第20話 スズメバチ

文字数 4,663文字


 みんな、どうして、そんなにハチを嫌うのか?
 たしかに刺されると痛い。
 俺も何度も刺された。何度も刺されると重症化する、アナフィラキシー・ショックってのがあって、免疫反応が過剰に出ることで、場合によっては命の危険もあるらしい。
 俺もそろそろヤバイかも知れんが、まあ、今んとこ大丈夫そうではある。
 ミツバチ、アシナガバチ、クロスズメバチなど、刺された種類はいくつかあるが、中でもオオスズメバチの痛みってのは、他に比べて強烈で長い。
 毒を注入されるわけだが、他より体のでかいハチだから、その量も多い。ただ棘が刺さったとかとは違って、じっとしていたからって痛みが引いてくるようなものではないのだ。
 ウシアブ、イラガ、チャドクガ、ゴンズイ、ハオコゼ、カツオノエボシなど、ハチ以外にも様々な生き物に刺されたが、これらと比べても、スズメバチの痛みは、最高峰と断言して良いと思う。
 また、ヤツらは問答無用だ。
 巣から一定距離に近づいただけで、速攻で襲いかかってくる。
 また、一匹が何度も刺す。
 髪の毛の黒色が、天敵のクマに似ているとかで、頭を執拗に狙ってくるのだが、髪の毛にしがみつかれ、何度も何度も突き刺され続けたことがある。
 振り払えず、殺虫剤も道具もなかったため、素手で握りつぶした。
 西表島のジャングルでのことだった。帰りの船を待つ間に、ぶらぶらとジャングルを散歩していた時だ。船の時間も迫っていたので、医者にも行けず、腫れ上がった頭でそのまま帰路についたものだ。
 船中も飛行機内も、空港から乗ったJRでも、ずっと痛みに耐えて呻き続け、自宅に帰ってから医者へ転がり込むことになった。
 スズメバチに襲われたら、とにかく地面に倒れることだ。
 姿勢を低くする。などと書かれているマニュアルも多いが、それでは生ぬるい。もともとヤツらの敵は、姿勢の低い四つ足のツキノワグマなのだということを忘れてはいけない。
 だが、伏せると頭が無防備になるので良くない。
 仰向けに寝て地面と同化し、頭部を狙ってくる個体がいたらはたき落とす。不思議と、足や体を狙ってくる個体はいないものである。
 俺はこの方法で、何度か危地を脱したことがある。
 もし、ハチに襲われたら、試してみていただきたい。
 川に飛び込むのが最も有効らしいが、それで溺れたり、心臓麻痺になったりしたら、本末転倒である。
 っていうか、まず、山林に行く場合には、長袖長ズボンだけでなく、ちゃんと帽子をかぶることだ。黒目を狙ってくる場合も多いので、メガネかサングラスで防御するのもいい。そして、羽音に注意し、絶対に巣の近くに近づかないこと、である。、
 毎年刺されて亡くなる方がおられるようだが、気を付けたいものである。最近では外来種でより巣が大きく気の荒いツマアカスズメバチも対馬に上陸し、その版図を広げつつあるらしい。
 かようにスズメバチとは、恐るべき生き物であることは、間違いない。
 だが、それでも言いたい。
 みんな、どうして、そんなにハチを嫌うのか? と。
