第39話 小アジ

文字数 6,171文字


 首題の小アジ。
 防波堤なんかで釣りをしたことのある方には、おなじみであろう。
 季節や条件で、多い少ないはあるものの、どんな素人にもある程度の釣果を約束してくれる、ファミリーフィッシング定番の釣りモノである。
 そう珍しくもなく、今更といった食材テーマではあるが、やはり『きゃっち☆あんど☆いーと』する者としては、押さえておきたい。
 正直俺自身、小アジなどは他の魚が釣れない時の保険、というイメージが強い。
 もっと言えば『呑ませ釣り』やアオリイカの『ヤエン釣り』の餌としてしか、認識していなかった。
 そもそも、可哀想なのだ。
 ちゃんと成長すれば四十~五十センチにもなろうかというマアジやマルアジの幼魚を、それこそ幼稚園サイズで殺してしまうのだから。
 だが、食ってみるとコレが美味い。小さいだけに骨も身も柔らかく、料理法によってはハマる。
 丸ごとの唐揚げや南蛮漬けの旨さは言うまでもないが、丁寧に三枚に下ろして皮を引き、中骨を抜いて、軽く塩と酢で締めた刺身は絶品である。寿司ネタにするのがおススメ。
 だが、小アジは小さいだけにすぐに悪くなる。
 真夏の炎天下で釣った小アジを、クーラーに保存しておいても、持ち帰る頃には身が手でちぎれるくらい劣化していて、とても生で食えるような代物ではない。
 刺身は鮮度が重要なのだ。
 かといって、エアポンプで生かしておいたりすれば、弱ってエネルギーを消耗し、小アジの味自体が落ちてしまう。
 そこで、日中は投げ釣りなどして、夕暮れを待つ。
 そして、日が陰ってきたところでやおらサビキを取り出すのだ。
 小アジも大きさによって群が違い、炎天下よりも日が陰ってきた時間帯の方が、割りと大きめの個体が底から浮いてくる傾向がある。刺身にするなら大きい方が捌きやすいに決まっている。
 しかも、サビキで真剣に釣れば、三十分で百匹くらいはすぐ釣れる。そして、すぐさま自宅に帰って料理に取りかかれば、鮮度充分な刺身のできあがり、というわけだ。
 大きな魚なら、一日くらい冷蔵した方が死後硬直が解け、タンパク質がアミノ酸に変わって刺身も旨いと言うが、小アジの場合は、そうやってまだカチコチに死後硬直しているくらいが旨い。
 しかし、大きめであっても小アジは小アジ。
 体が小さいだけに中骨を抜くのは大変だから、その辺の回転寿司レベルで出せるようなネタではない。釣り人であり、かつ食のために手間を惜しまない人間にだけ許される美味と言っていいだろう。
 この小アジにまつわるエピソードも幾つかあるが、大抵は大きな冒険もトラブルもなく、なごやかに終了するだけなので、ここに紹介したくなるようなものは多くない。
 だがそういえば、小アジを食べ損なったことがあるのを思い出した。
 『きゃっち☆あんど☆いーと』の主旨には反するが、その事件をご紹介したい。
 あれはもう、十数年前のことになる。
 当時、俺が下水処理場のプラントメーカーに勤務していたことは、ナマズ2の項で書いた。
 ナマズを釣った時もそうだったが、下水処理プラントのような施設は、人里から少し離れた場所に多い。それはそうだろう。誰しも自宅の目と鼻の先に下水処理プラントがあって欲しいとは願わない。
 とはいえ、あまりに集落から離れていてはコストが掛かるし、他の集落に近くなってしまっては逆に文句が出る。
