第45話 キャベツ

文字数 4,568文字


 べつに野生化していたわけではない。
 だから、『きゃっち』したわけではないのだが、ちょっと面白い事態になって、ようやく『いーと』出来るまで、紆余曲折あったのでここに書きたいと思う。
 このキャベツ、妻の両親、つまり義父母が畑をやっていて、そこからもらってきたものだ。
 話は二年半以上前に遡る。
 当時小三の娘は、学校からの宿題で「モンシロチョウの幼虫」を集めてくることになっていた。
 教材として先生が用意するのではなく、いきなり生徒に「集めてこい」とくるあたり、俺の地元がどれほど田舎か読者の方々にもご想像が付くと思う。だが、いくら田舎といえども、そう都合よくキャベツ畑がどこにでもあるわけではない。
 米どころだから農村部は水田ばかりだし、たまにキャベツが植えてあっても、農薬が掛かっているのか虫の食い痕もなかったり、ガッチリ泥棒よけの鉄条網が張られていたりして、家のご近所ではなかなかモンシロチョウの幼虫には辿り着けなかった。
 で、その時思い出したのが、俺の自宅よりは少し……いや、かなり田舎にある妻の実家だった。
 妻は四人兄弟の末っ子ということもあって、義父母はすでに老齢の域。
 リタイヤして悠々自適の生活を送っていて、のんびり田畑を耕している。よって、たまに野菜のお裾分けをいただけるのだが、商業用ではないから、農薬はほとんど用いていないと聞いている。つまり、キャベツがあればモンシロチョウが産卵している可能性は高い。
 週末、妻が電話してみると、どうやら一畝だけだがキャベツを作っているとのこと。
 俺達家族は早速、妻の実家へと車を走らせた。
 しかし、一畝とはいっても田舎のこと。
 夏になると、いつも食べきれないほどナスビやピーマンをいただくのだが、その並びがすべてキャベツになっているのだから、数十株はあろう。いったいこれだけのキャベツを出荷せずにどうするつもりだったかは不明だが、予想通りというか何というか、モンシロチョウもかなりの数が舞っていた。
 ただ、まだタイミングが早かったようで、卵は産み付けられたばかり。
 幼虫は孵化したばかりか、卵のままだ。丁寧に葉っぱをめくってみても、イマイチよく判別できない。
 結局、大した数は採れなかったのだが、それならと、豪快なことに幼虫がいそうな株を、ごっそり根元から持っていけ、という話になった。
 さて、このキャベツの株。
 幼虫を採取して玉の部分は美味しくいただいてしまったあと、幼虫の餌をキープするためと称して、庭木の根元に生けておくことを許可された。
 無理やり引っこ抜いて、土が車内に落ちないように根元はバッサリ切ってきたから、ほとんど根は付いていなかったのだが、これが割とタフで枯れる様子がない。
 おそらく、玉の部分を食べてしまったことで、葉の方に向かわせる水や栄養が節約できたってのもあるのだろう。結局、数枚の葉と根元しか残っていなかったキャベツは、いつの間にかしっかり根付いた。
 娘は幼虫の餌として、その葉っぱも千切って学校へ持っていった。
 なんで餌くらいスーパーのキャベツを使わないのかといえば、農薬が心配だからだそうで、それもまあ分からなくもない。
 虫が駆除されて付いていないキャベツを虫に与えるのは、たしかに矛盾しているし。
 だが、せっかくだから「有機無農薬」表示のキャベツを青虫に与えて、ホントに死なないか見てみるってのも面白かったかも知れない。
 さて。やがて学校の幼虫は、羽化して巣立っていったらしい。彼等はどこぞのキャベツ畑でまた害虫として追われることになるのであろうか。いわゆる農業害虫を生産する学校ってのも、なんか不思議な感じだが。
 それはそれとして、庭のキャベツはお役ご免となり、娘と妻にはすっかり忘れられたのであった。
 だが、俺は別に忘れちゃいなかった。ついでに言うとチョウ好きの息子も。
