第17話 逃走(3) Escape

文字数 2,210文字

 暗い部屋だ。鉄と生肉の匂いが鼻を襲う。異常だ。
 電気をつける。
 鉄壁で覆われた室内。ステンレス製の手術台が鈍く光っている。棚には、たくさんの錬金道具がしまわれている。端には、山のように積まれた透明な箱。中には、爪や髪が番号をつけられて詰まっている。冷蔵庫を開けると、パック詰めされた皮膚や肉片も出てくる。
 ニーチェは嗚咽を漏らした。
「こ、これは……」ゲーテも驚愕するフリをする。
「ゲーテ。君は本当に、このことを知らなかったのかい?」
「知らない。知らなかった」
ーーこれほどとは……。
 ゲーテは怯え、大きく首を振った。幼い頃から一緒に育ってきた親友だ。ニーチェにだけは嫌われたくない。進む道は違くとも、尊敬と愛情だけは深く抱いている。
 そう思うとゲーテは、知っていたことも全て、本当に知らないことのように思えていた。
「そうか。分かった」目を見た後、ニーチェは、ゲーテを信じた。目に涙を浮かべながら、実験室を漁り始める。手がかりを探しているのだ。
 ただし、探しているのは、カミーラの居場所の手がかりではない。この秘匿された実験の犯人に至る手がかりだ。
「ゲーテ。これからどうするつもりだ?」調べながら、ニーチェは尋ねる。
「とりあえず執務室に、闘える錬金術師を集めている。映像を見た限りでは、彼女はまだ部屋に潜んでいるはずだ。そこから捜索する」
「そうか……。僕も手伝おう。映像を見せてくれ」何か観念したような顔をしている。ゲーテは、ニーチェに逆らえるはずもない。逆らえば、自分が実行犯だと自白するようなものだ。
 二人は二階へと戻り、監視室で映像を見返した。
「……なるほど」ニーチェは早回しで繰り返し見た後、ゲーテに言った。
「カミーラはもう、部屋にはいないんじゃないかな」
「なぜ、そう思うんだ?」映像に映っていない以上、カミーラが部屋から出ているとは考えにくい。ゲーテは不思議に思った。
 ニーチェは映像を巻き戻して止め、スロー再生にしながら画面を指さした。
「ほら。見て。研究職員が扉を開けた後。不自然に扉が動いている。彼女はアルカディアンだ。詳細なことは分からないけど、透明化する能力も持っているのかもしれない」
「アルカディアンは想像から生まれる生物だ。女吸血鬼にそんな能力があるのか?」
 ニーチェは映像から目を離さないまま、姿勢を正した。
「吸血鬼の基本的な特徴についておさらいしよう。血を吸う。空を飛ぶ。蝙蝠になる。陽の光を浴びると灰になる。心臓を杭で打つと死ぬ。銀製品と十字架に弱い。こんなところか?」ニーチェは、なおも続けた。
「けど、カミーラは空を飛ばない。蝙蝠にもならない。陽の光も銀製品も十字架も平気だ。おかしいとは思わないかい?」話に夢中になっている時の目つきだ。
「僕は仮説を持っている。アルカディアンは二種類いる、という仮説だ。つまり、たくさんの人の想像から生まれるアルカディアンと、一人の創造から生まれるアルカディアン。彼女はきっと、後者なんだろうね。だからこそ、研究しなければ能力は分からない。分からないうちに拷問をすれば、逃走するに決まってる」
 自分に黙って実験をおこなったことを小さく批判した。ゲーテは何も言えない。大きな肩を落とし、しょぼくれてみせる。普段しっかりとしたゲーテが落胆した様子を見せれば、相手は、自分だけを信頼して弱さを見せてくれる、と思い込むものだ。
 ニーチェは、ゲーテの腕を軽く叩いた。
「まぁ。知らなかったことは仕方ないね。僕が手伝う。必ずや、カミーラを見つけよう。君の信頼回復のためにも、ね」
 カミーラを逃したことが本部に知れれば、ゲーテの出世の道は途絶えてしまう。二人は話し合い、このことは、ごく限られた団員以外には秘密にしておくことにした。執務室に呼んだ三人には嘘の偵察をお願いし、ただ、一時間ほど巡回をしてもらって解散させる。
 全てが落ちついた。
 ようやく今夜も、いつものような静寂を取り戻した。
 それぞれが部屋に戻る。
 ゲーテは安心した。敵になるかもしれないと危惧していた親友ニーチェが、まさかの味方になってくれている。これでカミーラが見つかれば、公にして手柄にすることもできる。
ーー見つからなければ見つからないで……。
 ゲーテは、ニーチェに秘密を持っていた。それは、カミーラに毒を注入していることだ。
 アルカディアン用の弱毒FDD『100日目に死ぬワニ』。もしカミーラが見つからなくても、百日経てば、カミーラは死ぬ。アルカディアンの死とは、肉体の消滅のことだ。亡くなった後は、近くにいる感受性の強い人間の脳に、強い思い出だけが残される。
 カミーラが死から逃れる術は、再び毒を射ちなおす。それだけしかない。
ーーこのことを知ったら、ニーチェはどう思うか。
 カミーラが見つかれば問題ない。今度は『100日目に死ぬワニ』とGPSを併用すればいい。
 時間が経って死んでしまえば、消滅する。アルカディアンを完全に殺す方法はないが、思い出にさえなってしまえは、リアルには何も作用しない。
ーー問題なのは、カミーラ死亡時、ニーチェに思い出が残されてしまうことだが……。まぁ、知らないととぼければなんとかなるか。
 ゲーテは大胆な遺伝子を持っている。策を練った後は、運を天に任せるタイプだ。
 こんなにもザワつく夜だったというのに、ゲーテはいつも通り、ベッドに入った瞬間、ぐっすりと眠ることができた。
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登場人物紹介

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

APC 187cm90kg 赤マント

主人公。正義感溢れる好漢。うちに秘めたる野心の塊。研究者として入団したが、錬金術師としての腕前はCランク止まり。武芸に優れている。体格が良く、人から愛され、尊敬される性格。人身掌握がうまいので、幹部候補生になる。クリスティアーネのことが好き。ニーチェのことを親友だと思っているが、嫉妬心も抱いている。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

ADB 179cm 60kg 赤マント

黄金薔薇十字団に買われた捨て子。CRC団長のお気に入り。純真。研究家気質。真理を探究している。ストレスはうちに秘めるタイプ。騙されることが大嫌い。ゲーテだけを親友だと思っている。同期のクリスティアーネに好かれているが、興味ない。

カミーラ

155cm 40kg 吸血鬼と呼ばれる美女。気付いたらリアルにいたタイプ。はぐれアルカディアン。古城に住み着く。

幻想を見させることができるが下手くそ。

顔も体も大人っぽいが、背だけが低い。コンプレックス。いつも13cmのヒールを履いている。

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