 それで、人家の絶えたうらぶれた場所が選ばれる事が多いのだが、もう一つの条件として、河川や湖、海といった公共用水域に隣接していることが挙げられる。
 そりゃあ、処理した水を流さなきゃならんのだから当たり前なのだが、さらにプラントが工事中の場合は他の釣り人がやって来ない、というおまけつき。
 しかも仕事で行く時には大概平日なので、更に人がいない。よって、プラントの試運転業務等でそういう場所へ行く時には、俺は欠かさず釣り具を持参したものであった。
 そんなこんなで、仕事もそこそこにプラント近くで釣り糸をたれているスチャラカ社員だった俺だが、試運転を仰せつかったそのプラントの場所は、ちょっと凄かった。
 それは、ある大きな島……仮にA島と呼ぼう……の南端。そこから更に連絡船に乗って行く離れ小島であった
 失礼なことに、そんなところに人が住んでいるとは、正直言って俺は知らなかった。
 だが、そういえばその離れ小島の地名は、釣りガイドで何度か見たことがあった。
 A島は、島といえどもでかい。俺が行った当時で一市十町。合併後の今でも三市を擁する。それを縦断して先端まで辿り着くだけでもけっこうな苦労なのに、そこから日に数本しかない連絡船で渡るとなると、釣り人もさすがに少なく、情報はあまりなかった。
 だが、クロダイ、イシダイ、サバ、タチウオ、ハマチなど釣れる魚種は多く、魚影も濃いということだった。
 しかも内海にありながら外洋にも面していて、荒波打ち付けるその岩礁には、大物が集うらしく、いやが上にも期待は高まる。
 仕事での出張でありながら、連絡船に乗り込んだ時、俺の荷物は、試運転業務のための機器よりも、釣り具の方が重い状態となっていた。

 さて。
 その漁業集落排水施設……つまり下水処理プラントは、それはもう豪勢な作りであった。
 一見、二階建ての鉄筋瓦葺き大豪邸に見えるその建造物は、のどかな漁村風景とはあまりにもちぐはぐで、当時の俺は、建築家のデザインセンスを激しく疑ったものだ。
 見た目だけでなく中身もまた豪勢で、数百人しかいない島なのに、観光客や釣り客を予定して、ほぼ倍の人数、千数百人分の汚水が処理できる能力を持つ。
 まず凄いのが自動スクリーンで、下水中の髪の毛や紙切れなどの夾雑物を濃し取るだけでなく、それをスクリュー式脱水装置で脱水し、固形物となって集積される当時の最新システム。
 しかも脱臭はなんと、空気を土壌に通過させて微生物で脱臭する装置。活性汚泥槽も一槽式のコンパクトなやつで、水深で処理量を変更できる。
 更に、集めた濃縮汚泥を脱水するのは最先端の円盤式脱水装置と……まあ、こんな専門的な話、読んでいてもサッパリ分からない上に面白くも何ともないだろうからこの辺にしておくが、相当凝った作りの下水処理プラントであったと思っていただいていい。
 俺の業務は、供用開始前にここでプラントの機械が正常に動くかどうか、試運転することであった。
 ナマズ2でも書いたが、試運転業務の一部には、夜間に行わなければならないものがある。騒音測定というやつで、その機械単体が、どの程度騒音を出しているか、また、敷地境界で迷惑でない程度の音になっているかを記録するのだが、騒がしい日中には、周囲の騒音を測定器が拾ってしまうので、正確な測定が出来ないわけだ。
 だから、夜八時とか九時に、ポンプやブロワを一機ずつ動かして試運転をやるわけだが、そのころは宿に泊まると、ちょうど食事が終わって風呂でも入ろうかって時間。