 俺は玉を失ったキャベツがその後、どのような経過を辿るか見たかった。
 息子は、庭をバタフライガーデンにしたがっていて、まずはキャベツでモンシロチョウを呼んでみたかったようだ。
 そのうちにキャベツは新しい葉を次々に出し、またもやモンシロチョウが多数飛来し始めた。息子の狙い通りというわけだが、完全無農薬なだけでなく、幼虫を保護するものだからどんどん葉はなくなっていった。
 しまいには葉はほとんど無くなり、茎だけになってしまった。さすがに枯れるか、と見えたが、キャベツは意外にしぶとかった。玉は出来ないまま、葉も少ないままだったが、茎の部分だけでどんどん伸び、枝分かれを始めたのだ。
 そのしぶとさに、俺も息子も感嘆したが、そんな満身創痍のまま育ちすぎたのがまずかった。
 我が家のシンボルツリー、ヤマボウシの根元に植わった、虫食いでボロボロのキャベツ。
 周囲の植木鉢やブルーベリーが葉を繁らせている間は良かったが、庭の掃除でそれらを刈り込み、整理してしまうと、非常に目立つようになってしまった。
 そして、ついに妻が動いた。
 玄関先のこともあり、景観上良くないから即刻処分せよと迫ってきたのだ。
 俺は、のらりくらりと理由を付けてかわし、キャベツを擁護したが、そんな甘い妻ではない。俺がやらないなら、とばかりにさっさと実力行使に出て、引っこ抜いてしまったのであった。
 しかし、利用するだけ利用してポイでは、あまりに酷い。俺は抜かれたキャベツを、こっそり花壇の方へ植え直すことにした。
 玄関先からは遠く、そもそも割と放任状態の花壇であったから目立たない。妻もなんとか許容してくれた。
 みっともない姿に変わりはなかったが、幸い同じ場所にはコスモスが生えており、二つの植物はそのうち分離不能な感じに絡まってしまったので、コスモスの花に守られる形でキャベツはその存在を容認されたのであった。
 そして冬が来た。
 俺の住む地域は豪雪地帯であるから、毎年数十センチは積もる。キャベツは雪の下になってしまい、さすがに枯れたものだと諦めていたのだが、どっこいヤツは生きていた。
 翌年の雪解けとともになんと、去年よりももっと元気に葉を伸ばし始めたのであった。
 どうやら生ゴミ処理機からの排出物や、愛犬たちの糞を肥料代わりに花壇に埋めておいたのが役立ったらしい。
 驚いたことに、水温む頃には、とうとう花までも咲かせたのだ。
 いわゆるアブラナそっくりのこの花は、意外にも一つ一つが大きく、非常に香りが強かった。これが大変よく虫を引き寄せるようで、モンシロチョウ以外のチョウやハチもたくさん訪れるようになった。これまで庭に来たことのなかったホウジャクの仲間も姿を見せたらしく、意外なプレゼントに息子も喜び、俺達は毎日楽しく鑑賞していた。
 だが、ある日妻から再び駆除命令が下る。
「種が落ちたら、たくさん生えてくる。大変なことになる前に処分しろ」
 命令の理由は、そういうことだったが……俺達は抵抗した。
 たしかに葉は虫食いだらけで汚く、花茎はアブラナほどしっかりしておらず、かっこよくはない。が、訪花昆虫にとっては、非常にいい吸蜜ステーションだし、何よりここまで生き延びたキャベツを滅ぼすというのは、どうにも哀れだ。
 とはいえ、妻の言うのも分かる。
 我が家の庭には、俺が植えて野生化したミツバやニラが勝手に種子を落とし、どこにでも生えるようになってしまっているから、同じ事態がキャベツで起きたらたしかに厄介だ。
 たぶん、キャベツはヤツらほどしつこく生えはしないだろうとは思うが、キャベツの栽培自体が初めてで、野生化などさせたことがない俺は、強く反論も出来なかった。
 結局、折衷案として種子が付かないうちに花茎だけ撤去。キャベツ自体は生かしておいてもらえることとなったのであった。
 しかし、花を切られたキャベツは意外にも、そこから元気を取り戻した。花を切られたことで種を作る栄養が本体に残ったのが良かったのだろうか?
