで、おっとりした優香は、しょっちゅう、からかわれたり、わざと、つきとばされたりした。

 いつものように学校帰りにクロと遊んでいると、良美がやってきて、優香をからかった。

「やだ。きったなーい。そんな病気のノラ猫さわって。首藤(すどう)さんって、ふけつー」
「汚くないよ。それにクロは飼い猫だよ。ノラじゃないよ」
「どう見てもノラでしょ。こんな猫、早く死んじゃえばいいのに」

 良美は笑って去っていった。

 良美の家は商店街をぬけたさきにあり、商売をしているわけではない。だから、クロのことも、よく知らないのだ。

 それにしても、死んじゃえと言われて、優香は自分のことのように傷ついた。

 それからしばらくして、クロは老衰で死んでしまった。そのことが、なおさら、良美の言葉を忘れられなくした。

 そのことがあって、しばらく経ったころからだろうか。

 アレが起こり始めたのは。

 祠の前を通るとき、なぜか足が重くなるのだ。

 最初は気のせいかと思っていたが、その感じは、じょじょに強くなっていった。

 祠に近づくと、ひざから下が木の棒になったようで、一歩、足を運ぶのにも、ひと苦労する。

 その場で立ち止まっていると、数分で、もとに戻るのだが。

 ほかの場所でも、その調子なら、優香は病気になったのかもしれないと考えただろうが、動けなくなるのは決まって祠の前を通るときだけだ。

 そのことが薄気味悪くて、しょうがない。

 できることなら、その場所を通りたくないのだが、まわり道をすると、とても時間がかかる。通学するには、この道しかなかった。

 中学校は反対の方向なので、あと半年のしんぼうだからと、優香はガマンしていた。

 三ヶ月も経つと、いよいよ、動けなくなった。

 祠に近づくほどに、棒のようだった足が鉛のようになり、真ん前に来ると、両足が鉄の杭となって地面に刺さっているかのようだ。

 そんなことが十分も続くことがある。

 おかげで、学校に遅刻することが増えた。

 そのことで、良美には、ますますバカにされた。

 ある朝のこと。

 いつものように、祠の前で、優香はかたまっていた。

 以前より二十分も早く家を出たのに、もう十分も、ここで、つかまっている。

 そのとき、足元に何かがさわった。

 さわさわと、ふくらはぎのあたりをなでるものがある。

 それは以前に経験したことのある感覚だった。

 直感的に、優香は思った。

 あっ! クロだ!

 猫は警戒をといた相手に対して、自分の匂いをつけるために体をこすりつける習性がある。

 クロも生きていたころ、よく優香の足にすりよって、ほおずりした。

 クロが会いにきてくれたんだ。

 そう思って、優香は足元を見おろした。

 そして、ゾォッとした。

 優香の両足には、黒いモヤのようなものが、まとわりついている。

 水面に墨汁を流したように、濃いところと薄いところが、まだらになっていて、全体は、たしかに黒い猫のようだ。

 だが、ところどころ色の薄いあたりには骨が透け、青黒い内臓のようなものが、うごめいている。

 優香は悲鳴をあげた。でも、声は出なかった。

 完全に金縛りの状態だ。

(助けてっ! クロ! なんで、こんなことするの?)

 いつも遊んで、あんなに可愛がったのに、なぜ今になって恐ろしいめにあわせられるのか、優香にはわからなかった。

 うんうん、うなっていると、うしろから足音が聞こえた。

 また何か恐ろしいものが来たのかと、優香は泣きそうになった。
 しかし、それは優香の想像したような禍々しいものではなかった。ただ、イヤなものではあったが。

 良美だ。
 タタタタッとかけてきて、良美はいきなり、優香に体当たりした。

「あっ、ごめーん。気づかなかった」

 気づいてなかったわけがない。きっと、わざとだ。
 でも、今の優香は反論することもできない。それどころか、思いっきり、つきとばされたのに、やっぱり、その場所から離れられないのだ。

「あやまってるのに無視するとか、ありえない。首藤さん、感じ悪いよ!」

 自分からぶつかってきて、優香を悪者にする。
 正論ぶって、ますます、ひどい仕打ちをする。
 こうやって、良美はクラスのなかでも優香を孤立させていた。
 優香は何も悪いことなんてしてないのに。

 ちょっと気にくわないから?
 優香のほうが成績がいいから?
 良美の持ってないオモチャを持っていたから?

 あるいは理由なんてないのかもしれない。

 良美にとっては誰でもいいのだ。

 優香はおとなしくてイジメやすいから、うっぷんばらしになるから、おもしろいから……ただ、それだけ。

 腹立たしくて、悔し涙がこぼれた。

(あの子なんか、いなくなればいいのに!)

 良美はゲラゲラ笑いながら走っていった。

 その瞬間、ものすごいクラクションの音がした。

 ダーン!ーーと、地ひびきのような衝撃音とともに、黒いかたまりに良美はふきとばされた。

 交差点をよこぎるトラックに()かれたのだ。

 良美は全身、血だらけになって、ヒクヒクけいれんしている。

 ふっと足が自由になった。

 黒いモヤが、すうっと薄れていく。

 なーん、と、あの独特のクロの声が聞こえた気がした。

(そうか。クロは、あたしのかわりに、アイツを始末してくれたんだね。ありがとう。クロ。あたしたち、やっぱり友だちだね。これからも、ずっと……)

 事故現場のわきを通りすぎる、優香の足どりは、かるい。
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