 日本最強のオオスズメバチといえど、巣の近くに寄らなければ、問答無用で刺しに来ることはない。
 経験上、樹液や花に集まっている場合は、数メートル程度の距離まで寄っても、威嚇こそすれ、襲ってくるようなことはない。
 俺が何度も刺されたのは、キノコや虫を探して林内をうろつくうちに、彼等の巣の近くに知らずに近寄ってしまったせいであって、どちらかといえばこっちが悪い。
 とはいえ、命に関わるような毒を持つ生物が、その辺をうろついている、というのはよほど人間様の気に障るようで、見つかり次第「駆除」されてしまっているのが現状だろう。
 専用の殺虫剤まで市販されているのにはまいった。
 たとえその被害が、自分自身の不摂生が原因の成人病による死亡者数のコンマ一パーセントに満たない人数であっても、ハチに刺されて死にたくはない、ということなのであろうか。どうも理解に苦しむ。
 ハチを駆除するよりも、ジャンクフードを世の中から駆逐した方が、よほど有益だと思うのだが。
 見た目ハチに似ている、というだけでオオスカシバやホウジャクといった蛾を怖れる人がいる。蛾マニアである俺の息子が、夏休みに蛾だけの標本を作製し、学校に提出した時も、クラスメイトから「よくこんなにハチを捕まえたね」と評され、呆れ顔で帰ってきたくらいだ。
 蛾だけではない。積極的に人を刺すことのないアブ、場合によってはハナカミキリまでハチと勘違いし、これを殺戮するという人もいる。
 彼等は天敵の警戒心を誘発するために擬態しているだけなのに、これにまんまと引っかかっているわけで、同じ人類として、まことに情けないとしか言いようがない。
 スズメバチやアシナガバチの主食は虫である。
 それも、毛虫が大好物であり、ハチがいなくなれば、今度は毛虫が大発生するであろうことは想像に難くない。
 実際に我が家でも、軒下にアシナガバチが巣を作った年には、ヤマボウシに毎年発生するイラガが、ほとんど見られなかった。
 また、アシナガバチやミツバチは、もちろん植物の花を訪れ、受粉する働きもする。植物は彼らがいないと、実を付けることが出来ないのだ。
 ジガバチ、ベッコウバチなどの狩りバチは、大型のクモや芋虫を捕らえて幼虫の餌とする。コマユバチは生きた芋虫に卵を産み付け、イラガイツツバセイボウはイラガに寄生する。このようにして、見えないところで、何かが増えすぎないようバランスを保ち、花粉をも運んでいるハチたちは、自然界の守り手と評してもいいくらいだ。
 ハチのいない自然環境など、考えられないのである。
 あの機能的な形もいい。
 昆虫をメカに喩える人は多いが、最もメカ的な美しさを持つのは、ハチだと思う。
 スズメバチを捕獲して、プラケに入れて眺めていると、時間を忘れるほどである。
 極限まで細く、しかし力強い歩脚。いったいどこに筋肉が入っているのか? 黒と黄色のコントラストも素晴らしいカラーリング。凶悪そうな複眼の形。しかし、それでいてなんとも艶めかしく、女性的な曲線美のプロポーション。
 そんなハチたちを、嫌うどころか、俺は大好きなのだ。
 たとえ、何度刺されようともだ。
 大好きすぎて、時々、食う。