 できれば、仕事を終えてから一杯やりたいのに、民宿ではそうもいかない。
 よって、俺は最初っから宿を取らなかった。
 せっかくの大豪邸仕様のプラントなのだ。下水が入ってきてからでは臭くてイヤだが、今は供用開始前。トイレも洗面所も冷暖房も完備。寝袋さえあれば、何の不自由もない。
 炊事場はないが、水道はもう通っていたから、キャンプ用の簡易コンロを持ち込めば、お茶も飲めるしカップ麺も食える。
 それに釣りだ。
 下水処理プラントの前は、漁港の外れで船もなく、突き出した防波堤上からは、大きなイシダイが岸壁をつついているのが見える。
 日中は日中で試運転業務があるから、釣るなら深夜か早朝しかない。
 よって、釣り場近くのプラントで寝泊まりするのは、至極、理にかなっている。
 秋の日は沈むのが早い。
 七時頃になると、あたりはかなり暗くなった。本来なら騒音測定は九時まで待たねばならないが、人口数百人の離れ小島である。自動車も通らず、人声もない。日が暮れてカラスもカモメもねぐらに帰れば、あたりから聞こえるのは虫の声のみ。
 俺はさっさと測定を済ませると、寝袋と釣り具を持って、岸壁に陣取った。晩飯はすでに済ませ、用意したのはビールとつまみだけ。
 夜空にはもう、満天の星。こんな場所で釣りながら一杯やるなんてのは、まさに釣り人の本懐ここにあり。至福の時である。
「うお。すげえ。何コレ」
 海をのぞき込んだ俺は、思わず感嘆の声を漏らした。
 プラントのすぐ前には水銀灯があって、それが海面まで照らしているのだが、そこには底が見えないほど真っ黒に、小アジが寄ってきているのだ。
 そして、ちょうど明かりの切れ目あたりで、何者かが水面をガボガボ言わせている。
 そんな経験はその時が初めてだったが、釣り雑誌に書かれていた事を思い出す。あれこそが、小アジを狙って集まってきたスズキに違いない。
 俺は早速、サビキ仕掛けをセットして小アジを釣り始めた。
 むろん、小アジは目的ではない。スズキ釣りの餌なのだ。
 これだけ群れていれば、撒き餌のコマセなど必要ない。入れた瞬間に小気味良い引きが伝わり、銀鱗が常夜灯にきらめく。
 ぽろっと針から外れた一匹を、生きの良いウチに呑ませ仕掛けに取り付けて、明かりの届かない海面へ放る。
 数匹いっぺんに釣れたから、残りはバケツに入れて……と、アレ? ない?
 辺りを見回すが、サビキから外れてその辺に落ちているはずの他の小アジが、影も形もない。いくら探してもない。
 おかしい。
 何があったのかよく分からないが、予備の餌は必要だ。首を傾げつつ、再びサビキ仕掛けを降ろす。またすぐにアタリがある。宵闇の中、銀鱗がきらめいて、手元にアジを寄せようとした瞬間。
 黒い影が走って、空中で小アジが消えた。
 見間違いではない。何かがアジを奪っていったのだ。あわてて周囲をぐるっと見渡して、俺は度肝を抜かれた。
 姿勢を低くして隙を窺っていたのは……猫。
 なるほど、さっきの小アジもコイツが奪っていったのか、仕方ないなと、もう一度小アジを釣り、今度はわざと猫に放ってやった。
 いくらでも釣れるのだから、いくらでもやればいい。満腹になれば、どこかに行くであろう、と考えたのだ。
 だが、俺の考えは甘かった。
 猫に向かって放った小アジが地面につくかつかないかのうちに、そいつより早く小アジをさらっていく黒い影。
『フーッ!!