 キャベツは次第に葉を充実させ、更に枝分かれもし、昨年より更に元気な姿で冬を越すこととなったのである。
 雪が非常に少なかったこともあるのだろう、昨年の春、キャベツはついに待望の玉を付けるまでに至ったのであった。しかも枝分かれしたせいもあって大小二個。
 玉が充実するのを待ち、俺は満を持して収穫した。
 モンシロチョウにやられ、夏の水不足、妻の攻撃などで壊滅的状況に陥ること二度三度、そのたびに逆境を乗り越えてきたキャベツの収穫。なかなか感慨深いものがあった。
 さすがに売っているものよりは小さかったが、完全無農薬&自家産有機肥料であるから不味いはずがない。だが、まずはサラダで食べてみようと葉をめくってみたところ、その隙間にナメクジ発見。
 むう……こいつめ、どっか行け。
 取り出して庭にポイ。
 気を取り直してもう一枚めくると、また一匹。
 庭にポイ。
 まさかと思いつつ、また葉をめくると更に一匹……
 そんな調子で、一個のキャベツから十数匹。キャベツはいつの間にかナメクジ・マンションと化していたのであった。
 このナメクジ、寄生虫や病原体の温床である。有名どころでは広東住血線虫があるが、それ以外にもヤバイ病原菌を持っていることがあるのだ。
 くっついていたのが一匹や二匹なら、よく洗って食えばいいだろうが、一玉からこんなに出てきては、おそらくキャベツ全体を這い回られた後だろう。さすがの俺も生で食う気は失せた。
 結局、よく洗った上で、さらにお好み焼きや野菜炒めで充分火を通して食べることにした。
 むろん、味自体は普通のキャベツと同じだ。ただ、甘味が強く、苦みは一切感じなかったのは、やはり完全無農薬であったせいだろう。
 怪しいキノコや木の実にはなかなか手を付けない家族も、さほど警戒せずに食べてくれた。
 二年越しのキャベツは二日ほどで食べきってしまった。
 そう高い野菜ではないから、生産効率としてはダメなのだろうが、長年付き合った末の収穫は、苦労が報われた気がして妙に嬉しいものであった。
 ところで玉を収穫した後のキャベツは……といえば、じつはそれから更に半年以上、花壇に植わっていた。
 翌年の夏には、さらに枝分かれして這い伸び、今や花壇の半分を占拠していたが、枯れる様子はまるでなかった。たしか小学生の時アブラナは冬を越して一年で枯れると聞いていたが、いったいキャベツの寿命ってのは、どのくらいなのだろうか? と疑問に思ったものだ。
 その時気になって「キャベツ」「寿命」でネット検索してみたが、出るのは種子の寿命や購入したキャベツの長持ちのさせ方ばかりで、どうも収穫後のキャベツをいつまでも栽培し続けた、などというアホな例は無さそうだ。
 この時点で我が家に来てから二年半、義父母が種子を蒔いてからだと、丸三年以上。
 果たして何度収穫できるのか? そしてどこまで大きくなるのか? これからも逆境をくぐり抜け、雄々しく、たくましく、生え続けてくれるものと期待した。
 そして、その次の春。
 妻の圧力が限界に達し、キャベツは祖父の家近くの休耕地に移植。
 それから草むらにうずもれつつも更に一年、衰退しつつもなんとか生きていたのだが、結局五年目にして消滅したのであった。
 さすがに寿命だった、ということであろうか。
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