 ある年の夏。
 本家の仏壇参りをした際に、離れの軒下を走っていた息子達が、当主に注意された。
「そっちはハチの巣があるから危ないよ!!
 見ると、たしかにソフトボール大の丸い巣が、農業倉庫の軒にぶら下がっている。
「危なくてなあ。農機具取りに行けんのや」
 だがまあ、あのサイズから言って、巣の主はコガタスズメバチであろう。
 この辺の田舎の軒は高く、真下に立っても頭と巣の距離は二メートル以上。コガタスズメバチなら、襲ってくるようなことは、まずない距離である。
 聞いてみると、やはり刺されてもいないし、襲ってきたということもないらしい。
 ただ、怖い、というだけのようだ。
 この程度の巣なら、被害はなく、むしろ放って置いた方が、庭の毛虫を食ってくれて良いのであろうが、俺はこの時は、敢えて言わなかった。
 久しぶりに、ハチの子が食いたかったからである。
 数日後、俺は再び本家へ出向いた。
 親切ごかして、ハチの巣をせしめるために。
 仕事中に抜けてきたから、服装はクールビズ。
 武器はどこにでも売っているタモ網のみ。
 あと、巣を入れる中サイズのプラケが一つ。
 ふらっと訪れ、本家の奥さんに一言挨拶して、タモ網で巣をすくい取り、プラケにそのまま放り込み、フタをする。
 網をふるい、まずは成虫も、一匹も残さず回収。すべて素手である。
 少し離れた田んぼの真ん中でフタを開け、飛べる連中には脱出してもらう。成虫も炒めると旨いのだが、殺虫剤は使いたくないからだ。
 仕事が終わると、いつも利用している、祖父の家へ行く。
 「祖父の家」とは、祖父が建て、住んでいた家なのだが、祖父も祖母も死に、何かと利用していた父も死んで以来、ほぼ完全な空き家なので、こうしたアレ系の料理をするには、非常に便利な場所なのだ。
 俺はここに、毎日欠かさず通っている。もちろん、毎日そんな料理をしに行くわけではなく、祖父母と父の入っている仏壇と、神棚があるからだ。
 こうしてハチの子を食うのは五年ぶりくらいか。久しぶりの味に期待が高まる。
 巣を崩して中を確認すると、幼虫が十数匹、蛹サナギが数匹、成虫になってまだ動けないものも数匹いた。
 数は予想していたより少ないが、巣の規模がアレでは、まあ仕方がない。
 所詮、クールビズで捕獲できるような巣である。さすがの俺も、巣の規模がもっと大きければ、本格的な装備で挑んだだろう。
 大した量ではないこともあって、幼虫も蛹も成虫も、一度に炒めていただくことにする。ザルに入れてざっと洗うと、新鮮な幼虫たちは蠢いて逃げ出そうとする。
 だが、幼虫期を完全に巣の中で過ごす彼等には、歩行能力はない。少々哀れを誘うが、仕方がない。俺に見つかったことを不運と諦めてもらうしかない。
 フライパンに油をひく。
 この油は、仏壇の灯明用の菜種油だ。そんなもんのために、父は一斗缶で購入したのだ。そのため、七回忌を迎えた今年になっても、半分も使っていない。
 よって、俺がこうして、ハチの子を炒めたり、ザリガニを揚げたりするのに使わせてもらっている次第である。
 塩を振りながら炒めると、香ばしい香りが立ちこめる。幼虫も蛹も透明感を増し、実に旨そうである。成虫は見た目さほど変わらないが、油でツヤが出てやはり旨そうだ。
 ただ、この時点であまり炒めすぎると、幼虫の中から内容物が出てしまって旨くない。黒い固形状の内容物は、おそらくは給餌された虫の肉団子なのであろう。幼虫と一緒に食べる分にはまあ、仕方ないかと思うが、分離したものをもう一度口に運ぶのは勇気がいる。
 噛みつぶすと、口中でぷちぷちと弾ける幼虫。
 じわっと浸み出す旨味。
 ビールのお供にぴったりなのだが、祖父の家からは車で帰るので、酒は飲めない。かといって、家でコレをやったら妻が出て行きかねない。
 実に残念だ。
 ハチの子の旨さは、今更言うまでもないと思うが、個人的には幼虫よりも蛹の方が旨いと思う。前述の肉団子のような雑味が無く、純粋に旨味のみが味わえるからだ。
 しかも、ほどよいシャクシャク感があり、香ばしさも加わって最高である。
 また、成虫になってしまうと、食感は良いのだが、おそらく蟻酸と思われる特有の臭いが、少々鼻につく。蛹は、それも無く、完璧に美味な食材なのだ。
 この蛹だけを集めて料理をつくったら、かなり旨いだろうと思うのだが、それを始めると、またソフトシェルザリガニのようなことになるので、やめておく。
 俺は、かようにハチが大好きなのであるが、ハチの巣は滅多に見つからない。
 知り合いの家にハチが巣を作るという、このような幸運に巡り会うことは、なかなかないのである。あれ以来、都合のいいハチの巣は見つからない。

 これを読まれた方は、是非とも、ハチに対する偏見を見直していただきたい。
 ハチは恐ろしい悪魔ではない。
 たしかに、強い武器を持ってはいるが、それも可愛い子供を守るためのもので、むやみにふるったりはしないのだ。
 むしろ、生態系を守る美しき天使であり、栄養価の高い素晴らしい食材でもある。
 昆虫食を敬遠する方も多いが、機会があればハチの子だけは、ぜひ、口にしてみていただきたい。

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