 小アジを奪われた猫が、背中の毛を逆立てて戦闘態勢になる。
 その相手は……やはり猫!! 今度は暗闇よりも黒い黒猫だ。
 気がつくと、そこかしこ、闇の奥から気配がする。
 姿が見えるだけでも、十数匹の野良猫たちが小アジを狙って集まってきていた。
 しかも、餌が貰えるというなんらかの情報でも伝わったのか、その数は増えつつある様子。
 仕方なく、しばらくは小アジを釣っては放っていたが、やってもやっても現れる猫に、さすがに疲れた。しかも問題なのは、サビキから外す前に奪っていこうとするヤツがいることで、その際に小アジだけでなく、サビキの針や仕掛けも一緒に奪っていく。
 食べる時に針や糸を避けるとは思えないから、飲み込んでしまっているに違いない。いくら野良猫でも、そんなものを呑んで体に良いわけがない。死なれては寝覚めが悪いし、いくら釣ってもきりがない。
 そのうちの一匹がサビキ仕掛け本体に絡まって身動きできなくなり、かなり引っかかれながらも外してやった時、俺の心はついに折れた。
 これでは、小アジ釣りを諦めざるを得ない。つまり、小アジを使った他の釣りも。
 結局、餌として投げることが出来たのは最初の一匹だけ。それもわりとすぐに死んで、スズキは食いつかず。
 ルアーを持ってこなかったことを悔やんだが、あとの祭りであった。
 持ってきていたオキアミで、他の磯魚を狙ってもみたが、今度は底が見えないくらいにひしめき合っている小アジに阻まれ、底まで餌が届かない。
 結局、深夜まで粘っても何も釣れなかったのであった。

 翌朝。
 釣果ゼロのまま朝の業務をこなし、現場を片付けていると、バケツを持った地元の方が、すたすたと岸壁の方へと歩いていく。
 何すんのかな? と見ていたら、そのおっさんはやおら岸壁からバケツの中身をぶちまけた。
 中身は生ゴミ。それも、海に放ったつもりかも知れないが、半分以上はテトラポッドの上に落ちている。そして、それに群がる猫。
 よく見ると、テトラの上には他にもゴミをぶちまけた跡が、いくつもある。
 なるほど。ここは島の生ゴミ捨て場なのだ。それで、野良猫が増えてしまったということのようだ。案外、小アジも生ゴミを目当てに集っていたのかも知れない。
 っていうか、どうも生ゴミだけでなく、ビニールやプラスチック、金属などの、明らかに自然に還りそうもないゴミもいっしょくたに捨てている様子。
 ご立派な下水処理施設を作っておいて、そんなゴミを海にぶちまけていりゃあ世話無いな、と、呆れたのを思い出す。
 この島は漁村。つまり、海の資源に頼って生活しているのに、わざわざ海を汚しているわけだ。なんでそんなことをするのか、正直サッパリ分からない。
 まあ、これも十数年前の話。今でもそんな豪快なことをしているかどうかは分からない。
 しかし経験上だが、どうも都会の人よりも田舎モンの方が、若者よりも年寄りの方が、ポイ捨ての罪悪感が薄いように思う。
 ダメになった仕掛けを海に放り捨てる漁師。
 生ゴミを始めとして、何でもかんでも畑に遺棄する農家。
 コンビニゴミをひとまとめにして防波堤に放置する釣り人。
 どれも現実に見たことがあるが、そういう人にはハッキリ言って悪意は全くない。ゴミを持って帰る、という発想自体がないだけなのだ。
 あてつけにそれらを目の前で拾ってやったのに、『何してんの? そんなゴミ欲しいの?』と真顔で聞かれたことすらある。
 この感覚は、自然の力が人間の活動より遙かに勝っていて、すべて寛容に受け入れてくれていた時代の名残なのかも知れない。
 だが、とうにそんな時代は終わっている。
 全国の海岸には、あちこちから流れ着いたゴミの山。
 登山しても、空き缶やたばこはどこにでも落ちている。
 高速道路を走れば、道の脇に延々と落ちているペットボトル。
 毎日の散歩で、ポイ捨てされた吸い殻やコンビニゴミを見ない日はない。
 一説には、人間のポイ捨ては本能に近いのだという。
 もともと樹上生だった人間の祖先は、食べ残しや糞は木の上から垂れ流しだった。
 どんなにゴミをポイ捨てしても、木の上が汚れることはないから、生活が脅かされることがない。だからポイ捨てする。実際、樹上動物の多くはそうしているし、林床を歩く動物の中には、サルのそうした食べ残しをアテにして生活しているものまでいるくらいだ。
 それが何万年もの間に行動原理にまで組み込まれていて、人間の本能の髄まで染み込んでいるのだとすれば、ゴミが目の前から消えた時のあの、一種の爽快感にも納得がいく。
 だが、であるとすればつまり、ポイ捨てに罪悪感のない人間は、まだ完全に進化しきっていない、樹上生のサルに近い生き物だとも言えるのかも知れない。
 ポイ捨てをする人々よ。
 そろそろ進化しようや。
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